Sunday, December 22, 2013, 07:29 PM
関西に出張しました。
大阪から東京に向かう新幹線。左は山崎。右には男山が見えます。この山に鎮座するのが源氏の守り神・石清水八幡宮ですよね。
この八幡宮という存在。明治維新までは八幡宮寺、つまり寺だったことはちょっと勉強した方はご存知でしょう。それを神社というか、神道に変えさせたのが廃仏毀釈です。
私が小学校に入る前、以前も何度も書きましたが、祖父が私を真崎勝治海軍少将の家に連れていきました。兄の真崎甚三郎大将が、2・26事件で予備役編入された時、弟である少将も予備役編入となりました。そのまま現役であれば、大将まで登ったであろうと言われます。私が会った時は衆議院議員でした。
この真崎少将は、戦後、旧制松本中学の校長・清水謙一郎先生との縁から、長野県の松本、大町方面で相当回数の講演をされています。
それは、一部本にもなっていて、私はそれらから大きな影響を受けました。
その一冊の中で言われている日本の敗戦の原因の1つが廃仏毀釈です。
日本には古来、神道というものがあった(これの元を探るのは難しいですが)。それはシャープだけれども血の、つまり血縁の宗教であり、排他的になりやすい。そこで、聖徳太子が出られて、平等を標榜する仏教を取り入れられ、規律と平等の、いわば幅の広い国にされた。それが、明治維新後、日本こそ最高、のような夜郎自大の発想から、1000年近く続いた神仏習合を分離し、日本こそナンバーワン的な発想になったのが、第二次世界大戦に敗れた大きな原因である、という考えです。
聖徳太子が建てられた四天王寺の西側に、日本で最も古い鳥居が建っていることも思い起こされます。
八幡宮のいわれは、中野幡能という立派な先生の研究によれば、新羅の金属関係の能力に秀でた工人らと関わり深く、宇佐八幡宮をはじめとする九州の山岳信仰と韓国や山東半島との共通性もうかがわれます。
この金属の技術は奈良の大仏様に結集し、よって、大仏様の東側には、手向山八幡宮が現に存在するとおりです。
こういう、正に日本人の世界的な幅の広さを圧殺し、昭和の歴史でも、仏教という世界宗教に目を開かれていた真崎大将らを、教育総監罷免、という形で圧殺して、これを憤った相沢三郎中佐の事件、それを応援していた青年将校らを2・26事件を種に葬り、ついには、正に夜郎自大としか言えない中国本土、どころか、北部、南部仏印進駐。シンガポール、果てはビルマ(ミャンマー)、あるいはハワイ、ニューギニアにまで兵を進めて、世界を敵に回し、日本を潰させたのが廃仏毀釈、つまりは夜郎自大の成れの果てです。
こういうことをきちんと研究もしなければ、原典にも当たらないし、人にも会わない(今や会えない)、そうして、日本が最高みたいな発想が再び出てきた最近の風潮はおかしいと言わざるをえません。
正しい日本食なんて言っても、会席料理は禅宗の懐石料理に由来するんでしょうし、砂漠の中で刺身というわけにはいかない。
それこそ鍋島直茂、伊達政宗の「実」の発想から、実態に合わせて機能的にものを考えることができるか否かこそが大事だと思います。
| このエントリーのURL
Saturday, December 14, 2013, 09:28 PM
今日は12月14日、つまり赤穂浪士の討入りの日です。といっても、旧暦が本当ですから季節的には不正確ですが。
で、この47人、あるいは46人の内の武林唯七のおじいさんは明人で、孟子の子孫・孟ニ官であった、ということは有名です。私が持っている木版刷りの江戸時代の本にも書いてあります。
どうして武林になったかというと、出身地浙江省の杭州に、武林門という門があり、今は武林広場とかがあります(Google earthで見ると、すぐわかります)が、それにちなんでの武林です。
この博物館に書いたとおり、この頃、万単位の明人が日本にやってきたと言われています。しかも、佐賀で言えば、武富廉斎(その子孫は、大隈内閣の大蔵大臣武富時敏さんとかトルコ大使の武富敏彦さんとか)をはじめとする超優秀かつ影響力のあった人々です。
この事実は全国的であり、極めて重要ですが、私は学校では習いませんでした。
日本人のルーツは基本的には大陸にあり、それを前提としなければ様々な事象も判断が狂うのに教えないのは、何か自信のなさを物語っているような気がします。
しかし、だからこそ私は、この列島に住んだ祖先が、自分の頭で考えて自分の身の丈に合わせ、しかも世界に誇れる、オリジナリティを発揮して創造したものは何かを追求しているつもりです(結論?[いやいやそう簡単に結論は出すべきでないとも思っていますが]は、この博物館に書いてあります)。それが真に役立つ民族主義です。
ここの所の発想自体が分からないと、今流行りの、日本は最高だ、のような日本のものではないものを誇る滑稽なものになってしまいます。
| このエントリーのURL
Monday, December 9, 2013, 04:00 PM
今日は12月8日。70年以上昔の日米開戦の日です。
で、私が会った旧軍人(といっても、最も密接であったのは一親等の親族)のことを思い出していました。私もいよいよ持って語り部の世代に突入か。というわけで、ちょっと。
何人もの有名な元軍人に会いましたが、偉いな、と思った1人が辰巳栄一中将でした。陸軍の将校クラブ偕交社(といっても今とは組織が別で、九段の坂の途中に立派な建物がありました)の理事長時代で、穏やかな武人でした。
中将が最も尊敬されたのは確か吉田茂、それに本間雅晴中将、真崎甚三郎大将だったと思います。真崎大将と私の祖父は極めて親しく、私は大将の息子さん、つまり、昭和天皇の通訳をされた元アフガニスタン大使秀樹様と親しく接しました。大将の弟さん真崎勝治少将(当時、衆議院議員)からは、小学校の入学にあたり洋服をプレゼントされました。
この人々、特に吉田さんと、真崎大将、近衛文麿さんらは、戦争を始めたくなかった、あるいはストップをかけたかった一連の人々です。
それは、開戦以前もそうですが、開戦後、最早戦争遂行能力のなくなった国であることを自覚していた人々だからです。
それに対して、「死なば諸共」などと言いながら、彼らを憲兵を通じて弾圧し(元憲兵にも何人もの知り合いがいました)、戦後米軍に踏み込まれるまで腹も切らず、医者に印を付けさせて拳銃で撃ち、急所を外れて逮捕されたのが東条英樹でした(その東条の弁護をし、衆議院議員議長までやった立派な人、清瀬一郎さんのご子息とはご町内でいつも食事をしたり、同じ大学で教えたりのお仲間だったことは以前も記しました。本当はもっと関係ありますが)。
この辺り(もちろん括弧の中の話じゃなくて)が今の情勢では、極めてあやふやです。全然、けじめがつけられていません。
それは、国というものに対する観念が機能的でないことによると思われます。国という観念をまずは立てるか立てないか。立てるならば、それをどういう存在にするか、あるいは考えるかです。
会社と同じく、国観念の歴史も、邪馬台国や朕は国家なりのルイ14世などを除いた近代国家としては、そんなに古いものではなく、17世紀が良いところ。それは、あくまでも国民を守るべき存在であって、ドイツのように、そのために死ねなどというのは、決してポピュラーではありませんでした。
ところが、日本は後者ですし、ドイツのベルリンなどに行きますと、日本同様(というか日本が輸入したと思われます)、ドイツ軍の少年兵が成形炸薬弾を先頭に付けた棒で戦車への体当たりをした遺物などが置いてあります。
これは、上記の人々の、真崎大将らへのいわば反対派がやったことですし、しかも、そのことの責任を取らず、あるいは戦争終了後、若い人を道連れにそんなことをした司令官までいた。これは、世界に恥ずべき一種のそれこそテロ行為です。
今の日本が、こういうことをきちんと清算し、正邪善悪の反省ができている社会なのかが問題ですが、このところの政治情勢は上記の人の子孫が関与していても、彼らは全く学習できていないと言わねばなりません。
近頃の何とか法。
以前も、これまた最近話題に登っている新右翼のKさんと誌上対談をした折、私は憲法改正について、日本が今のような病気の身体で重たい鎧を着たのでは転けちゃうのでは、と言ったのですが、益々病気が進んでいる今、それを使いこなせるとは思えません。既に存在する守秘義務条項のある国家公務員法の運用さえまともでなかったことは、ついこの間もはっきりしたばかりですし。
要はああいうものを作る人士の中にあるアプリケーション志向、あるいは、史記・大日本史・国定教科書ばりのお話し国民性が問題なのです。美しい国とか、世界遺産とか、おもてなしとか。
沖縄の島守と呼ばれた島田叡さん、つまり終戦直前にあえて沖縄に赴いた沖縄県知事は、その前、佐賀県警察部長で、私の祖父とも関係がありました。もちろん、戻ってはこられませんでした(その本も私は持っています)。
こういう覚悟を持って政治、あるいは戦争を考えることを今の政治家がなしているのか。
その昔も、本当に考えていたのは第一線で戦死した人や2・26の青年将校みたいな人達だけでしょう。「僕は実は天皇陛下の為に死ぬなんて思っていなかった」などとしゃーしゃーとして述べる戦争世代には、そういう人士に限って出世?しているので、腹が立つ以上のものを覚えます。そういう老人に若い人が騙されてはいけません。
で、そんなことを思う少し前、南アフリカのマンデラ大統領が亡くなりました。
27年間の刑務所生活、本当に大変だったと思います。
何十年も前、バブルのせいでニューヨークの最高級ホテルに泊まった折、部屋を出た途端に黒人のメイドさんがずらっと並んでいて、一瞬びっくりし、かつ恥じ入った次第です。
その後、何人もの黒人の先生にいろいろ教えていただき、南太平洋の島にステイした時には、ママから日本人はいいわね。私たちはブラウンだから、と言われて困ったりしたこともありましたが、縁戚は黒人の人とも結婚しているし、昔とは違っている自分が嬉しいです。
マンデラ大統領が、自らが大統領になってから、和解を説き、報復を禁じたことにも正に打たれました。
で、マンデラ大統領に重ね合わされたのが台湾の人達の「緑島」生活でした。何人もの知り合い、と言ってももう亡くなりましたが、この、島全体が刑務所の島に送られました。私がのほほんと(でもないか)成長している最中に。
その仲間の1人の人が詠んだ歌が、前も記した「血の祖国 法の祖国の虚しさよ 我が憧れるのは 心の祖国」です。
この心の、真に助けあう精神の国づくりができてこそのなんとか法、でしょう。その昔の教科書には、イギリスのデーリーメールのオーナーだったかが第一次大戦の実情を報じることによって、イギリスが態勢挽回できた話が出ていましたが、日本の大本営発表は秘密どころか嘘を並べたくっていたのです。このことも清算未了です。
ずいぶん長くなったので、この辺りでやめますが、とにかくなってないと言わざるを得ません。
| このエントリーのURL
Saturday, November 30, 2013, 09:23 PM
その昔、法律の入門部分を教えてあげたAさんに久しぶりに会いました。
彼曰く「最近は何だか自分の方がおかしいんじゃないかと思って、法科大学院で教えるのもやめちゃいましたよ」と。
いやいや同感。あるいは、同じ発言に同世代との会話で出くわすことは多いものです。
それはどうしてなんだろうかと思いますが、つまるところ考える教育ではなくて暗記する教育というか、あるいはマニュアル教育が蔓延しているせいじゃないかと思います。
その昔、仲良く?させていただいた零戦の撃墜王坂井三郎さんと話をしていて、つくずく思ったのは、この世の中は戦闘機のバトルと同じだなということでした。なぜなら、縦横高さの三次元に時間が加わり、それに意志力が加わるのが戦闘機の戦闘だからです。そして、旋回力に長けた機体と遭遇すれば、将棋と同様、突如歩が金になります。
つまり我々法を使う人間は、事象を概念化し、将棋と違って、平面に縦と時間が加わる4次元の上で、かつ地球という無限の盤の上で勝負する。
当然、暗記は役に立ちません。考える力によるはずです。
なのに最近は、マニュアル化、暗記化が酷すぎで、しかも、変な暗記をしている人間は正にオタクで、まるで共通の場で話ができません。
そして暗記なので、必然的にステレオタイプの発想しかできません。好き、嫌い、何とか派。
おまけに概念化が極めて貧弱で、西洋譲りの発想から、西洋とは違うのに、中国では、韓国では、という目も鼻も口もない相手を乱暴にワンフレーズで片付け、分析できません。
などと、正に慨嘆していたら、先日、同郷の元防衛省分析官N氏の話を聞き、やっと頭が整理される思いをしました。
少年工科学校から分析官にまで至った彼、なかなか聞かせる冷静な分析。
ま、ああいう人もいることに、少し頼もしい思いをしました。
| このエントリーのURL
Saturday, November 16, 2013, 07:47 PM
秋は叙勲のシーズンとかで、ふと気がついたのがいわゆる左翼系でならしたお方。しっかり、旭日・・をいただいていました。そういう人は、今まで何人もいたわけだけれど、今更ながらその節操のなさと、そういう人が引き起こした事件で死んだ人々のことを思い出します。あるいは、考えは間違っていたとしても、その節操だけは曲げずにいる善意の人のことも。
一体、どうしてああも簡単に節を曲げられるのか、それこそ善意で考えれば、考えが浅い、ということになるのでしょう。
この考えの深さというか頑固さも、一種文化人類学の対象になるような気がします。日本の周りでは、韓国の方が節を曲げない代表でしょうか。
しかして、この民族はやはり北方のツングース系。それは、チマチョゴリをみればわかりますし、遺跡を掘ってみると、特に新羅地方が北の影響を余計に受けているとか。そのことは、逆に山東半島と百済の関係からも頷けます。
そして、ツングース系は、その西の遊牧民族と親戚ですが、その北に位置するロシア民族の深さと激しさにも通じているような気がします。この流れは、遥か西に向かい、ベルリンのニコライ地区にはスラブ民族の色々なものがありました。
で、そんなことを前提に、昔、東大の左翼学生のトップが、今は右よりになっている(ひところは極右)その人が、しきりにインテリゲンチャ、インテリゲンチャと言って、いたことを思い出しました。
農奴制、ナロードニキ、といったいわば身分制を前提としたロシアの革命運動は、上からの指導という観念を持っており、彼の発想は、所詮、宗旨替えをしても、若き日に勉強したロシア的なものから抜け出ていないのだ、と思います。
我々の恩師の時代は、ソ連をいわばお手本と考えた人も多く、どころか、ひと頃は大部分ともいえましたから、あれを清算するのは大変なんでしょう。
一方、彼のような元左翼じゃない方は、思考パターンが中国伝来であることに気づかない保守なる人も多いものです。
真の日本の追求、それには、やはり、周りもよく見てみること、それが必要です。
| このエントリーのURL
Monday, October 28, 2013, 10:52 PM
あるアジアの人のことである役所に行ったら、当然、こちらの言い分は認められるべきケースなんですが、担当者は、何とか認めない方法はないかと四苦八苦。
で、依頼された彼に、「お国でこういうケース、何か差し上げると通るの?」と聞くと、「多分通ります」との答えでした。
でも、日本では差し上げるのは一応ご法度です。
以前、別のアジアの国の人、似たようなケースで、「うちの国では差し上げるとやってくれますよ。だって、苦労して下さるんですから、当然ですよね。この間も、母が差し上げで、ちゃんとやってもらいました」と。
差し上げるのが徳のある人って感じでした。現に、その母上の病気に、直ちに帰国。戻ってきませんでした。
日本では賄賂はない、が一応の原則ですが、逆に、賄賂がないから「やらない」という現象があるのでは、どちらがいい?のかわからなくなります。
まして、本質的な随意契約が、おおっぴらに、さも合理性あるかの如き装いをもって行われている分野もあります。
いささか抽象的に書きましたが、こういう諸事象を見ていくと、本当に日本は綺麗な国か。綺麗そうに見えるだけか・・・・。正に「アジアは一つ!」ではないか、の感を深くするわけです。
どっちにしても、これぞ、武士道とは何かを考える材料であることだけは確かでしょう。
| このエントリーのURL
Monday, October 21, 2013, 10:57 AM
たまたまテレビを観ていたら、放送大学をやっていました。
明治時代の話で、日本の大陸政策を紹介するものだったので、「ふんふん」という感じで観ていたら、1人の先生がしゃべったと思ったらもう1人の先生がしゃべる。広島大本営の跡に2人で立って、交々「紹介」する。
これって大学の授業なのかな、と、疑問を持ちました。大学は考える所ですから、当然、一人一人で説が別れるはずです。2人で一緒にその説を紹介できるはずがないでしょう。
よくよく聞いていると、「あれがありました。これがありました。」の羅列です。本当にあったかも問題ですが。そしてついには、明治天皇紀というのがあって、中身は非常に面白い、というお説。そりゃ、面白い筈ですよ。だって紀と付いているとおり、元を正せば中国の史記的な本紀としての伝記で、「お話し」なんだから。ましてやあれは原典でもないんですから。問題は、それを鵜呑みにせず、検証するのが大学じゃないの?というのが当たり前の発想と思うけど。
困るのは、あの発想が標準化してしまうと、学生もそれでいいのか、と思ってしまう(というと、学生さんに失礼?)のでは、それでは、学問としての進歩がないということです。日本の全体的創造性に水がさされます。
因みに、1人の先生はテレビのコメンテーターか何かでよく見る人。でも、いくら忙しくても、あの手法はないよね、と思いました。
| このエントリーのURL
Monday, October 14, 2013, 12:01 PM
しばらくお休みしていると、何人かの人から何処かに行ってたんですか、と聞かれました。いえいえ、せっせと仕事をしてただけですよ、と。
そして久しぶりに、ご町内のラーメン屋さんに。東南アジア某国からの政治難民であるNさんからも、心配してたんですよと。Nさんは、故国の政治情勢の変化に応じて近々帰国するそうですが、大使館に出頭するとごっそりお金を取られるので、日本の入管に出頭して、しばらく牢屋に入り、強制送還で帰国することにしたとのこと。その国では、在日の国民は毎月大使館にお金を払うことになっています。
そこへいくと、日本人の平和ボケぶりは、いよいよ病膏肓に入るかなと思わざるを得ません。オリンピックが来る、というので喜ぶのはよいとして、その後のことはやはり考えなければ。
昭和39年の東京オリンピックは中学2年生の時。あの時の貧しさから立ち上がった日本は素晴らしかったです。東洋の魔女の1人、旧姓河西さんが先日亡くなりましたが、女子バレーの優勝は、真に国民全体の願いだったでしょう。全くの仕掛けもわざとらしさも無く。
それから10年くらいして、大松監督とお酒を飲んだことがありました。もの静かで、鬼の大松のイメージはありませんでした。
昭和45年になると、世情は学生運動、70年安保で騒然とする一方、大阪万博が。その頃、首相は昭和元禄田舎芝居と。そしてそのあと、列島改造を経て、バブル開始まで長期の不況に突入したわけで、私も造船不況などに絡む相当な案件に関与しました。でも、まだまだ日本は若かったので、何とかなったと思いますが、問題はこれからの日本でしょう。
この少子高齢化、人口問題という基礎的問題を克服するには、日本人が国際的にならなければいけない気がします。国際的というのは、東だけではありません。アジア全体です。
CNNやBBCをみればわかるとおり、中国のプレゼンスは極めて高まっています。アメリカの関心は中国に向かっているのに、一部知日派?のアメリカ人から褒められて、「日本では」などと、頓珍漢な日本の売り込みをしていたのでは、より多くのアメリカ人の失望をかうだけだと思います。
元祖民族主義?の私としては、だからこそ、真の日本とは何か、又、その問題提起自体どうあるべきかを長いこと考え続けてきたつもりです。端的な話、擬似中国のものを日本のものという一部人士の言は滑稽です。日本人自体が日本とは何かがわかっていない。
要するに、アジアに広く目を開いていないからです。
日本の首相が、このところ東南アジアの中国の周囲を歴訪し、上手く行ったなんて言っていましたが、最近、中国首相は、タイ、ベトナムを回り、ベトナムともしっかり握手しました(少なくとも外見は)。
タイもそうですが、ベトナムに至っては、中国南部の人たちはほとんどベトナム系です。ミャンマーにしても、北部は中国と関係深く、例えば日本が第二次世界大戦で駐留し水上源一中将の自決で有名なミートキーナ、今はミッチーナは蜜支那です。アメリカとイギリス以上の、血は水よりも濃し、の関係があります。
そういうことを官僚が政治家にプレゼンして、真に勝てる戦略を組まねばならないのに、以前書いたとおり、何代か前のベトナム大使のお粗末ぶりには呆れましたし、そういえば、昔、憲法の勉強会をしていた時出会ったタイ大使もおかしかった。何人もの大使を知ってはいますが、ちゃんとした人ほど不遇な感じで、これは役所の組織に問題があるとしか思えません。
結局、外務省にしても何省にしても、入省したら、若いうちに、世界放浪の旅でもやらせれば宜しい。それに耐えられない官僚は失格。
その昔、満鉄調査部なんていうのがあって、尾崎秀実などという人が、その悲劇的死もあって有名ですが、所詮組織人のせいか、書いたものを読んでもピンとこない。むしろ、上海にあった東亜同文書院の学生が、牛車に乗って旅行し調べた「大旅行」の記事こそが役に立つ。
昨年の台湾旅行で、100人200人の19・20歳の尼さんと一緒に食事をしてショックでしたが、今年は他の台湾人からそのことについての貴重なコメントも得ました。単なる親日なんていう薄っぺらなものではない本当の情報を得て、それを分析する力がこれからこそ求められています。
| このエントリーのURL
Wednesday, September 18, 2013, 07:17 PM
近頃やたらに流行っているものに、「遺産」があります。このままだと日本中が遺産になりそうです。ついには八幡製鉄や三菱の長崎造船所まで遺産にしようという話とか。
この傾向は危険です。だって遺産じゃ食い潰す、つまり直接的には観光しか飯の種にはならず、製品を本当に生み出し、ご飯を食べようというのなら、遺産なんかにしている暇はありません。もっとよいものにリニューアルしていくだけの話です。
そして、こういう発想の奥には、私がいつも書くお話の歴史、あるいは美談大好きの、止まった発想があります。すごかったんだ、誇りを持とう、なんていうのは子供の発想(子供に失礼)です。
もっと機能的にものを考えようよ、と言いたくなります。
| このエントリーのURL
Monday, September 16, 2013, 10:23 PM
この間、頭にこびりついていたのは、過日滞在中に起きていた台湾の監察院のゴタゴタでした。院長と監察委員との対立です。新聞を置いてきたので詳しいことは忘れましたが、このゴタゴタで野党は、監察院なんてやめて立法院で監察せよと主張しているようでした。
孫文の考えにならい、立法院、行政院、司法院の他に監察院と考試院を置く最も東洋的なやり方が台湾です。
しかし、何十年も前に会った大学の先生は、やはり、「あんなものいらない」と言っていました。
あくまでも個人の責任に依存する、そのような制度がよいのか、一種の委員会方式に近い立法院による議院内閣制によるチェックがよいのか、一個の問題です。
結論としては私も廃止の方がよいだろうと思いますが、そういう基本的制度論を国民がワイワイ議論していることはよいことではないかと思います。
どこかの国のように、機関の機能はそっちのけにして、形だけ整えようというのではないだけましな気がします。
閑話休題、もう一つ。
今、読んでいる一冊は「台湾海峡1949」。台湾、香港で42万部売れた大反響の本とか。
確かに読ませます。筆者は外省人系の女性で、本省人と長く付き合ってきた私からすると馴染みがないし、むしろ反発する友人も多分いるでしょうが、重たい。
まだ半分も読んでいませんが、国共内戦のさ中、台湾を足がかりに沢山の人が死に、別れ、会った話。同様のことは、戦国時代の真田家の分離にもありましたが、別のベトナムの友人のおじさん。ベトナム戦争における北に行く兄と南に行く弟の別れ。かと思えば、中国大陸で別れた日本軍の戦友の死をサイパン島に観光に来た友人が正に現地のツアーで知った、なんていうこともありました。あれも劇的でした。
全て戦争が絡んでいます。私はありがたいことに、その局面には関わっていない。でも、今現在、そういうことが世界のどこかで行われていることを忘れてはならないでしょう。
| このエントリーのURL
戻る 進む