★3月4日 
Thursday, March 4, 2010, 12:00 AM
 国際的活動をされている方々と夕食を一緒にして出てきた話が日本人のお客への対応は最高という話。
 それで思い出したのが対応最悪の横浜での1年前のこと。あるお役所に書類を出そうとして、絶対受け取らない雰囲気で、3、4度の長期押し問答。受け取ると仕事をせねばならないから受け取らないわけ。受け取る行為は、準法律行為的行政行為といいます(こういう言い方は今はやらない由ですが、便利)。
 結局、受け取らせたはいいけれど、今度は一向動かない。途中、何度催促してもだめ。
 そこで、こうして発生する慰謝料を裁判所に請求したらどうなる?こういう規制権限の不行使に対し、最近、少しだけ前向きの判決もないではないですが、多くはだめ。
 こうしたことへのお客扱いは、旧正月とは異なり、正に「アジアの一員」として、一向よろしくないわけです。
 それはどうしてか、というと、私があちこちで書いているとおり、新渡戸さんがその「武士道」に、誇らかに、封建君主は領民には責任を負わなかったが、天や祖先に高き責任感を有した、などという見当外れのことを書いても、それをもてはやしている抜き難い国民性があるからです。
 日本人よ、もっとしっかりせよ、と言いたくなります。

 我最近在思索日本的警察。去年2月、我去横浜訪問一箇警察。那箇訪問的目的是提出控告。可是警察官不軽易接収那箇控告。他イ門不喜歓多余的工作。最后他イ門接収了控告。可是到今天没有聯絡。
 対了、我三箇星期前去了長野県上田市参加一箇審判。在那箇審判、審判員説這箇事件在鹿児島比在上田処理好。他不喜歓処理那箇事件。
 在日本的警察、審判有hen多問題。



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★2月28日 
Sunday, February 28, 2010, 08:44 PM
 2月26日には、2・26事件の74年目の法要が行われました。改めて、「君側の奸」なる非日本的な観念を生み出し、悲劇を惹起させたばかりか、その後の日本あるいはアジア破滅の原因を作った江戸時代のおぼっちゃんの発想に言いようのないものを覚えます。
 このような発想に立てば、明治維新なるものはいわば通過点であり、昭和11年からの数十年こそ本当の画期であると考えます。
 ある農業関係の本には、昭和35年の農業基本法制定こそ江戸時代と現代とを分ける画期と書いてありますが、相当程度賛成できます。

 つまりは、時代区分というものの反省が絶対に必要と思うこと切です。



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★2月25日 
Thursday, February 25, 2010, 11:02 PM
 先日、ジャーナリストのYさんと食事して、今の政治情勢について話しましたが、共通する意見が多かったかなと思います。
 私が強く感じるのは世代問題です。
 80歳代は真ん中より上がまともが多い。70歳代の元軍国少年は、観念論が多くて、相当問題。60歳代の戦後薄っぺら教育世代はだめが多くて、特に、私の昔の天敵・ゲバ学生が最悪。
 ずいぶん目茶苦茶な、と言われそうですが、「被害者」としての偽らざる気持ちです。

 例えば、度々書いたように、裁判員などという本質論を欠いた制度を作ったのは、元軍国少年世代とゲバ学生上がりでしょう。その他様々な「改革」と銘打った新奇巧み(二条河原の落書・・・ならぬ葉隠の言葉)が同様です。これの悪影響は深刻なものになっていると考えます。
 そして、我々世代の下は予備校世代で、もっと下はマニュアル世代。マニュアル世代の特徴は「答え」がないと安心できないこと。考える、その中に真実がある、という葉隠の文章とは無縁で、法律にしても自説が持てない。大学者が何ほどのもんだい、という気概がないどころか、気概を持とうという気もない。答え、答え。
 では、その答えの更なる意味は?と問うと、「一流?の先生が言っていることにコメントなんてできない」と曰く。
 こうして「クリエイティブ」という言葉と無縁な様々な世代ができあがっているのが、今の停滞の大きな原因ではないかと思っています。会社の内部がこうなると大変。停滞どころか多くの国民的財産を流出させているというのが実態ではないでしょうか。
 おかしな総理を3代も出したのもこれであって、うわべだけの威勢のよさなどに騙されるな、と言いたくなります。

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★2月24日 
Thursday, February 25, 2010, 12:29 AM
 佐賀の未来についての講演を依頼されて、おしゃべりしてきました。演題は私が考えたわけではなかったので、まるで試験問題を出されたようなものです。
 で、どうお料理しようかと思って最初に持ち出したのが最近特に気になる宮崎市定先生です。余りにも自信満々で、「念念に非を知る」葉隠精神?とは反対のお方。
 近世において日本は外国(特に西洋)から何も取り入れなかった。大名は野人だったのである。観象台など日本にはない・・などよく言うな、という感じです。
 この論からは、よって佐賀のような田舎にゃ何もなか、ということになってしまいます。
 その反動は、佐賀にゃ反射炉があった、とか、アームストロング砲があった、とか。宮崎先生の影響を強く受けたといわれる司馬遼太郎さんあたりにほめられると、すっかりその気になってしまう。
 実は他藩も時期こそ違え同じものはあるのであって、要するに宮崎先生から出発したのでは話にならない(金沢の北国新聞社から出ている本には佐賀そっくりの蒸気機関車の模型や臼砲などが載っています)。
 ちなみに今、テレビで龍馬が行くとやらをやっているそうですが、岩崎英重・櫻田義挙録という大著がなければあの作品は生まれなかったとか。私はその本を持っていますが、確かに素晴らしい本です。
 一方、好きなのは江上波夫先生。
 テレビで「国際的な事が好きなんです」と言われていたとおり、戦前のオロンスム(内モンゴル自治区にあるネストリウス派キリスト教の遺跡)発掘以来のフィールドワークはすばらしい。私は騎馬民族(征服・これは必ずしも江上説ではない?)説に大いに共鳴します。
 そして、その目からみると、北部九州は正に国際的なところ。
 ですから、要は佐賀の未来は旧来の主流派的常識を打ち破るところにこそあり、ということになります。何しろ常識がひどいんですから。
 あとは様々な各論。ま、悪くはなかったかと思います。



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★2月15日 
Monday, February 15, 2010, 11:14 PM
 過日、埼玉県のあるところで同和問題をおしゃべりしてきました。
 この件については、私にはさほどの数の経験はありませんが、かつて裁判所にいたとき、ある深刻な件に遭遇したことはあります。
 それは、日本のあるところの出身者が、いわゆるその地区の人に差別されているというので、それを明らかにするためその地区の人の戸籍謄本をごっそり集めたという話です。

 その免職処分取り消しの事件、話が逆のような事例ですが、実はその人は、日本が明治以降に領有したところの出身者。だからその地区の人に差別されているという発想が生まれるわけです。
 改めて明治国家のヒエラルキーの問題を強く意識させられたものでした。明治の華族制度の名称は三千年も前の中国の言葉。
 それを思うと、真の日本とは何かを確立しえなかった民族の悲劇をさえ思わざるを得ません。だからこそ私は四十数年にわたって真の日本を追求してきたつもりです。
 そして、この博物館の表紙にあるとおり、最終的には、正に「日本的に」生きることでかまわないし、それは他の民族、文化を尊重することにもつながると思っています。
 
 いわゆる国粋的人士の言説が、実は全く日本的でなく、視野が狭いこと。これが問題です。

 その講演でも、本居宣長と上田秋成の論争を取り上げましたが、唐心を排する宣長のコンテンツが実は日本のものではない。これをしっかりと把握することが大切と思います。
 それには、視野を広く持つこと。秋成が宣長に対して、「大阪から見ればあなたは田舎人だからそんな発想になるのだ」とたしなめたことを想起したいし、秋成を雨月物語の作者とだけ考えていたのでは、彼らの真の価値はわかりません(もちろん、雨月物語は素晴らしい作品です)。



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★2月14日 
Sunday, February 14, 2010, 11:52 PM
 今日はバレンタインデー、というよりも、旧正月。
 毎年のように書きますが、こっちの方が「実」を標榜する中世武士の生き方にかなう正月であると思っています。太陽暦の1月1日に「初春」なんて言ってもピンときませんから。
 古代ギリシャ、フランスの革命歴、そして中国の大和殿も当然ながら政治と暦の関係を明示しています。主権者は縦横高さと時間を支配することを(武士あるいは文官は、その執行者)。
 その意味で、明治の新政府は、「東京」などという人工的地名(縦横)をこしらえたばかりか、疑似西洋(本当はアジアのお払い箱)の感覚で、太陰暦全廃を企てたといってよいでしょう。
 もちろん、私の子供のころまでは旧暦もそれなりに残っていましたが。

 こんなことではいよいよもってアジア諸国との乖離が生じます。太陽暦の合理性で行きつつ太陰暦で正月を祝うように・・・それこそ農業ともフィットする季節感有る人のいとなみになると思います。



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★2月11日 
Thursday, February 11, 2010, 10:01 PM
 今日は建国記念の日。古事記、日本書紀により、かむやまといわれひこの命、つまり神武天皇が,大和の畝傍山のふもとで即位された日という故事にちなんでこの日になっているかと思います。
 ところで、私がその畝傍山の樫原神宮に詣でたのは、大学生のときでした。左翼学生の大学占拠に痛憤の情止みがたかった私は、正に直立不動の姿勢で神前にて写真に収まっています。
 しかし、その時何か変だと思ったことも事実です。というのは、そのそばに神武天皇のお墓なるものがあったこと。何しろ日向三代のはじめ天孫ニニギの命が高天が原から降臨された、つまり天から降りてこられたというわけですから、その数代後の人の墓があるなんてこりゃへんというわけ。あくまでも神話は神話でしょ、と。
 しかも、樫原神宮の社殿は、明治以降に京都の御所から持ってきたというのでは、要はここ100年くらい苗に造ったものだったということかと。
 この私と全く同じ違和感を感じたと言われたのが、2・26事件の青年将校の息子さんである大学教授S先生でした。
 中村孝也先生の本にも書かれているとおり、神話は極めて大切。しかし、神話と史実をごちゃごちゃにしてしまうと、悲劇のもとになることを忘れてはならないと思います。


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★2月7日 
Sunday, February 7, 2010, 03:08 PM
 ディスカバリーチャンネルを観ていたら、零戦のエース・坂井三郎さんのことをやっていて、つい引き込まれました。彼の最後に近い講演会を私が主催して行ったのは正に十年前だったのかと感慨深かったです。
 亡くなったのが2000年とのこと。講演会はその年の6月。8月に、外人記者クラブで話すから来ませんか、と電話をいただいたのが最後で、その年の9月22日が命日でした。
 この番組でも零戦の翼面荷重の軽さが大きなテーマになっていましたが、日本の技術が伝統的にこうしたドンガラつまりは入れ物にあることに大きな問題があります。最近でもアメリカの飛行機の外側作りの技術が採用されたといって喜んでおり、あの時代も、強力なエンジンを作る技術に欠けていました。
 YS11など、エンジンはロールスロイスなのに国産、国産と騒ぐおかしさ。

 こうした世界的常識を見ない発想は、朝青龍の処分がモンゴルで問題になってあたふたしている現象にもみられるといってよいでしょう。
 なのに、最近はますます内向きで、日本ほどよいところはない、みたいな発想。温泉とか。
 あの番組もそうでしたが、アメリカさんが零戦をほめるのは当たり前。そういう強力な敵と戦闘したんだと言いたい訳ですから。しかし、坂井さんも言われていたとおり、そこまでほめられる状況ではなかったわけで、おほめの言葉はいただくとして、自分のことは冷静に評価できないと、今度のトヨタのようなことになってしまうと思います。

 それにはコチョコチョした話ではなく、大きく全体を掴む能力というのが大事じゃないかと思います。

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★2月2日 
Tuesday, February 2, 2010, 10:31 PM
 今年は春の雪が来るのが例年よりずっと早かったようです。千代田区でもたくさんの雪が降り、仕事場の周りは除雪で大変。でも、何しろ人手が足りない高齢者地帯。何でもかんでも人任せの典型的日本の姿。
 そういえば、先日、札幌に行きましたが、かの地も、この東京の周囲も、農業の担い手が外国人に多くを依存するようになってきたとか。
 一方では参政権がどうしたのでもめているかと思うと、何でもかんでもやっていただく一億総老人時代がひたひたと押し寄せているようで、これはやっぱり、真にしっかりしなきゃと思います。 
 
 我在東京的中心有拠点。
 那箇拠点是一箇大厦的房間。那箇大厦二十六年前、由三越建設了。

 現在那箇大厦居住者和非居住者各半。那些居住者的年齢越来越大。所為他イ門不喜歓参加管理組合。 而且他イ門的判断力下降了。所為現在我イ門有困難。

 最近在這箇大厦付近、開始修建別的大厦。那箇建成以后、可能改変周囲的環境。
 我期待能給我的大厦帯来重建的機会。這是玩笑。
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★1月31日 
Sunday, January 31, 2010, 10:20 PM
 小沢氏の件について、やっと私見と同じようなことを書いてある週間ポストの記事に、少しはほっとしたことでした。もちろん同意見のマスコミ人もたくさんいますが、朝日みたいな人権を旗印にしているかのごときメディアが全くだめ、どころかその昔からの体質を露骨に現しています。これについては、またいつか書くでしょう。
 で、本当に喫緊の問題は、もう一方の石川議員の方です。なぜなら彼は、選挙民の付託を受けた議員です。だから憲法は国会議員の不逮捕特権を定め、その職権の行使について十分な「保障」をしています。それは、彼の為というより、彼に委せた選挙民の意を帯して議論し、議決する職権の行使を、彼の責任として期待しているからです(そういう人を代議士という。弁護士は代言人)。
 この職権の行使を、検察の逮捕状の請求と、一裁判官の逮捕状、勾留状の発布によって妨害しているのが今の姿。それも、まともとはいえない「事件」を種にして。
 我々は、色々な場面で、この職権の行使という観念を忘れてはならないと思います。

 話変わって、先日会社の会議に参加した帰り、これから台湾に赴くマネージャーとエレベーターでいっしょになりました。
 彼は、一年の3分の1づつを日本、台湾、中国で送っています。こんな正に企業戦士のお陰で我々日本人の生活があることを思うとき、外交によってこうした人々の努力を無にするような政治がいけないのはもちろん、上記のような怪しい国内政局も断固排除したくなります。

The other day, I attended a meeting in a company.
After the meeting I met a manager who is working in Taiwan and China.He is supervising the staffs there.
And, that day he was going to Taiwan.
He said Taiwanese food is not so bad,but he is bored by eating Taiwanese food.
He is living one-third of the year in Taiwan one-third in China one-third in Japan.
So,I felt empathy.
I think the state of the Japaneas economy owed to him.
I probably go to Taiwan this year.
So,I will visit his office in Tipei at that time.
Since I was elementary school,I have maintained a storong relationship with Taiwan.
I want to introduce my friends to him.



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