★6月6日 
Wednesday, June 6, 2012, 10:47 PM
今日は、カリブ海から来た人と話をしたので、スペイン系の話題となりました。

スペインが太平洋のフィリピン、メキシコ(ノバエスパニア)の航路を確立したのは1565年のことであると言われます。
ですから、以後、相当数の日本人がメキシコに渡りました。
咸臨丸で渡ったのの300年も昔です。

ところが日本の教科書では、咸臨丸がいかにも初めてと読めるような記述。もちろん、支倉常長の話はあるけれど。よく読むと日本人が主導権をとって操縦した船で行ったのが初めて、とかいうことになっています(勝さんは船酔い的だったとの話もありますが)。
見てきたわけでもないのにどうしてそういう限定をつけて咸臨丸を持ち上げるのか。ここでも、すごいお話大好き、という日本人の性癖が見えます。限定を付けて世界一の塔とかも。

実際のところ、秀吉死去後の徳川家康政権の積極策は大したものでした。
先ごろも、スペイン国王から贈られた時計が久能山にあって、その部品が今や西洋にはなくて見せて欲しいとかいう話があるとの報道。
それが珍しい話ではなく当たり前の話になるような日本でなければ、国際国家とは言えません。

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★5月27日 
Sunday, May 27, 2012, 03:59 PM
京都の木屋町通りといえば、そのすぐ西に池田屋があり、幕末には歴史に現れ、あるいは現れない数多くの殺傷事件があったところです。
いわゆる志士と、それを取り締まる方との争闘。それは文久、元治の数年間特に激しく、その結果は蛤御門の変、長州征伐、そして幕府の瓦解へと向かいました。
これは、尊王攘夷を軸とするスローガンと法治主義との争いであったと思っていますが、本当は、当時、そんなことをしている時だったのか、と思われてきます。

それというのも先日来青森に出張して、当時の北方の情勢に改めて目が開かれたからです。

岡本監輔は、ロシアの南下が激しいその時、京都何ぞで視野の狭い争いをしている時ではないと、樺太を探検。ロシア当局との交渉。明治に入ってからも続いた彼らの努力の結果、ようやく劣勢を盛り返して樺太・千島交換条約にまでこぎつけたというわけ。

田沼意次以来の北方への関心がより本格的になされていれば、今の北方領土問題どころか、樺太、千島あるいはカムチャッカまで、日本のものになっていたでしょう。むしろ北海道を日本のものにしてくれた田沼こそ偉いというべきで、ロシアがシベリアを我がものとし、アメリカがアラスカをロシアから買って自分のものとしても、一応、侵略とは言われていません。樺太が、今やエネルギーで巨大に潤いつつあることを考えるとこの損失は数字ではかれません。
我が国とてロシアらに勝ることができたのに、田沼意次の芽を摘んだのは、彼の政敵で、でありながら彼に賄賂を贈ったともいわれるコチコチの観念論者・松平定信でした。

岡本らの努力、そして強力な外国に対して騙し騙し対応していた幕府の足を引っ張り、会津藩などの北方への配置をさせないようにしたのは、定信の後継者ともいうべき尊王攘夷の観念論者です。しかも尊王攘夷の元は尊華攘夷という外来思想であるとなれば、正に何をか言わんや。

改めて今の国情を見ても、こうした遠大な経綸を欠いた勢力が、本当に努力している人の足を引っ張っていることにむしろ義憤を覚えざるを得ない気がします。

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★5月22日 
Tuesday, May 22, 2012, 09:45 PM
昨日は日食で、今日はスカイツリー。

私にとっては子供の頃、下敷きや煤をつけたガラスを通して見た日食が懐かしいものです。
一方、この日食が日本の武士道に大きな影響を、というとへーなんてことになりそうですが、それは本当です。この博物館の本文のところに書いてある話です。お隣の韓国でも、慶州にある天文台と思しき石積みは、アジア最古の天文台として、韓国人の誇りですが、一方、江戸時代初期の日本のように日食の予想が2日ずれるなんてことになりますと、国粋主義が承知しません。だから、天文学者と国粋主義なり武士道とが結びつくのです。

もちろん今のブームには直接的にはそうした要素はありません。何しろ見事に予想が当たるわけですから。しかしそれを思うと数千年も前に予想を当てていた数学者はなかなかすごいものだな、と思います。本当に天動説だったんでしょうか。

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★5月12日 
Saturday, May 12, 2012, 11:01 PM
昨日から頭について離れなかったある軍歌。学徒動員の歌です。荘重、悲壮な調べと歌詞は、中学生の時分の私を奮い立たせたものでした。ちなみに私は相当な軍歌を知っています。某所で行われた軍歌の会ではもっぱら壇上で歌いましたっけ。

かといって私は軍国主義者ではありません。いや、「今はありません」なのかも。中学生の時は相当なもので、だから英語もやらなかった。

しかして、今のいわゆる保守の多くは、いわば中学時代の私みたいなものかもしれません。保守と言いながら、「中身が外来思想」であることを自覚していない。はっきりいって今の私までに至るには、相当に本を読み、かつ現場に臨まねばならないでしょう。自信満々で言うわけではありませんが。

「真の日本」を探るために多くの山を超えてきた・・・。そして、それなりの自信の持てる「日本」に到達しかかっている。そんな目から見ると、上記の歌の持つ悲壮さに、改めて深く重いものを感じざるを得ないのです。
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★5月2日 
Wednesday, May 2, 2012, 03:10 PM
日本を博物館国家と言ったのは、『東邦の理想』や『茶の本』を書いた岡倉天心。そして、そのことを知らなかったこの私(?)。

一方、最近の流行りは劇場国家。政治家にも俳優や小説家、テレビタレント、スポーツ関係など。これらは、票のジリ貧に危機を感じた苦し紛れに、当時の自民党や元自民党の領袖が招いたもの。もちろんそれに票を入れた国民も(中には、同党とは無縁のすごい人もいます)。

話変わって一つ思い出すのは、昭和40年代の私のお勉強時代、会社法を勉強していて、関西電力の社長をした◯◯さんの退職金が20億円とか聞いて、よその世界のことのように思ったこと。
で、一体いくらだったっけ、と調べてみたら、その後任者も19億円とか。今のお金に直せば倍以上か。しかも、ほとんど税金払わなかったとのウワサも。一般の民間企業のようにトップがメチャクチャ働いている企業ではなく、特許企業として座っていてもお金は入る。

そういうことが許されていたのがあの時代であったと思うと共に、これをきちんと是正できない日本の民主主義の現状に、いささか暗澹たるものを覚え、一方その原因を追求したいという欲求はかえって膨らんでくるから不思議です。

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★4月12日 
Thursday, April 12, 2012, 11:08 PM
それで、日本は今や桜の季節で、東京も千鳥ヶ淵・九段など素晴らしい眺めです。
ただし、これで、日本はだからすごいでしょ、なんてなるのはだめで、下の記事に書いた会では、台湾からの出席者の方が、「日本では素晴らしい桜、台湾では桐の花が見事です」と挨拶されました。

とにもかくにも広い視野を持つことが大切。日本こそ最高と考える発想の裏には歴史をお話と考える北の危険な国と同じ発想があることを考えるべきです。誰とかさんはこんなところで生まれて、かくかくお育ちになったとかいうお話が大好きな傾向。この傾向がなぜ生まれるか、それを探ることもまた大切なのです。
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★4月10日 
Tuesday, April 10, 2012, 11:09 PM
先日、知り合いの政治評論家M先生の講演会でお礼の言葉を述べました。
講演内容は、突き詰めれば小選挙区制の弊害を含む政治の劣化の話で、誠に困ったことです。

その後の日曜日、今度は関係する客家の会に参加しました。客家はご承知のとおり世界中に根を張る元はといえば中国の中原地方を本貫地とする頭の良い人たちです。福建省の土楼は世界遺産ですが、台湾にも約400万人がいるといわれます。
それで、その会に出てきた日本の政治家たち、次々と挨拶をしましたが、何と現状の認識に過誤のあることよと呆れました。ただ長いだけ。
なので、話を聞きながらスマートフォンで経歴を見てみたら、市議会議員も落選したクラスであることを発見。いやーこれがあの評論家の先生の言われる小選挙区制の弊害であり、政治の劣化かと、改めて認識した次第です。チルドレンは、自民、民主を問わずだめということ。

もっとも、最後に話したチルドレンでない旧知の政治家さんは、個人的には問題もお持ちですが、さすが大臣も経験されているだけあって、一方に偏しない外交感覚を持った挨拶。何しろそこにはかの国の次期大臣も大使として出席されていたわけですから、外交的センスを持って話さなければ危険です。
そして、外交的センスは歴史を勉強し、その国のあるいは民族の社会を知り、色々なところに目配りしておけば私のようなものにも並以上にはわかると思います。ところがそのレベルに達していない政治家だから問題。

我が国は今や第三極とやらも出てくる始末。しかしその人々も何かと観念論のトラブルを抱えています。あれでは諸外国から日本はまとまっていないんだなと、正に足元を見られてしまいます。
そういうことに気付かず、国内だけの観念論でもめている。これぞ正に明治維新直前の京都の政局みたいなものです。
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★4月2日 
Monday, April 2, 2012, 04:02 PM
このところ卒業式、入学式、そして結婚式と様々な式や披露宴に出席しますが、昨今残念に思っていたのが、やたら紙を持ってしゃべる人の多いこと。
昔の教育勅語は(古い!)、もちろん紙を持ち、白手袋をして校長先生が「奉読」したのでしょうが、近頃はどおってことない挨拶までメモを見ながらが大半で、こここでも日本人の能力低下かとがっかりしていました。
ところが、昨日の結婚式は誰一人紙は持たず、サプライズも無関係にスピーチしたので、スカッとしました。実は同業の新郎新婦の結婚式です。
これならいいぞと嬉しくなりました。
が、同じ試験を通った役所の人の結婚式では、過日、私以外は全員紙持ちという現象。行政でいえば優に局長級以上の人がそうだったのです。
あれはやっぱり能力が低下したという理由以上に、無謬性を要求される役所生活だからじゃないかと思います。
この無謬性を求める発想は、やはり戦国時代以降、特に吉宗という、「通達行政」を始めた人以来じゃないかと思います。
法科大学院のゼミの演習で、事案と関係ない論点をQandAでやらせてみたり、反対尋問をするのに筋書きを作ってきたり、ここいらの誤った発想は、日本の発展のために直すべきではないかと思っています。

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★3月6日 
Tuesday, March 6, 2012, 06:01 PM
下のようなことを考えているところに、ロシア、イランの選挙の報道が。
それで思い出すある中東の友人の言葉。

「我が国は4000年、5000年の歴史がある。アメリカはたかだか2・300年ではないか」と。
しかし、長けりゃよいというものではもちろんありません。
ここでも、「山高きが故に尊からず」です。

中央アジアの政治体制も多くが一種の独裁。つまりは名君待望。この傾向はアジアから日本につながる「血」なのだろうかとつくづく思います。
でも私は、大きいことは良いことだや英雄待望は、決して我が国全体の文化?ではないと思っています。以前、某紙にも書いたとおり、特に鎌倉時代はコンパクトな時代です。北条泰時はさして有名な英雄ではありません。
鎌倉武士に帰れ。これこそが本当の日本再生のための基本だと思っています。


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★2月29日 
Wednesday, February 29, 2012, 02:16 PM
ベトナムからの留学中にサイゴンが陥落して帰れなくなってしまったAさんの話はいつも中身が深いです。
その後14年間にわたって完全な共産主義統制経済を経験したあの国には手紙も自由にやりとりできず、こっそり忍び込ませた100ドル札をお母さんに見破ってもらって送金するのにも大変だったとの話。もちろん、それどころではない生き死にの話まで。
そんな彼が、そういう14年間を過ごしたあと、例のドイモイ政策を開始した人はすごいと言います。そして、今の北朝鮮ではそれができない、どうしてだろうと。
私は、ベトナムでは仏教が強く、北朝鮮では仏教は潰れて祖法を大事にする儒教が強いこよも大きな要素じゃないかなと答えました。日本における鎖国維持の尊王攘夷みたいなものです。

そういえば、このたび完成の東京スカイツリー。丸々では世界一、とかいう言い方は朝鮮半島にそっくりです。38度線の板門店に行ってみますと、北も南も、世界一高い国旗掲揚塔を建てていました。
だったら世界一なんて簡単です。世界一長い楊枝なんて私でもすぐできます。

以前も書いたとおり、中村孝也先生が言われた如く、「山高きが故に尊からず。木あるをもって尊しとす」。こんな簡単なことがわからないのが最近の日本人であることに強い危機感を感じます。
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