Tuesday, August 9, 2011, 10:22 PM
昨日のネットのニュースを見ていたら、メキシコで、ある町の26人の警察官が一斉に退職した話、20歳の大学生である女性警察所長が一家でアメリカに亡命した話が出ていました。麻薬か何かの組織に脅されてのことだそうです。それで、中央政府は軍隊を送って治安を維持しているとか。私の知り合いで雑誌での対談もしたアナマリアさんは、メキシコの代表的新聞の記者として来日された方ですが、その対談でも、署名記事を書いたメキシコの記者が何人も殺された話をされていました。そして日本の記者には武士道のような意気地がないと。正にその通りでしょう。威勢のいい最近の口先だけの報道などには全くうんざりです。
ただ、私が上記の報道をみて、思い出した話は別の件です。
明治の初め、京都で槇村正直に関わる事件がありました。それは、今の富士通や冨士電気の前身ともいえる小野組が、京都から東京に移るについて、地元京都の大参事槇村正直がそれを認めず、裁判官も地元の利害に組みし、これを怒った司法卿江藤新平らは槇村に罰を下し、中央から公平な裁判官を送ることにした、というわけです(極めてラフな書き方ですが)。
中央から、地元の利害に関係ない人間を送って公平を期した、という意味では今回のメキシコも昔の日本も軍人を送ったか裁判官を送ったかという違いだけで、要は中央が事を処理したという意味では同じというわけです。
でも、メキシコの問題を考えれば江藤らのしたことが必ずしも褒められることでないことははっきりしています。もちろんそれは当時の中央集権国家製造の一環なのですが、民主主義には反することだからです。
しかし、また一方、民主主義が常に正常に機能するかというと、メキシコの例をみればわかるとおり否定です。槇村もひどかったですし。
最近の日本では、地方分権ということがいわれますが、分権のためには、団体自治を担うだけの能力と博愛精神がある国民の存在が前提になります。
果たして今の日本人が明治初年の江藤の時代以上に民主主義の担い手として高い能力を持っているのか。江藤に対して、中央が余計なことしないでよといえるだけの力と優しさがあるのか。
むしろ危惧を覚えるのは私だけではないのではないかと思います。
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Thursday, August 4, 2011, 09:50 AM
ニュースのコメントがくだらないというのは、現象面へのコメントのみで、本質論からのコメントがないからです。この現象は、色々なところに出ていると思います。
政治の世界では官僚支配の打破が叫ばれ、それは、コメントの裏にいる筋書き作り屋さんの支配打破ということでもあります。で、ニュースくらいならまだよいのです。うっかりすると、ニュースどころか、国民の権利義務を制限する様々な処分、つまり行政や司法のなす処分の後ろにそうした筋書き屋さんがいます。これらは、基本的には優秀。でもそれは、そのいわゆる専門分野についてです。
だから、近しくさせていただいている元最高の官僚の方が言われるとおり、官僚は「使うべきもの」です。
しかし、その「使いこなし」のためには、使う方に相当な力量が必要です。その力量とは、はじめに書いた本質論の力量でしょう。その本質論を誤り、出先の現象面に関する意見に引きずられて大失敗をしたのが、そして300万人以上の死者を出したが70年前の戦争でした。
それを思うと、トップになる人に何が必要かというと、わかりやすく?いえば、文化人類学だと思います。この総合的学問の、いわば入り口を持つ事が大事です。それは、やはり漫画を読んでいる人間にはできません。かと言って、重箱の隅をつつくような学者である必要もない。この塩梅が難しいと言えるのかもしれません。
昨日は、ある米国人から、日本はどうしてこんな政治になっちゃったんだ、という質問を受けました。しかし、議院内閣制が働き、議員やマスコミの批判に曝される立法、行政の世界はまだましかもしれません。我が国には、議院内閣制が働いていない分野が相当にあります。「小さいもの」でいえば、電力会社も、実際は行政そのものの事業をしているのに、私企業の衣というベールを被って批判から逃れていました。
実はもっと大きなものもあります。そこが組織のメルトダウンを起こしていたら、本当に大変です。
その危険、そして分野を問わない無責任の現象は相当にこの社会を蝕んでいます。それに対する正義派?の対応にも大きな問題があります。
総じていえば、やはり広い視野をもって勉強するしかない、ということになりそうです。
それにはやはり若い人が外国にいくことは大切。手っ取り早く、佐賀県でも最近のおこなった若者の現代の米欧回覧でもやってみてはいかがでしょうか。
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Saturday, July 30, 2011, 01:51 PM
余りにもくだらないコメントばかりなので、このところ普通のニュースは観てもいませんが、大雨の情報を見るためにチャンネルをひねる(押す)と、またも腹が立つ映像とコメント。こうやってテレビに怒るのは歳をとった証拠とも言えますが。それは、大雨で川の中州が水に浸かり、ビニールハウスをはじめとする施設が台無しになっている映像でした。
おかわいそうに、といったコメントでしたが、そもそもきちんとした河川は河川法以下の法律の下にある国民のための営造物であり、勝手に施設を設置することはできないはずです。きちんとした許可をえて、置かれているものなのか、もし、許可をしたとすれば、本来そういうときには速やかに水が流れなければならない河川の効果を損なう許可をしていた、という責任が問題にされるべきではないか。
それが、かわいそうだけでは余りにもナイーブな感情論。
そもそも歴史をお話と理解する御仁がこういう発想になる。春の小川はサラサラいくよ、のお話の類いです。国民にこうした河川の意味を理解させない法学部を含む教育にも問題がおおあり。
こういうセンスは、地震、原発、全てに通ずるのですが、特に社会の木鐸?たるマスコミが、まともなオファーのできない国であることが、正に我が国の悲劇かなと思います。
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Thursday, July 14, 2011, 10:26 PM
仕事で横浜へ行っていました。かつて3年間過ごした横浜は、思い出深い場所です。特に当時の金沢文庫はよかった。国宝がそのあたりにコロコロ並べてあるのはまずは情報量として素晴らしかったです。これを造った北條実時は沢山の本を集めた人で、その中には既に本場中国でえ失われたものもあります。多くの文書がワラにくるんで置いてあったというのも面白いことです。
そんな彼は熱心な仏教徒で勿論僧形。六浦の海を殺生禁断の海としました。一方、アジアとの貿易にも多分熱心で、今もその痕跡は、同地に残された焼き物など数々の文物にうかがうことができます。
行動の全てが国際的で深いものを感じることができる彼。
私は彼を尊敬するとともに、彼のような人を生み出した中世鎌倉の素晴らしさを思うわけです。
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Monday, July 11, 2011, 10:04 PM
ひさしぶりに鎌倉に行ってきました。鎌倉はつくずく「死の町」だなと思います。
それは怖い町という意味ではありません。鎌倉時代の死というか、戦争を踏まえた町だということです。それは次から次へと現れる地蔵によって知られます。地蔵は閻魔大王の本地仏。この世における閻魔です。ですから、死を前にすれば予修として地蔵をまつらねばならない。
吾妻鏡を読めば、次から次へと戦争が行われた鎌倉。必然的に地蔵は増えていったのでしょう。しかも、地蔵一般は、その現世利益的性格から後には勝軍地蔵など戦の神様ともなりますが、鎌倉の地蔵は純粋鎮魂の地蔵さんです。
鎌倉の建物は99パーセント以上江戸時代以降のもの。しかし、この「考え方」が生きているところに、鎌倉の中世性と新しい発想を生み出す力があると思っています。
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Sunday, July 3, 2011, 11:32 PM
またまた間があきました。元々PDAでメールし、それを貼り付けているのですが、いよいよPDAもおしまい。スマートフォンに切り替えましたがどうも目によくないのでなかなか使えません。IPADにでもしなきゃだめかな、と思っています。
この間に、正に身につまされる思いで読んだのが、永らく積読にしていたヘルムート・プレスナー(松本道介訳)「ドイツロマン主義とナチズムー遅れてきた国民ー」。ドイツの後進性の原因、ナチ発生の原因を鋭く分析した名著です。
エルベ川以東、ライン、ドナウの間をつなぐリーメス以北の西欧との違いは正に感じるところです。 ベルリンのロシア地区であるニコライ地区は、エルベ川の支流シュプレー川の東にあります。
2000年前、ローマがゲルマンの侵入を防ぐために造った長城・リーメスはリミットの語源になったそうですが、それはライン川、ドナウ川の間を繋ぎ、北方・東方に備えます。
いずれも行ってみました。
その東方には、ポーランド貴族が辮髪であったように、アジアとの深い繋がりが感じられます。
そんなドイツは、ルターによる宗教改革のあと、アウブスブルグの宗教和議ののち、各領邦君主により宗教が決められてしまったため、国民と宗教とが分離。イギリス、フランス、オランダとは異なった国家になってしまい、特にフランスのような政教分離に至らず、民主国への道をたどれなかった・・・・・。
そんなことを考えていると、日本の中世こそ、鎮護国家の宗教から民衆へと宗教は一般化し、京都という教と鎌倉という政が分離した、やはり健全な国家だったのではないか。鎌倉武士こそ誇るべき日本の武士、ということを強く考えることになります。
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Thursday, June 16, 2011, 01:32 PM
以下は、最近ある雑誌に書いた巻頭言です。巻 頭 言 観念論を排す
零戦の撃墜王・坂井三郎さんが逝って十年が経った。私が坂井さんのご自宅を訪問し、長時間の談話に及んだことも一再ではない。
彼は、決して戦争賛美の人間ではなかった。零戦の戦いには四つのパターンがあるという。相手を撃ち落とすこと、自分が撃ち落とされること、相撃ちになること、そして勝負をつけずに別れること。
彼が狙ったのは・・・最後のパターンであったという。零戦は決して第二次大戦中、一貫した名機ではなかった。巴戦が得意などと言って第一のパターンをねらったのでは、命はいくらあっても足りない。次のチャレンジの機会を得ることこそ大切というわけだ。
だから自分は、まず眼をよくすることを心がけ、昼間の星さえ見えるとまで言われた。そして、敵の機影を少しでも早く発見し、スルスルと忍び寄って、背後から襲う。
こうして、自分が先任搭乗員(上官)として出撃したとき、部下を一人も死なせたことがない、というのが彼の誇りであった。
日本が行った戦争の中で、九六艦戦、零戦と乗りついだ彼は、米国との戦争は横綱相手の立派な戦争。しかし、中国を相手にしたものは、どうにも説明のつかないものだったと言う。
彼と日本海海戦の話しをすると、それは東郷平八郎連合艦隊司令長官の敵前大回頭の右手の一振りで勝ったのではない。我々の先輩が一発必中の猛訓練をして「当てた」から勝ったのだ、と言うリアリズムは、観念論に流れがちな最近の風潮に厳しく警告を発するものである。
ところでもう一人、私と同じ大学の講師仲間に清瀬信次郎先生(亜細亜大学名誉教授)がおられた。
父上は、戦後最大の衆議院議長・清瀬一郎さん。東京裁判において東條英機の弁護人であったことを知る人も少なくなった。是非「秘録東京裁判」を読むべきである。
同じご町内であることもあって、清瀬先生とはそこらの一杯飲み屋で何度も話しをした。
そんな中で、よく覚えているのは、「海軍というのはね、海を見ているので、段々おかしくなってしまうんですよ」という話しだ。人間をはじめとする動物は元々海から上がってきたものなので、海を見ていると底に引き込まれるような気持ちになる、という意味であった。
それが、海軍機関学校をはじめとするところの教育から生れた人間魚雷であったり、神風特攻隊であったのだというわけ。確かに、海軍は、機械を相手ともしているので、そんな気持ちにもなる下地があるのかもしれないし、同じようなことは現在の空軍にも言えるのかもしれない。
海軍出身の坂井三郎さんも、実は海軍大嫌い人間であって、その身分制度や新しい飛行機を作ろうとしない発想の貧困、特攻隊を始めとする精神構造、終戦時に海軍将官で自決したのは大西瀧治郎中将だけ、といった様々な問題に対し、厳しく指弾していた。このあたり、海軍善玉で陸軍悪玉などという俗論は、全くいわれがない。
もちろん陸軍にもおかしな人が多々いたのであって、下村湖人の息子さんで、陸軍中尉として昭和天皇の今でいうSPを務めた下村覚氏とは亡くなるまで仲良くさ
せていただいたが、終戦時の録音盤奪取騒ぎの時、決起将校が惨殺した森赳師団長の遺体の処理を見て、皇軍の権威遂に地に堕ちたりと思ったとか。
こんな話しを知る人もいよいよ少なくなってきた最近、昭和30年代の古い左右対立を前提として、なんでもいいから保守になれとばかりに、「十五年戦争は」よかったとか悪かったとか、そもそもその十五年を一括りにすること自体が昔の左翼の発想なのにそれがわからず、しかもリアリズムに欠けた議論に、あるいはその後のゲバ学生相手の革命ゴッコに手柄を立てたなどと、戦争とは比較にもならない事績(?)が売り物になる傾向には、三菱重工爆破事件における法廷での大乱闘などをきちんと処理した裁判長(中には士官学校出の人も)などのそばにいた私としては違和感を覚えざるを得ない。
実は、上記のような、陸海軍の問題ある行動を起こした人物たちの更に奥には、江戸時代以来の深い思想的対立があるのであって、彼らの硬直した行動様式は今の一部の保守と同様、極めて明(みん)文化的、即ち、滅びた中国式の考え方である大義名分論であることが忘れられてはならない。
限られた紙面の中では書き尽くせないが、そのあたりを、真の日本の身の丈にあった柔軟な発想で考えなければ、日本人はこれからの世界の激動には到底対応していけないのではないかと思われる。
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Wednesday, June 8, 2011, 10:32 PM
先日、30年以上昔の職場の人と久しぶりに交歓しました。その中のお一人は、以前、沖縄で裁判官をしていた方です。私の別の任地にも同様の方がおられました。復帰後日も浅かったからです(今の人には何のことやらわからないでしょう)。
で、その方が、沖縄でアメリカ人の女性の被疑者の事件に関与されたときのことだそうですが、取り調べて通訳が文書を作って、さあ署名を、という時、彼女は絶対に署名を拒否したそうです。なぜなら、その通訳が正確か否か確実なことが言えないから、とのことでした。それで、「じゃ、自分で英語で認めれば署名しますか」と聞くと了解したそうです。
なぜこんなことが話題になったかというと、当時、つまり昭和40年から50年にかけては、日本の刑事裁判は正に荒れる法廷で、法廷での取っ組み合いとかは日常茶飯事だったのですが(私自身も実見は、以前も書いたとおり)、日本の過激派学生は、いとも簡単に自白調書に署名していたというのです。
ここにアメリカ人と日本人との強さの違いを見るということだったのでしょう。
私も残念ながら全くの同意見です。そして、局面は若干違いますか、当時の中国で「文化」大革命を標榜しながら、市中引き回しという「中国文明」から抜けられなかった中国人、お上尊重的・自白調書OKの日本人の行動パターンに、アジア人として共通の弱さと改善の余地を感じるのです。
これは、一種・文化人類学の問題かもしれません。
それにしても昨日、都心をタクシーで走っていたら、いわゆる右翼の主張をしている御仁が、ヘルメットにサングラス、手ぬぐいを口に巻くという、正に左翼過激派?の格好をしているのにはびっくりしました。民主党といい自民党といい、「頑張ろう」とかいう労働組合方式になって、一方、急に日の丸に頭を下げだしたりという、これこそ何も知らないミスマッチの固まりだなと、全く言う言葉を知りません。
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Friday, June 3, 2011, 12:39 AM
下の記事にもうひとつ付け加えれば、日本人は戦争を知らないか忘れてしまったので、人間の死ということの重みを知らない、それは近世の特徴でもある、ということになるかと思います。それは死刑制度の議論にもいえることで、要はあなた任せの刑執行なので、悪いやつは殺しちゃえ、です。一方、今正に守らなければならない人たちがいても、のど元過ぎれば知らん顔での政争です。
以下の「今こそ死ぬこととみつけたりでは」は、ずいぶん昔の文章で、不十分ですが念のため。
中世の死の思想を見る にあります。
http://hagakurebushido.jp/f03_pop.htm
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Wednesday, June 1, 2011, 10:48 PM
裸の王様の話は、みんなが寄ってたかって「00ですね。00ですね」とやるわけですが、今の日本は、実態も考えずにムードで動く数十年前の戦争開始の時のような感じです。もちろん私は生まれていませんでしたが。様々な法改正、新制度作り、葉隠のいう「新技巧みのしそこない」でなければよろしいのですが、制度を作ると「うまくいっている」というこれまたムード作り。
正に、アメリカとの戦争を始めた、緒戦の勝利みたいなものです。
こんな現象が蔓延しているのは法律を作る場所にいる政治家の多くが裸の王様の大衆か、綺麗事を並べて国民を煙に巻く手合いだからか、あるいは無自覚者かだから、としか思えません。会社法の国会提出議案の厚さは相当なものですが、某大臣はここに至るまでに偉い先生にしっかり審議していただいていますので、なんて、国会の本質を考えればびっくり仰天するようなことを述べて恬として恥じないわけです。
どうして日本人がこんなになってしまったのかは、一言で言えば平和ボケ。戦争の実態を知らないからだだ、といえると思います。今の人間でいうと85歳以上じゃなければだめ(少々の老人はインチキ。)。仲良くしていた撃墜王・坂井三郎さんが生きていれば90何歳ですからあのあたりがやっとまとも。どこぞの特攻隊の生き残りとかいって大きな顔をしていても、外地のどこやらでごそごそしていたなんていうのは、わが1親等が滝野川の陸軍省の出先で、戦車の体当たり訓練をしていたのよりたいしたことなく、大きな口をたたくに資格なし。なのに何やらの団体の親玉とか。戦後の過激派学生対策をした、なんていうのも正にたいしたこともないのにマスコミでは神様扱い。そこいらのポピュリストは論外。
しかし、みんな戦争を知らないので、中途半端をあがめて本当の厳しさをしらない。
だから、こんな時に、法律を作るという本来の使命を忘れ、戦前の緊急命令に代わるような国家緊急事態基本法も作らず、馬鹿な政争に明け暮れているのだと思います。
具体的な被害があるだけでなく、世界に対してみっともない。こんな時なのに、日本は平和だね、といわれている感じがします。
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