Sunday, April 20, 2014, 03:24 PM
韓国の船舶事故の報道を見ていて浮かんでくるのは、我が一親等の身内のことです(と書けば誰かはわかりますよね)。
以前も書いたことですが、第二次世界大戦中の昭和19年、輸送船でシンガポールから台湾に移動中、南支那海でアメリカの潜水艦の攻撃を受け、17・8時間の漂流の末生還しました(だから私がいるわけです)。
当時、今の東京都北区役所近辺には、陸軍省の関係機関が数多くありました。北区立博物館にも説明してあります。
ビルマのフーコン作戦、インパール作戦のあと、陸軍省出先の兵器行政本部に転属を命じられた身内は、シンガポールからオンボロの輸送船に乗船します。その時始めて、船倉に収容される担送患者とともに、同じく船倉に入っていった、いわゆる従軍慰安婦を見たとか。
船は駆逐艦の護衛を得ながら進みますが、海南島東方では他の船が潜水艦の餌食に。
今晩はうちかな、と思っている所に、ズシンと魚雷の衝撃。おんぼろの輸送船は魚雷が不発のまま突き抜け、滝のような水が船倉になだれ込み、くくりつけられた担送患者や従軍慰安婦の上に降りかかったそうです。
身内の方は、マラリアでフラフラしていましたが、カポーク、つまりは救命胴衣を著て真っ暗な海に飛び込み、必死で50メートルくらい泳ぐ。ふと振り向くと、真っ黒い物体が近くに浮いていて、すわ潜水艦が浮上してきて銃撃されるのか、と思うと何もない。つまりは撃沈されかけの輸送船が、今の韓国の船同様浮いていたというわけです。
海はさっと手を動かすと、夜光虫がキラキラと輝く海。
夜があけて周りを見れば見渡すばかりの大海原。こりゃダメかと思っていたら、サイパン陥落の以後でしたが、一機の日本の飛行機が飛んできたそうです。やった、助かった、と思ったものの、そも後も何もない。
これは見捨てられたのかな、と不安がっていると、漸く夕方になって一隻の海軍の砲艦がやってきたそうです。海軍はロープを海に流し、生き残っていた兵士はそれに捕まって引き上げられる。しかし、最後に安心した兵士は、やっと上がれるかという寸前、重くなった木製のカポークは役に立たず、力尽きて透き通る海の中に引き込まれて行ったそうです。
だから、私は小さい時から、気力が一番大事、海では救命胴衣を必ず装けること、転覆などの際は、いち早く飛び込んでできるだけ遠くまで泳ぐこと、などなど、散々聞かされてきました。
そして、砲艦は、中途半端に浮いている船を砲撃し、船内で生き残っていた人々は、正に海の藻屑と消えてしまったそうです。
昭和19年7月のサイパン島陥落以降、制空権はもとより制海権も失った日本は、こうしたケース、そしてむしろ見捨てられたケースもたくさんあったのです。例えば、韓国との間の玄界灘にもたくさんの船が沈んでいます。
かかる戦争遂行能力のなくなった時期まで、それを遂行させた為政者には
国民に対する極めて大きな道義的責任があるのです。
最近の集団的自衛権問題で、覚悟がどうのと言っている政治家がいるようですが、覚悟などという言葉は本当に軽々しく使うべきものでもないし、本当の覚悟を持って、韓国の先生のように自殺してお詫びまでするのでしょうか。2・26事件の安藤輝三大尉がそうであったように、本当の覚悟ある人こそが本当に逡巡するものです。
ウクライナの件といい、今回の韓国の事故といい、こうしたことをしっかり受け止めて、国家のあり方を考えるのでなければ、到底まともな国にはならないでしょう。
そして、こういう厳しい覚悟をしなくて済むような柔軟な外交をしていくのが政治家の本来の責任のはずです。
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Friday, April 11, 2014, 09:52 PM
で、結局のところ、下の人は釈放となりました。まだまだ色々続きますが、劇的一日は終わろうとしています。
こんなことを色々していると、やっぱり交渉ごとをしている人間は、立場を超えて腹芸力がつくよね、と思います。それは、私の相手の方ももちろんです。尊敬します。
今の日本の政治家で、欠けているのが腹芸力、そして獅子吼力かと思います。長けているのが、人を騙す力、だったりしたら、日本の庶民は浮かばれません。
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Thursday, April 10, 2014, 09:50 PM
突然、ある捜査機関から電話がきました。何事かと思ったら、旧知の元満州族の日本人女性が、どこかのレジでトラブルになって逮捕されてしまったとのこと。
早速面会してみたら、逮捕の必要もないような話でした。
その昔、私が北京の某博物館に行くと、その人の従姉妹がいて、他の漢族の博物館員が「R、日本人が来たよー」と大声で呼ぶのです。その人は英語が上手で、下手な私としては困ったものですが、行くたびに館内を案内してもらいました。何しろ満州族ですから、日本人が好きだし、周りの漢族も当然という感じだったのです。
一方、今日のNさんの場合は日本に来て、一流会社に勤めていましたが、退職。今日に至りました。
中国にいた時は正に少数民族で差別され、でも、親日ですから日本国籍は取れたし、一流企業にも勤められた。しかし、今回のようなトラブルに陥ると、「あなた何人ですか?」と訝られ、イントネーションが変わっていると「ああ中国人か」と十把一絡げにして日本でも差別される。
でも、彼らは戦前、日本に協力し提携していたのです。いわば天皇陛下のお友達の一族みたいなものです。なのに、歴史を知らず、実情を知らない日本人は彼らの苦しみがわからない。
日本人、特に若者はもっと勉強しようよ、そして、視野を広く持ちたいね、それが本当の武士道にもつながるよ、と思ったこと、しきりでした。
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Saturday, April 5, 2014, 10:36 PM
ハーバード大学を出た黒龍会の領袖・Oさんのお孫さんと久しぶりに会い、楽しい時を過ごしました(もっとも彼女の方はそれどころではなかったかもですが)。
「右翼運動百年の歴史」を書いたAさんにもかつて会い、その本に書いてあるとおり余りにも小さくなってしまった保守のお粗末さに慨嘆しきりだったのですが、まあ、たまには昔の大物国粋の息吹に触れてみるのもよいことです。
この東アジア、領土がどうした、固有がどうのと、西洋発想の生半可な受け売りから争いを起こし、果てはどこかの国の大統領は小さな島に登ってみたりの子供みたいな発想。そしてこちらの誰かも登ってみたりで、どっちもどっちの低レベル。これじゃ世界の大物とはいえません。アメリカやイギリスの大統領や首相がそんなことをするでしょうか。
一方かつて、近隣某国のTは、P国と領土でもめた際、「いいよ、その島はおたくの国で」と言ったかと思うと、「だけど、その代わり、おたくの国全部うちのだよ」と言ったとか。
アジアとはいえ?こんな人を食った大きな人物はうちにはいないのかね、と思います。
少なくとも昔はいました。そういうのが本当の国粋主義者です。もう一度大きな日本人にならなければ、到底世界から尊敬など受けないでしょう。
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Monday, March 31, 2014, 11:53 PM
先日の日米韓の首脳会談を見ていて、どうして我が国は、事を「国内問題」として片付けられないのかね、と思いました。外国からいわれるから、どうこうするとかしないとか、なんていうのじゃダメなんです。
対外国に対して、やれ宜しくない事をしただのしないだのという事以前に、むしろ、国内問題として、許すべからざる事が行われた事は間違いないのです。それのけじめがついていないどころか、逆に、そんな事をした人物を持ち上げている事が問題なのです。
中には元共産党員が今は右翼かなんかになって、当時の堕落した軍人を持ち上げている。本当に許すべからざることです。
例えば、私に近い話でいうと、ビルマ(ミャンマー)のインパール作戦については、義理の叔父が死んでいますし、父は九死に一生を得ました。
そして私は、中学生の時、その軍司令官であるM中将の、見るに耐えない見苦しい弁解を、テレビで見たのです。彼は元々同郷であり、当時は確か千葉に住んでいました。彼にとっては、イギリスの何とか中佐がくれた手紙が唯一のよすがで、もうちょっと頑張っていればインドのディマプールまで行けたのに、というわけ。鼻水タラタラで泣きじゃくるような見苦しい姿でした。
当時の私は(今でも)コチコチの民族派でしたから、一発かませたいくらいの怒りを覚えました。
ジンギスカンの故事に習わん、なんて、20世紀とも思えない時代錯誤の戦争を始めてアラカン山脈を越えさせ、天長節(天皇誕生日)までにインパールを落とすとかいう硬直した方針の下、自分はメイミョーなどという軽井沢みたいな所にいて、兵士の方は補給も無く、敵の食料に依存するなんていう変な方針の下、占領してみたら敵さんは缶詰に穴を開けて逃走。熱帯地で、中は腐っていて食べられない。こうして、逆に白骨街道を現出させて、何万人もの兵士を死なせた。なのにその後、予科士官学校の校長にまで栄進したとは、ビルマ方面軍司令官の木村中将(のち大将でA級戦犯で死刑)共々、ただ呆れるばかりです。
こうした事は、当時の将官の多くに言えることです。私の恩師の父上が東京裁判で弁護人を務めた、東條の家来で、陸軍省兵務局長を務め、黙れ事件で有名な佐藤kなども、そのテレビでの横柄さには、これまた呆れました。
今の若い人は何も知らず、昔の予科士官学校の跡地である和光市の振武台に行ったら、若い説明員から、上記Mは偉い人ですなんて説明を受けて、唖然としました。
私みたいな「若い人間」も、決して若くはないんだな、と思ったのです。
私は、度々書くように、何人もの元将官、軍人に会ってきましたが、テレビの経験も貴重であり、これを伝える意味があるなと、あんな三者の映像を見ていて思われます。
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Sunday, March 30, 2014, 10:23 PM
このままでは日本からノーベル賞は出なくなる!という危機感からのある本を書かれた先生の発表を聞きました。
数名の出席者は皆一流の大学に関わり、国際的な仕事をされている方です。
で、どちらかというと失敗した人を、救う西欧(そこからも超若いノーベル賞受賞者が出る)、若い人にお金をかける西欧、といった具体例が沢山出て、日本はダメなんですよね、みたいな話になって思ったのは、やはり根本論でした。日本社会を根本的に変えなければいけないのです。
どう変えるかというと、江戸時代より前に戻すことです。そんなに古くしちゃうの?ではありません。明治維新は江戸時代を引きずり、江戸時代は今と変わりません。その時代の儒学者の制度論を読めばすぐわかりますし、江戸の南北の奉行所は、明治維新後も、そのまま新政府に機能が引き継がれたのです。
これに対して、その前、つまり中世は実の世界です。失敗したって、今がよければOKなのです。わかりやすくいえば実力社会。鋳型にはめ込んだ、分を重んじる今の社会との対比は明らかです。
で、そういう偉い先生方に私は言いました。
皆さん素晴らしいんですが、アジアを知らないと処方箋は書けませんよ、と。頭の良い人こそ、よくアジアを、特に中国の歴史と今を見よと。
この点は先日のある代議士の会でも思いました。何しろエリートぞろいで、アメリカ、ヨーロッパばかりでは、ちといけません。
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Sunday, March 30, 2014, 09:50 PM
俗物とは何か、ということを考えた数日間でした。
というのは、昔左翼のあるお方とお話ししたからです。その方は、今やその左翼が右翼と結託しているため、自身も主流派です。
そして、そのような主流派を人類不変の原理から批判したリベラル派を、口汚く罵るのです。
そんなことを考えているところに、ある刑事事件の逆転現象がありました。そこへ出てきた弁護人も、やっぱり左翼です。しかし、今は同様に主流派です。で、多分、勲章をもらうんでしょう。もちろん、先のお方ももらうでしょう。
左翼がもらうなんておかしい、という私のような考えは、ほとんど消えかからんばかりの少数派かもしれません。
しかし、上記の現象は、上記の人類不変の原理からはおかしいと思います。
じゃ一体、人類不変の原理とは何かというと、一般的には西欧的価値観、デカルト、スピノザらに出るところ、と言いたいですし、我が国でいうと鎌倉時代の法観念と言いたいです。個人の尊厳を基礎に据えたそれは、やはり素晴らしいと思います。
これに対し、東欧、中東、ロシアでは、宗教改革がなく、ルネサンスがありませんでした。これが、いささかラフですが、私のいう彼らの後進性です。もちろん、個々的には例外があります。どころか、古いからこそラジカルに現状を変えようとした革命家や深い洞察をした思想家、小説家もいたのでしょう。
で、俗物は、そんな人類不変の原理になんて関心はありません。刑事事件で、無実の者が救われるべきだという基本も、一種のトレンドとして受け入れ、うまく世を渡っていくだけです。
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Monday, March 24, 2014, 10:27 PM
ウクライナの国境にロシアが軍隊を展開しているのは、盧溝橋事件前の北京近郊みたいなものです。
これまた、義和団事件のあとの駐兵権に基づくもので、今回のロシアと同じ。1900年から何十年も紛争の種を置いていたことが誤り。下の方に書いたとおり、義和団事件後のロシアのやり方をなぞったのが当時の日本と言ってよいと思います。利益線、生命線という発想も。
私はそんな盧溝橋や秦皇島、山海関、ロシアとの紛争地帯・張鼓峰などにも何度か足を運びました。以下の2004年11月4日の記事 に張鼓峰の写真があります。
http://hagakurebushido.jp/f_top.htm
要は、そんなロシア、あるいはソ連の真似をしたのが戦前の日本だったことを自覚し、こうした過去の例に学ぶことも重要です。
そんな発想になる民族は、契約や法律というものの重みを理解しない遅れた民族、ということになるでしょうし、また、国家という観念についても遅れていると思います。
民族自決という考えもあり、それは、米国のウィルソン大統領によって主唱された大正時代の一概念で、満蒙の独立などは正に支持したいと思いますが、ウクライナでは妥当しません。
そもそも一方には多民族国家という観念もあります。
昨日も台湾関係の会に出席しましたが、台湾こそ多民族の国家であり、これを民族のモザイクで分ければ、昔の蕃界というものを復活させる話になります。台湾には、昔はこの蕃界があって、その中には蕃界巡査しか住めませんでした。大日本帝国憲法の適用されざる地域とされたのです。その跡は今も台湾に残り、アメリカインディアンの保留地のような制度もありますが、普通の日本人観光客には、さっぱりわからないでしょう。
今回の韓国大統領との会談にしても外圧でやるようでは真に事実を把握したとはいえません。要は、国内問題こそ重要ともいえます。日本人が日本の過去の為政者の誤りを総括できない。死んで仏様とは別次元の話です。
そういうことのできない我が国民って本当に平和だなと思わざるを得ませんが、これを脱出し、真にグローバルな発想を持つことが、我々を世界に伍する民族にしてくれると思います。
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Monday, March 17, 2014, 12:22 AM
クリミヤ情勢は本当に色々考えさせられます。タタール系の人の中には日本人そっくりの人もいますし。
また、先日話したアメリカ人は、その前のロシアのグルジアに対するものが同一パターンだったとしきりに言っていました。確かにそうでしょう。
下の方にも書いたとおり、日本としては、ロシアが、義和団事件以降の極東情勢とそっくりの、文化人類学的に同じ行動を取っていることを注視すべきだと思います。
また、この行動は、ロシア・モンゴル(ロシア人の皮を一枚剥くとタタールが出てくると言われます)、北方中国、南方中国、台湾、日本という人類の行動様式を基準にした地政学的なものを発想させます。
一方、今日のテレビは理化学研究所の例の問題で持ちきりでした。おととい会ったある知人は、一月半ほど前、理化学研究所の偉い人に会った際、どんなもんだい、と自信満々だったのに、という話を披露してくれました。
まあ、マスコミの取り上げ方も上げたり下げたりがひどいのと、ネイチャーに載ったら、もうそれだけで裏を取るなんてことはしないんでしょうね。もちろん、こういう事案が裏を取るのに大変で、しかも同業他社に抜かれちゃ困るというのもわかりますが。
何でも、もっとじっくり考えることが大切でしょう。
そうそう、ここ何年常に思うのは、演繹ということの大切さです。一つの見方として、世の中が帰納的になりすぎているからあんな事件が起きるんじゃないかと思うことしきりです。私の本業の法律もそうで、大正時代後期以降の判例研究なるものが花盛り。いささかラフに言えば、それを並べて「分析」するのが判例研究、とか。法科大学院で、中学か高校の文化祭の発表みたいなゼミをやらされそうになって参ったのはずいぶん前でした。
判例よりも、元は法律の条文なんですからね。
この条文というもの、私の昔の裁判長M判事(のちに筑波大学教授)が、民法587条の消費貸借契約の要件は、何千年前の中東の粘土板から続いてきているのであって、単なる気まぐれでできているのではない、という趣旨のことを本に書かれ、条文を軽んじる最近の傾向を嘆いておられますが、正にそうだと思います。
集団的自衛権の解釈変更なんていうのも、全くそれと同工異曲。法律に対する見方も、日本の周りの国を笑えないレベル低下です。
そんなわけで、何のカンのと、話は繋がっていきます。
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Monday, March 10, 2014, 12:41 PM
先日、元総理大臣の講演を聞きました。
彼は、自身は「穏健保守」だそうで、今の状況は「陰険保守」が跋扈している、これを是正しなければいけない、と言っていました。
私もそのとおりと思いますが、その穏健保守は、自身のよって立つべき基軸がわからないというのが現在の状況ではないでしょうか。
私に言わせれば、基軸は単純に日本的に生きること、ということになるわけで、それこそ自身を大事にする保守だと思うのですが、この「日本的」が何かがわからない。その原因は、とりあえずは教育・マスコミにあると思います。単に日教組とかいうのではなく。ただし本当は、教育などに責任を負わせるのはある意味気の毒で、明治維新を奉る江戸以来の罪だと言ってよいでしょう。
多くの人が思う「日本的」は、「着物」に代表されるとおり中国からの貰い物です。以前の掲示板(2006年9月4日)に、漢の武帝の墓の近くの資料館で見た着物を貼ってあります
http://hagakurebushido.jp/f_top.htm
過去の掲示板リンクの該当ページをクリックして下さい。
私のいう日本的は、鎌倉武士の生き方であり、中世武士の生き方ということになりますが、ここで引っかかるのは南北朝の正閏論。詰まり、南朝こそ日本の正統で、北朝や鎌倉幕府はそれを押し込めたひどいやつ、という議論です。
でも、後醍醐天皇の絵を見ればわかるとおり、彼は冕という中国の冠をかぶった非日本的な発想の人なのです(これをいやいや日本の独自性がある云々などというのはいわば強弁です。目の前に糸みたいなものを垂らしたあれですから)。書体にしても、北朝の天皇の方が和風です。
しかも彼の大義名分論は、それこそ中国の宋からの受け売り。
南宋の首都杭州の西湖のそばには小さな橋がありますが、この橋を挟んで男女がその思いを遂げようとして行きつ戻りつ、みたいなことをした話があります。これこそ一種の恋闕(意味わかりますか。2・26事件に関わる青年将校の本の題です)みたいなものです。この発想が北の金や元への激しい発想になり、ひいては明治維新前の志士の悲憤慷慨に繋がっていったと思います。それは北京オリンピックにまで繋がっています。浙江省出身の彼が手がけたのがあの開会式ですから。
こういうことは、中国をよく見なければわからず、結局は自分というものもわからないのに、あそこは嫌いとか、行ったことないとか、アメリカ好きとかやっている多くの論者は、いわば小学生時代の私のような発想なので、何とか大臣以下、保守は益々奇妙な中国化になってしまうのです。
下に書いた、真崎勝次少将のように、しっかりロシア語を物にしてロシアを批判するようじゃなければだめ。ますます内向きになるわが国民は困り者です。
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