Monday, April 2, 2012, 04:02 PM
このところ卒業式、入学式、そして結婚式と様々な式や披露宴に出席しますが、昨今残念に思っていたのが、やたら紙を持ってしゃべる人の多いこと。昔の教育勅語は(古い!)、もちろん紙を持ち、白手袋をして校長先生が「奉読」したのでしょうが、近頃はどおってことない挨拶までメモを見ながらが大半で、こここでも日本人の能力低下かとがっかりしていました。
ところが、昨日の結婚式は誰一人紙は持たず、サプライズも無関係にスピーチしたので、スカッとしました。実は同業の新郎新婦の結婚式です。
これならいいぞと嬉しくなりました。
が、同じ試験を通った役所の人の結婚式では、過日、私以外は全員紙持ちという現象。行政でいえば優に局長級以上の人がそうだったのです。
あれはやっぱり能力が低下したという理由以上に、無謬性を要求される役所生活だからじゃないかと思います。
この無謬性を求める発想は、やはり戦国時代以降、特に吉宗という、「通達行政」を始めた人以来じゃないかと思います。
法科大学院のゼミの演習で、事案と関係ない論点をQandAでやらせてみたり、反対尋問をするのに筋書きを作ってきたり、ここいらの誤った発想は、日本の発展のために直すべきではないかと思っています。
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Tuesday, March 6, 2012, 06:01 PM
下のようなことを考えているところに、ロシア、イランの選挙の報道が。それで思い出すある中東の友人の言葉。
「我が国は4000年、5000年の歴史がある。アメリカはたかだか2・300年ではないか」と。
しかし、長けりゃよいというものではもちろんありません。
ここでも、「山高きが故に尊からず」です。
中央アジアの政治体制も多くが一種の独裁。つまりは名君待望。この傾向はアジアから日本につながる「血」なのだろうかとつくづく思います。
でも私は、大きいことは良いことだや英雄待望は、決して我が国全体の文化?ではないと思っています。以前、某紙にも書いたとおり、特に鎌倉時代はコンパクトな時代です。北条泰時はさして有名な英雄ではありません。
鎌倉武士に帰れ。これこそが本当の日本再生のための基本だと思っています。
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Wednesday, February 29, 2012, 02:16 PM
ベトナムからの留学中にサイゴンが陥落して帰れなくなってしまったAさんの話はいつも中身が深いです。その後14年間にわたって完全な共産主義統制経済を経験したあの国には手紙も自由にやりとりできず、こっそり忍び込ませた100ドル札をお母さんに見破ってもらって送金するのにも大変だったとの話。もちろん、それどころではない生き死にの話まで。
そんな彼が、そういう14年間を過ごしたあと、例のドイモイ政策を開始した人はすごいと言います。そして、今の北朝鮮ではそれができない、どうしてだろうと。
私は、ベトナムでは仏教が強く、北朝鮮では仏教は潰れて祖法を大事にする儒教が強いこよも大きな要素じゃないかなと答えました。日本における鎖国維持の尊王攘夷みたいなものです。
そういえば、このたび完成の東京スカイツリー。丸々では世界一、とかいう言い方は朝鮮半島にそっくりです。38度線の板門店に行ってみますと、北も南も、世界一高い国旗掲揚塔を建てていました。
だったら世界一なんて簡単です。世界一長い楊枝なんて私でもすぐできます。
以前も書いたとおり、中村孝也先生が言われた如く、「山高きが故に尊からず。木あるをもって尊しとす」。こんな簡単なことがわからないのが最近の日本人であることに強い危機感を感じます。
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Thursday, February 9, 2012, 11:19 PM
相当間があきましたが、今日は仕事で京都に行きました。京都地方裁判所の北には御所があります。歩いていると、中国語のカップル。へたな中国語でどこから?とたずねると台湾の台中から来たとのこと。
テレビの篤姫を観て、あこがれてやってきたのだそうです。
こちらは忙しくて大河ドラマなんていうのはここ何十年観たこともありませんが、確かに台湾はチャンネルも多いし、なるほどね、って感じです。
御所の庭は大変綺麗と感動しておられました。
もっとゆっくり北京語を試してみたかったですが先を急いでいましたので、旅行の平安を祈り別れました。
こういう経験をすると、ただ今製作中のアジアや世界とのかかわりサイトを早く物にしなきゃ、と思います。しかし、例えばベンサムは中国語でどう書くか、なんてことで躓くと、なかなか先に進みません。
でも近々本格化しますので、こうご期待。
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Sunday, January 29, 2012, 11:33 PM
1月もそろそろおしまいという時期になり、個人的には落ち着いてきました。それで、最近驚いた2題。
本業のことはここにはほとんど書きませんが、最近驚いたことなので。
ひとつは原発関係です。弁護士会というところは何とも人のよい集団で、こと原発についても、ADRつまり裁判外紛争解決の機関を作ってあげました。裁判所というところはこれまで紛争解決を独占してきました。しかし、独占はやっぱり良くない。それでADR自体は私も賛成です。
でも、あれだけ大きな大問題に、確かに弁護士の数が増えて大変(?)とはいっても、わざわざ組織を作って一手にやります、なんて無理。しかも辞令は文科大臣からだし・・・・。
ただ、ここで働いている若い弁護士には関心しました。少々、いや、随分マニュアル化してはいるなとは思うものの、テキパキしていて気持ちがいいです。
つまりこれはポジティブな驚いたこと(結局)。
一方、別のビックリは少し大きな相被告事件の話。つまり、他社と一緒に被告になっている民事事件の話。
同じ被告でも少し大きな会社の若い代理人さん、私たち少し小さめの被告はあと、ということで尋問を始めました。
これが、正にシナリオを作ってそのまま!!ありゃま。しかも仰天したのは敵性証人というこちらに反対の証人に反対尋問をするのに、これまたシナリオを持って尋問。そりゃ無理でしょ。相手は敵なのにシナリオどおりなんてあり得ないじゃん、とは法廷では言えないので我慢していましたが、これはどうみても法科大学院のマニュアル教育の賜物としか思えません。
自分自身も法科大学院では授業をしましたが、この点が疲れて仕方がなかった点です。しかし、正にその成果が現れている現状です。
問題は、日本全体がこうなってしまったのでは本当に困るのです。しかし、他の問題と相当連関していると言ってよいでしょう。今こそ、根本から治す時。でないと大変です。
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Wednesday, January 11, 2012, 06:29 PM
12月末からヨーロッパに行ってきました。法律の故郷ボローニャを訪問し、イギリスの法学者、経済学者にして哲学者・ベンサムのミイラに会ってくることが目的でした。いずれも正に感動的な「出会い」でした。ボローニャ大学の本部跡にはヨーロッパじゅうからやって来た留学生の家紋?みたいなものが貼ってあります。そして、解剖を行った階段教室が残されています。
世界最古の大学の面目躍如であるとともに、のちのオランダーの解剖、更には日本の解体新書の元もここにあったか、と思わせるものでした。現に、解剖教室の正面には、皮を剥がれた二人の人体が、まさに解体新書の表紙然として立っていました。
ベンサムやミルらの最大多数の最大幸福の考えは多くの人に知られています。
ベンサムはこの考えを推し進め、自分が死んだあとは献体してそのミイラを大学に残すことを遺言しました。
ロンドン大学に着き、受付に聞いてみましたが知りません。何人もの人に聞いて、やっとご対面。ちょうど、バングラデシュからの旅行者もお目当てで来ていました。
イギリスというと、オックスフォード、ケンブリッジとなり、ロンドン大学はさほどの評価を得ていません。しかし、それこそが最大多数の最大幸福を標榜したベンサムの考えというわけです。
ちょうど、ロンドン博物館ではディッケンズの特別展をやっていましたが、彼が描いたような暗く重たいイギリスを活力ある社会に変えたのがベンサムらの発想であるような気がします。
明治の初めには力を持ったベンサムらの考えも、ドイツ法が大きな力を持つようになると下火となりました。
今の日本に必要はないのか。いや、今こそ必要ではないかという気がしています。
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Sunday, December 25, 2011, 10:38 PM
先日の昼食会で自然に口に出てきたのは、日本は文化人類学が政策に生きなかったからおかしなことになった、というものでした。これは直接的には戦前の戦争のことを言ったのですが(イギリスやアメリカの文化人類学が政策に生きたことは周知でしょう)、現在の会社経営にもいえるでしょう。特に輸出企業に。で、戦前、なぜ政策に生きなかったかというと、日本が民主主義国でなかったというのが最大の原因のように思います。前回書いたように、空の上から降りてきた、とうことが国家の基軸国(明治憲法制定時の枢密院の会議。古い!)では、それを当然否定する文化人類学が採用されるはずがありません。
なのに、坂の上がどうしたとか言って気持ちよくなっているようでは、日本人は進歩しません。
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Saturday, December 17, 2011, 09:50 PM
家のそばにマンションができるというので、遺跡の発掘が行われたのは数年前でした。漢の時代の鏡が出てきたのも面白かったですが、かまどの跡も印象深いものでした。で、トルコの遺跡発掘の報告会に参加。
そこでは4000年も昔のかまどの跡が。しかも2000年前の日本と同じスタイル。こういうことは色々なところで見ます。
フランクフルトの北、ザールブルグで見た石臼が日本の今のとそっくりだったこと、石斧なんぞが太平洋から中央アジア、イギリスまで一緒だったことなどなど。
人類の文化というものは、相当早くに始まって、相当広くに早いスピードで伝播していたみたいです。
ところが未だに、2600年前の数代前に空から降りてきた・・・みたいな話を基本にして国家作りをするような性向が、我々の中にないとはいえません。
このあたり、鍋島直茂の「実」の発想で考えることが、やはり必要な気がします。
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Sunday, December 11, 2011, 09:37 PM
たまたまテレビで、先日国王ご夫妻がおいでになったブータンのレポートをやっていたので観ていたら、学校で文殊菩薩にお祈りをする場面が。なるほどね。チベット仏教、つまりはモンゴル仏教の満州族と同じだわと、中国をぐるっと巡る大きな輪に改めて感動しました。満州族の首長は文殊として周囲を服属させたわけで、何百年いや、千数百年の歴史は今も生きづいているなと。
因みにこのブータンは、軍事、外交をインドに依存しているそうで、私が時々行く北マリアナ連邦と同じです。
ここでも、ボーダーに生きる人達の厳しさというか知恵というか、いや、残念さというか、何とも言えないものを感じます。
もっとも、かく言う日本自体がそういう立場にあるとも言え、それならそれなりに知恵を出すことが絶対に求められていると思います。
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Wednesday, November 30, 2011, 12:48 PM
鹿児島に出張すると、空港の売店の片隅に置いてある本を見る(買う)のが楽しみです。さすが鹿児島県は大きいだけに、維新の元勲にも容赦しない人がいて、ホントのことを伝える本が置いてあったりします。物事の進歩はこうじゃなきゃいけないと思います。明治維新が素晴らしいということは、日本人の共通認識みたいなところがありますが、維新という言葉自体、旧体制と変わらないことを前提としているとおり、そんなにすごいの?ともいえるし、もっと良く内容をチェックしてみれば、随分ひどい話だね、ということもあります。
例えば、破約攘夷を叫んだ志士の手紙などを読んでみれば、その神がかり的なことには、ウーんと唸らざるを得なません。先日読んだ水戸藩・諸生党の「忠が不忠になるぞ悲しき」なんぞ読んでみると、つくづくそんなことが思われます。そんな志士も、高杉晋作のように上海にでも行ってくれば、列強の動きを見て目が開かれ、微妙に行動が変化します。だから、広い視野が必要。
しかし、このエネルギーが明治維新を成し遂げたことは事実で、憲法学者の穂積八束が、東大退官の折に、水府の史論が維新を成し遂げたと言ったのは正しいでしょう。だから水戸黄門は徳川の藩屏でありながら正一位を授けられた。
でも、それが中国からのいただき物の発想であることは、この博物館の本文に書いたとおりです。
ですから、今の維新持ち上げも、いただき物文化の、しかも神がかりになる危険は十分あるわけで、そこの検証と、真の日本の発見なり確立を欠いたオペレーションは、世界の中の奇妙国を現出させることになるでしょう。
本当の日本とは何かを政党に関係なく勉強することが必要かと思います。
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