Tuesday, April 4, 2017, 11:20 AM
このところ止まってるね、という声をよく聞きます。確かに一ヶ月以上書き込みなし。
というのは、書くことがないわけじゃなくて、ありすぎるからです。それもマイナスの事柄が多すぎで。国の内外を問わず余りにもひどい。
この酷さの根本を言えば、いつも書く通りみんな「物語」に酔っているということでしょう。
アメリカで言えば、その人工国家的要素を極度に打ち出して、無理やりパワーで企業を国内に閉じ込めようなどとするトランプ政権。日本で言えば、無理やりお金バラマキで株価を上げようとあくせくしている政権。いよいよ限界と思いきや、今度は教育勅語とかを持ち出して、益々中国古代に回帰しようとする滑稽さ。いつも書く通り、教育勅語は全部漢文に直せるのであり、我が家にもそれがあります。勅語は軍人勅諭とセットで、明の朱元璋の六諭などの大きな影響を受けている。
それを、元祖民族派??の私は子供の時から丸暗記していたものでしたが、成長し、本を読み、外国を見てみれば、全然国粋的でもなければ民族的でもないことがはっきりわかった。
逆に言えば、真の民族派はそんなもんじゃない、ということがわかった。
ところが、お勉強が足りなかったり、遠大な思考に欠けた多くの保守を標榜する政治家らが、これを道徳の教材にするとかなんとか。
「夫婦相和し、朋友相信し」とかがいい、なんて言ったって、時には喧嘩もするのがその関係で、わざわざ上から言われる話でもない。しかも一旦緩急あれば云々で天壌無窮の皇運を扶翼すべし、はつまりは陛下1人のために死ねということなのに、これを国と置き換え、論理を突き詰めない。ルイ14世の「朕は国家なり」の意味が全くわかっていない。
こうなるので、憲法の話にしてもゆるゆるで、まともな議論になっていない。
要は、2・26の青年将校のような研ぎ澄ました論理も法の運用も知らない。この原因には大正時代のいわゆる自由法学の悪影響もあるかと思います。
その昔、ローマ帝国の滅亡と法の解釈の関係を言われた先生がいましたが、正にそういう大きな歴史の流れも感じるものです。
それにしても、自衛隊の最高指揮官がお化粧につけまつげにイヤリング?耳飾り?ちなみに、旧軍隊ではベルトなんぞと言わず革帯(かわおび)と言った。ふざけるな、と言いたくなります。
私に近い経験だけでも、ビルマの果てのジャングルどころか飢えと渇きの行軍にフラフラになり、毎日毎日機銃掃射を受けて行軍。そういう戦争の実態を全く知らず、A級戦犯合祀の意味もさっぱりわからずに、なんとかの誠を捧げるとか、綺麗事、物語の発想もいい加減にしてもらわなければ、第一線の自衛官は、命をかける基本的ポリシーを毀損され、たまったものではありません。
今からでも遅くはない。亡くなった兵士の遺骨収容に、ミャンマーのアラカン山脈でもニューギニアでもよいから行って、かつ、戦史をしっかり読んでから大臣になれ、と言いたい。
そこいらへんのハウツー本みたいな戦争ものは百害あって一利なし。
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Monday, February 13, 2017, 07:15 PM
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トランプ氏の大統領就任で、予測可能性がなくなった、ということが言われます。
これは、法律の不完全な中国などへの批判としてよく言われていましたし、逆に、きちんとした法律を作ることで、予測可能性が確立し、資本主義が発達したのだ、などと言われてきました。
その予測可能性が立たなくなっているということはアメリカが中国の逆方向だということです。
もっとも、それがアメリカだけかというと、日本もとっくの昔にそうなっていますし、フィリピンもそうでしょう。法というものの尊厳(というよりも、国家の仕組みとして絶対に守らなければならない国家の本質)と、具体的妥当性がこんがらがってめちゃめちゃです。
一方、アメリカでは大統領令が乱発。実はこれも、日本の旧憲法には、天皇に、今の2つの政令以外に帝国議会から一応独立した勅令、つまり今で言えば政令制定権があって、2・26事件後の暗黒裁判も正にそれで行われ、ついには戦争開始、ということになったのに、我が身に引き当てて考える事ができず、どころか、憲法改正で復活させようなんて、全く無反省の日本人は困ったものです。
再び一方のアメリカ。マティス国防長官はやっぱり大したものでした。要は実戦経験のない人間の評価はダメ。彼がインタビューに答えた英語はきちんとした話であって、殺人が好きなどというものではないように思います。要は「白刃の雨は好かないけれど、許せ世のため人のため」という、昔の隠密剣士みたいな話。
保守系と言われる最高裁判事候補は相当程度まともそうに見えましたが、最後の言葉として「勇気が必要」はちょっといただけないか。わたしがいつもいうように、勇気がなくても責任感があればよい。大統領の判事への批判発言を聞いて「裁判官の士気を削ぐ」と批判したのは、批判は良いとして、正にその勇気が必要の裏返し。
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Tuesday, January 3, 2017, 06:11 PM
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今年の年賀状は以下のようなものでした。
謹 賀 新 年
初詣で、「実(じつ)の心起こり候様に祈るなり」と言った鍋島直茂は、自身のお墓について以下のとおり計画を立てました(お正月早々・・・ではありますが、何かの参考になるかもと)。
「日峯様御遺言に任せ・・・宗智寺御草創これあり候。此所に寺院御取立て、御遺骸御納まり成さるべく、兼て思召られ候御賢慮の儀は、此の以後若し乱世にも相成り候はば、他國より必ず佐嘉へ人数を差向くべき事ある時に、北山筋の儀至つて大切の儀と思召され候。右の所へ御遺骸御納まり御座成され候はば、御家中の者共定めて敵の馬の蹄には懸け申すまじと覚悟致すべく候。多布施より内に敵を入れ立て申さず候はば、佐嘉は持ち堪へ申すべしとの御賢慮にて候由。」
つまり、後年の大名のように大きな墓を志向したのではなく、小さくてもよいからそれを敵の方へ向けておきなさい、という考え。これはフリードリヒ大王などに通じる機能的な考え方であり、オリンピックその他、何かと「大きなもの」を喜ぶ昨今、先人のこんな発想に大いに学ぶべきではないかと思われます。
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Monday, December 26, 2016, 12:09 AM
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ロシアとの話は結局何の成果もなし。当たり前といえば当たり前の結果にもかかわらず、まだ関係改善とか何とか言って視野の狭い国民どころかマスコミまで煙に巻くのはやめてほしいものです。また、そんなことはわかっているマスコミも、しっかりしてほしいものです。
そもそも、韓国さんがあれだけ従軍慰安婦だので世界的に色々言っている一方で、条約破りの戦争を仕掛け、数十万人の日本人をシベリアに拉致して殺した話はどうなっているんだか。補償はいかに。それで平和条約もおかしなものです。
私がまだまだ幼少の砌、新聞で鳩山一郎総理がソ連に向かう記事を見たことを覚えています。その頃、親が真崎少将に会ったところ、あまちゃんの鳩山がどうなんだろうね、みたいなことを少将は言われたそうで、二島返還なんている枠を決めたのもあの時。
要は内容証明を出しておくだけにして歴史の流れに任せるのが最上、というのが先日お会いした元官僚や大会社役員の皆さんの意見でした。私もそう思います。
その意味でマスコミの落ち着きのない報道はダメ。
なんて思っているところに、ヨーロッパや中東では大変な事件が起きて、心が痛みます。
ベルリンのカイザー・ウィルヘルム教会は、第二次大戦の連合国による爆撃のそのままを残したもので、日本で言えば原爆ドーム。そんなところであんなことが起きるとは。私も7・8年前の年末、あのクリスマスマーケットに行ったものでした。そこが二重の意味での悲劇の現場になるとは思いませんでした。
ただ、ベルリンにせよその他にせよ、こうした悲劇をそのままに残しておくヨーロッパの人々の落ち着いた力にはさすがと思います。ベルリンには、最先端の地区があるかと思えば、爆撃の煤そのままを残す教会や様々なモニュメントなど、残す人々の本当の力を感じます。
東京だって、特に下町は第二次大戦での激しい爆撃にあい、銀座や有楽町でも死体がそこら中にあったそうですが、今は全くその面影はありません。昔、バイトをしていた時、そこにいたおじさんの話では、爆撃で有楽町の鉄道の枕木どころか人間が天に舞ったそうで、日劇(マリオン)のあたりは死体だらけだったそうです。
わずかに亀戸の伊藤左千夫の墓に行った時、それがバリバリに割れていたのには東京大空襲の火力を見る思いがしました。
上野の山に大空襲で燃えた電柱だかを保存してありましたが、何やら政治的圧力で今はありません。ここらが正に強いドイツ人と、弱い日本人との差と言わざるを得ません。
美しい歴史だけを追い求め、現実を直視すること、それを踏まえる真の力の涵養を忘れては、再び悲劇が巡ってきます。
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Monday, December 12, 2016, 11:20 PM
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私の知り合いに長野県の松本深志高校の同窓会長をされていた穂苅甲子男様がいらっしゃいました。私が松本の内外情勢調査会で講演をしたご縁でしたが、毎年3月には東洋のマタハリとも呼ばれた川島芳子追悼の会をされ、私も松本まで行って参加していました。
その穂苅様の同窓が山口富永さんで、19歳の年でしたか世田谷の真崎甚三郎大将の家を訪ね、少年を大歓迎して下さった大将と深いつながりができて、大将に関わる本を出されています。
一方、穂苅様や山口様の旧制松本中学の校長先生が清水謙一郎先生で、この先生の呼びかけに応じ、戦後、長野県で再三講演をされていたのが大将の弟の真崎勝次少将です。
私は、この少将には、幼稚園の時、祖父に家まで連れていかれ、お会いしました。
そんなわけで、以上の方々、更に大将のご子息真崎秀樹様(外務省、アフガニスタン大使、昭和天皇の通訳)とも私は何かとつながっています。最近、その山口様の著書を改めて読んでみて、昭和史の通俗的理解の誤りと、それをきちんと正さねば日本の将来を誤ることになる、との思い切です。
山口様も書かれていますが、昭和史の転換点たる2・26事件の発生原因とその影響、これをきちんと総括できなければ日本はいつまでたってもぐるぐるまわりの過ちを重ねて行くだけのように思われます。
この事件の原因はぐっと下れば秀吉の文禄慶長の役まで行きそうですが、途中経過としては明治維新なるものがあります。この明治維新は一般に良いことこされています。しかし、当時の日本の状況、世界の趨勢を眺めれば、維新なるものを起こした側の方がおかしかった。卑近な話、日本はこれによって樺太、千島という先人の苦労によって確保していた領土を失ったのです。北方四島どころではありません。
視野の狭い今の日本人はこの損失とその原因に気づいていません。徳島の岡本監輔 なる人が当時警告を発した江戸末期の状況にもかかわらず、京都、江戸で無益な諸行動を継続していたのが維新の立役者らでした。
そして、その維新を起こした連中の後身が昭和になってからは、純粋な青年将校の暴発を呼び、それを利用してとんでもない軍事政権を作り上げ、日本を敗戦に結びつけました。
この流れは、そのバックにロシア、あるいはそれを理解していなかった日本人による謀略といってよいものがあったと思います。
ところが、先日、講談社新書として出た今の憲法の制定過程の議事録の要旨。これを解説した保阪さんの文章では、真崎少将(当時の衆議院議員)の書かれた「隠された真相」について謀略云々と。
リベラルと思われるこうした人に、もう少し掘り下げた考察をお願いしたいと思わざるを得ません。
ちなみにこの本には、私も若干の関係ある大坪保雄議員(内務省警保局)や飛鳥田一男議員(横浜市長)らも出てきます。
ロシアが話題になるこのところ、上記が思われることです。
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Friday, November 25, 2016, 11:26 PM
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昨日も色々な人に会いました。
午前中は、韓国、日本、香港の三つの国の者どおしで日本語を使った討議。午後はお坊さんとのお話し合い。夕刻は若い人達と飲み会。内1人は中国の少数民族で、もう1人は私も行ったことにある中国・無錫の大学を出てこの夏休みはオーストリアへ語学留学に行ってきました。
この無錫には東林書院という儒教のいわば学校があり、明末時代、宦官の魏忠賢と対立した儒学者が東林党として頑張っていたところです。
このあたりのアジアの歴史、それは一応でも知らねば話になりません。
それというのも、今日のお昼は打って変わって、アメリカ、ヨーロッパに関心のある日本の人たちと一緒で、学校の勉強は一応できた部類の人たちでしょうが、アジアを知らないので、発想の基礎にするべき簡単な論理が分かっていない。その上で国内的な政府の態度や皇室の話を論じるのでお話になりません。こういう部類の一応頭の良い人がアメリカ、ヨーロッパしか向いていないというのが日本の悲劇かと思います。
戦前の軍部には、皇道派、統制派というのがあった、ということになっていて、前者は極端に言えば神がかりで、後者は合理的発想、みたいな話が通俗本を賑わせています、というか、少なくともかつてはそうでした。
しかし、むしろ前者はアジアに、あるいは土に根ざしていた人々。ただし、若い人は神儒一致的。後者は気が利いているようで、机上の空論だけの人。とでも言った方が良いように思います。前者とされた〇〇大将が平民出身で、反対派はほとんど士族出身、などから明らかでしょう。後者が天下を取った2・26事件のあと、荒唐無稽な発想から日本軍をビルマつまりいまのミャンマーまで進めたということからも、後者が机上の空論派であることは明らかです。
そう思うと、国が官僚を引き上げる入試以来のシステムをよく考えねばならないと思います。
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Saturday, November 19, 2016, 10:52 PM
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知り合い、関係者が何人も登場する「湾生回家」という映画を観てきました。戦前の台湾生まれの人を「湾生」と言いますが、その方々が家に帰る、つまり、生まれ故郷の台湾に帰るという話です。
概ね予想通りの内容で良かったのですが(というか、台湾では大ブレイク)、最も感動的だったのは、普通の湾生で台湾に帰った人ではなくて、父がわからず、母がその娘さんを台湾に置いて日本に帰り、その娘さん(といっても今は寝たきりの老人)の孫らが孫にとってはおばあちゃんの墓や関係者を探し、最後は供養を行う、というケースです。
私の身内にも引揚者はいますから、それが大変であることはわかりますが、置き去りにあった人こそ最もかわいそうです。そして、上記のような実情にあることを考えると、戦争は、最も弱い人に、最も厳しく影響することが明らかです。
実は私も、台湾に残されたある女性から、祖先探しを頼まれました。しかし余りにも縁がなさすぎて止まっています。その方は、正に天涯孤独。自分がどこのどういう出自なのかわかりません。
その昔ある医師が、闇に葬られてしまう赤ちゃんを救って他人の実子として届けることが、生命は救うものの一切のアイデンティティを欠いた人を作り出すことの罪が問題になったことがありましたが、正に国家によって、そういう人が大量に作られるのが政治であり、戦争であることを踏まえる必要があります。
いくら家族と喧嘩している人でも、自分がどこのどういう人間であるかわからない、という孤独感は、考えただけでも重すぎるものです。
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Thursday, November 17, 2016, 11:50 PM
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夜中の246をタクシーで帰宅中、最近、この246沿いのもう1つの頼朝ゆかりの地を発見したことを思い出しました。
渋谷から國學院大学を抜けた先にある常盤松です。義経の母・常盤御前に因むとか色々のようですが、伝説とはいえ絶対無視もできないかと。
246のずっと先には本来の渋谷一族の、小田急の駅でいえば高座渋谷があり、川崎に来ると頼朝が渡ったという土橋。世田谷に入って上馬、下馬。更に猿楽を催したという猿楽町。そして渋谷。金王神社。更には常盤松です。みんな奥州を攻めた頼朝ゆかりの地名。
面白いな、と思います。
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Thursday, November 10, 2016, 11:39 PM
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一方、下のようなことを書くと、アジアには独自の価値観があるんだ、というような声も聞こえてきそうです。むしろ、日本にはということでしょうか。
しかしまあ、この頃流行りのやたら日本でははちょっと視野が狭すぎですので、私はアジアで考えるとして、それは一言で言えば論語などの徳目ということになるでしょう。
この論語の更なる元は周公の考えとか孝經の教えということになりますが、政治理念としては、まさに「よらしむべし、知らしむべからず」つまり為政者がしっかりとした政治をおこない、民はその中身に口を挟んではダメというあり方です(もっとも、こんな発想の本家中国でも王陽明「伝習録」などはちょっと違っていて、大いに参考にすべし、かと思いますが)。
でも、これでは「自治」が果たせません。今の日本の西にある大国・中国をはじめ、その南のベトナムやラオスも実はこのスタイルなのです。ベトナムやラオスには選挙はありません。正に一党独裁の国であることを忘れている人も多いでしょう。そして、うっかりすると日本もそうなりそうどころか一部なっているのです。
ここのところに気づき、これを超出しなければ我が国民は近代西欧や米国に追いつけないはずなのですが、その本家のはずのアメリカがこういうことでは、やっぱり色々大変ですよね、人類は。ということになるのではないでしょうか。
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Thursday, November 10, 2016, 11:02 AM
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アメリカの大統領選挙が終わりましたね。
この結果は、世界的な傾向の一顕然と考えるべきかと思いますが、それはそれとして、その昔、米国議会に行った時、読んだ本を思い出します。
その本には、「物語が歴史であるという考えがあるが、それは歴史ではない。ここで作る法律のなかに歴史がある」という趣旨のことが書いてありました。
アメリカには、いや世界に、お話が歴史であると考える人々がいます。だから、リンカーンが丸太小屋で大きくなった、なんていう話もあるわけです。それをそっくり真似しているのが日本の北の半島にある国です。
しかし、その本は、それは歴史ではないというのです。
むしろ、西部開拓のために作られた法律の中にこそ西に向かう幌馬車がイメージされる、というようなことだったかと思いますが、より進んで、法律という論理の連鎖、その機能的な動きの中に歴史があるというべきでしょう。
陪審制度がアメリカの歴史を作ったと言われるのもそれでしょう。
そして、こうした発想の基礎をなすのは、近代合理主義です。デカルト、スピノザといった人々の合理主義がスピノザに見られる民主的国家像を導いた事はこの博物館に書きました。
以後約四百年、この合理主義の発展としての今の民主政治があり、その形成の前提には、宗教改革、30年戦争、スペイン継承戦争といった数々の戦争もあって、プロテスタントの成立、政教分離といった観念もできてきました。
その意味で、この1600年代は日本にとっても世界にとっても大切です。
しかしてここにきて、この400年への巨大な挑戦が行われつつあります。それが、現象として現れているポピュリズムであり、基底にある法の無視と結果的妥当性の追求、でしょう。この後者については、相当な学者でもそれを否定しません。
もちろん、日本も例外ではなく、この傾向を元へ戻す事は、相手がポピュリズムというわかりやすい??ものだけに厄介です。
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