Wednesday, June 5, 2013, 11:25 PM
心配していたトルコがちょっと困った状態に。日本人だったらオリンピックができなくなっちゃうんじゃないか、なんてところに頭が行くかもですが、当地の人はそれどころではないでしょう。やはり日本は平和ボケです。
下のサイト「東方からの見聞録」にアタチュルク廟の写真を貼ってあります。
トルコ族は古くは突厥。日本と同じく元々姓はなく、トルコ語の並び方も日本と同じとか。
昭和初年に日本が影響を受けたケマルアタチュルクの改革が後退しないよう切に祈りたいと思います。
世界的見地から色々なことを考える 「東方からの見聞録」
http://kamura-lu.jp/
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Tuesday, June 4, 2013, 09:04 PM
世界を400回以上めぐり歩いたというKさんとの話は面白いものでした。やはり視野が広いということは良いことです。
そして、深謀遠慮という言葉は大事でしょう。特に政治家には。
しかし、深謀遠慮のためには勉強が必要です。その勉強とは、何かの知識を仕入れるということではありません。何かを生み出すということです。
その方は、その昔、湯川秀樹博士にも会われたそうですが、湯川博士も正にそう言われていたそうです。
そこへいくと、最近の教育には創造性ということが相当欠けているような気がします。
世界的見地から色々なことを考える 「東方からの見聞録」
http://kamura-lu.jp/
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Thursday, May 30, 2013, 09:34 PM
どうも、「武士道」なるものをランニングしていくことは難しいもので、特に、世界的にみると、アジアでは軍国主義と誤解されてしまう傾向があります。だからこそ、真の武士道が大事ですが、これも、例えば川島芳子のいう武士道の場合、その中味は立派ですが、彼女の置かれた立場と経歴から、これまたあらぬ誤解を生みます。
しかも、最近の世間の雰囲気は、ますます誤解を増殖する傾向にあります。
で、ちょっと前から構想し、ボツボツ始めていた「東方からの見聞録」のURLを下に掲げます。この博物館に対する誤解を解くという意味よりも、もちろん、積極的にお客様の視野を広げていただく意味が強いものです。
世界的見地から色々なことを考える、「東方からの見聞録」
http://kamura-lu.jp/
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Sunday, May 26, 2013, 08:54 PM
今日は、海兵出身の大先輩に会い、その頭脳明晰かつ人格の立派なことに改めて感動しました。そして、もっと若い私の年代で、中近東に長く滞在された方にも会いました。その方の話の始まりは、ミナレット(塔)から一日何回も流れるお祈りの話でした。
私も、あの辺りに行ってみて、あちらのミナレット、こちらのミナレットから一斉に流れてくるお祈りの声(スピーカー)にはびっくりしました。
しかし、そのような世界なればこそ、ケマル・アタチュルクの行ったトルコの政教分離には、正に感動します。彼こそ、アジア最大の偉人ではないかとさえ思います。
アンカラのアタチュルク廟には、彼の行った事績が写真などで説明してありますが、女学生がブルマーをはいて腿を出しての軍事訓練をしていた写真には驚きました。やっと最近、スカーフをしてオリンピックに出ている国もあるのに。
昭和の初めには、橋本欣五郎大佐など、ケマル・アタチュルクの影響を受けた人物がいたせいか、日本でも似たようなスタイルでの訓練は行われたようですが(母の世代)、ところは中近東です。ケマルパシャがケマル・アタチュルクになったのも、彼が姓という制度を作らせたからですし、文字のABC化、トルコ帽、スカーフを取らせること、などなど驚くばかり。
そういうトルコの素晴らしさに目がいかず、過日のようなことを言う東の首長にもやれやれという感じです。
いわゆるエライ人になってしまうと、実態を見るのは難しいということでしょうか。
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Friday, May 24, 2013, 11:34 PM
世界で一番古い憲法を作った国は?アメリカ(の州)ですよね。アジアでは、トルコか日本か、というところ。で、憲法というもの、最も基本的には、統治の組織や作用を定めた規定であって、いわゆる人権に関する規定はアメリカ憲法に見られるとおり、あとで付加されたものです。修正何条とかありますよね。
この下に書いた、例の慰安婦問題、「女性蔑視」と非難するだけでは、人権規定でワイワイいうだけに他ならず、統治の組織や作用を云々し、基本的な国家の仕組みから考えようという発想になりません。
確かに、憲法の勉強をしても、統治の組織や作用をについて理解するのは難しいともいえます。
しかし、私にとってはそちらの方がよっぽど面白かったと言っては何ですが、興味がありました。
そして、そうならなければ憲法について真に考える事はできないと思っています。先の政権交代が結局うまくいかなかったのは、この骨の太い、今とは別の統治の仕組みを、基軸から打ち立てる事ができず、せいぜい人権レベルにとどまってしまったことに原因があるように思います。
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Monday, May 20, 2013, 11:47 AM
ある知り合いは、戦前、旧満州で防疫の部隊にいました。それで、別のある人と、細菌戦の研究をしていた部隊について話した折、「そんなことをして喜んでいたのね」と。「いや、違う。正に大真面目だったはずだよ。何しろそれが大御心に叶うことと信じて行っていたんだから。それくらいあの時代、あるいは社会は普通の人智を超えていたんだよ」と。
今度は、テレビを観ていたら、件の市長、「弾がバンバン飛んでくるようなところで戦ってるんだから、何とかは必要だった」。
これじゃ、猥褻罪が問題になった「壇ノ浦夜合戦記」の話。強いて言うなら、この博物館にいう中世武士道か。
でも、現実は弾がバンバンなんていう戦争はほとんどないし、以下の身内の戦争では、昭和18年も押し詰まった北ビルマの戦場の日本軍には、正に撃つに弾なしで、毎日米軍のカーチスやB25やなどの餌食となる始末。そのうちウィンゲート旅団の空挺部隊に退路を絶たれ、遠く雲南まで迂回。
彼や老人の言は、全く戦争の現実を知らず、戦死者を冒涜するもの。
いけないのはこれについてのマスコミのコメント。
女性蔑視、レベルのことしか言えない。上記の防疫部隊へのコメントと同じです。これを本当の平和ボケという。
もっと根本的な、軍人勅諭という法的存在によって規定された国家の仕組みの問題なのです。
その点では「などてすめろぎは人となりたまいし」と抗議した三島由紀夫の方がよほど正確で、彼が今回のような発言を聞いたならば、決して許さないと思います。
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Tuesday, May 14, 2013, 10:34 PM
毎年旅行に同行する元ルーマニア大使のOさんは、子供の時、済南事件に出くわし、その折の日本の軍人の態度の立派さに感動を受けたそうです。歴史の本には色々書いてありますし、大きな政策的問題はありますが、いわば日本の代表だったのです。もちろん慰安婦なんていません。私の一親等の身内は、ビルマのフーコン作戦(大きく言うとインパール作戦の一部で白骨街道を現出)に従軍し、陸軍省への転進を命ぜられ、輸送船で海南島の近くに差し掛かった時、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて撃沈。17、8時間の漂流の末助かりました。その輸送船の底には何人かの従軍慰安婦がいて、皆、海の藻屑と消えてしまったそうです。
北ビルマのフーコン作戦は18師団、つまり菊兵団であり、天皇陛下のご紋章をいただいた兵団としての強さと誇りを持って従軍したのです。我が身内も死ぬことしか考えていなかった。陛下のためです。なのに、シンガポールの兵営に東条の巨大な写真があったことに最初の違和感を覚えたとか。
それが、大阪市長だかそのシンパだかの言っていることは、実情を知らないとんでもない妄言です。菊兵団の北ビルマ奥地で戦った身内の兵団にはそんなわけですから従軍慰安婦何ぞいません。いたところもあります。全部いたなんてとんでもない。だったら靖国神社の英霊は皆従軍慰安婦にお世話になったのか、なんていう話です。正に戦死者に対する冒涜です。靖国神社の英霊は皆そんなことをしていたとでもいうのでしょうか。
こんなことだと、おじいちゃんが戦争に従軍した孫は、とんでもない誤解も抱くでしょう。
これだから戦争を全く知らない若者、そしてそれに同調する年寄りぶった人間どもには、大なる問題を覚えます。陸軍刑法、海軍刑法、軍法会議、戦時国際法の意義も分からず、先祖を貶める。自衛隊法を苦労して作った先輩の意図も分からず、現役自衛官を貶める。それでいて名前だけは勇ましく変えようとする。
正に極限まで法的存在であった2・26事件の青年将校なら、絶対にこんな妄言は許さなかったでしょう。保守などという言葉に騙されてはいけません。
法的国民ではなく、情緒の、お話の国民であることの面目躍如!?
靖国神社や日本遺族会こそ断固抗議すべきなのですが、まさか何とか恩給で骨抜きにされているわけではないでしょうね、と言いたくなります。
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Saturday, May 11, 2013, 05:15 PM
近頃流行るものは「キャッチフレーズ」かなと思います。2・3日前に飛び交ったのが「国益」。「固有の領土」とかいう余り世界でには通用しない観念もアジアのあちこちで使われています。
株主総会シーズンが近づいて、「株主平等の原則」。
株主は別段平等ではありません。同じ種類の株式ならば、「株式」が平等でなければいけない。いや、株式は人間じゃないんだから、むしろ株式は財産権の対象として、価値が同一であるべきという当為でしょう。分かりやすくいえば、財産権の侵害は許されません、というだけのことだと思います。益々難しくなったかもしれませんが。
こういうキャッチフレーズは便利です。また、分かったような気になります。
一緒に本を書いていた同業のAさんが最高裁判事になりました。彼はその辺のセンスがよくて(よくないと困ります)、最近の分かりやすそうな?法律の本を「麻薬」と言っていました。正にそうだね、と応じました。法律の本も最近は横書き、あるいは絵入り、カラーまで。何となく分かったような気になるだけです。
昔の法律の本は、何を言いたいのかさっぱりわからなくて、初めて読む頃は、こちらはノイローゼ状態。しかし、ある程度のところまで理解すれば、今度は自分で考えることができる。
「麻薬本」の場合は、時に重要フレーズが抜けている。法律は概念の数学である、とも言われるわけですから、その概念が一つでも抜けていたら、ロケットでいえば爆発を起こす。この話も神戸大の先生と話したことがありますが、我々は少数派?かもしれない最近の状況。
日本人が、キャッチフレーズに騙されない国民になることが、断固必要かと思います。
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Wednesday, May 8, 2013, 11:46 AM
このところずっと考えているのは「国家」のことです。今のような国家観が西洋でできたのはウェストファリア条約やユトレヒト条約の結果。あるいはルイ14世のライン川を国境とする領土観念など。
しかし、ルイ14世は「朕は国家なり」ですから、国家は一人の人間ともいえます。この観念は長い間人類共通でした。
そして後発のドイツは国家法人説をとって、日本でも美濃部達吉の天皇機関説が物議をかもしました。
日本人がお国のために云々というのもやはりこの論でしょう。
一方、アメリカでは、国家法人説はとられない。アメリカの思想の元はフランスやオランダ、イギリスなどの、正に啓蒙思想です。
それを取り入れたアメリカは、「国家」がいわば薄い。外交権を相当に議会という国民代表が握っているのもその一例でしょう。
一方、ヨーロッパの啓蒙の前は、国家?ははっきりしていない。叙任権闘争などをみても国のトップがはっきりせず、兵隊も個人の傭兵が主体。今のバチカンもスイスの傭兵によって守られています(話はどうしてもこういう武士道?の話になる?)。
近頃は憲法云々の議論も多いけれど、日本がこんな流れからまともな国家になって(なろうとして)からはまだ数十年(えっ、明治維新があるんじゃ?なんて声が聞こえてきそうですが、法的に考えれば無理。だって「せいぜいが」美濃部説で動いてますから)。むしろメソポタミアあたりと比べてみればよい。
そんなビギナーには、近頃の議論はいささか荷の重い話ではないかと思っています。
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Tuesday, April 23, 2013, 11:46 PM
少々忙しくて、また間があきました。この間カラオケで歌った曲に隠密剣士の歌があります。私が子供の頃、テレビでやっていたドラマの主題歌。「江戸の隠密渡り鳥」で始まるあの歌が大好きでした。
そして、一番好きな部分は「白刃の雨は好かないけれど、許せ世のため人のため」。この部分は、葉隠の「大慈悲を起こし人のためになるべきこと」や「念念に非を知る」ことと並んで、私の考えの根本を形成したような気がします。
つまり、急迫不正の侵害に対する止むを得ない防衛行為や緊急避難は当然許される、ということであり、一方、急迫性がなくなれば死刑ということには疑問があるということです。
世界では様々な凶悪事犯が発生していますが、その場合、犯人を止む無く射殺することは常識で、一方、死刑存置国は極めて少数。
今の日本はその逆。
隠密剣士は、実は極めて国際的だった、とさえ言えるのかもしれません。
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