★11月16日 
Monday, November 17, 2008, 02:09 AM
 台湾で、以下の如きことがあったようです。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/195932/
 台湾の苦労を人並み以上には知り、ある意味体験している私としては、時間があれば観てみたい映画です。
 
 韓国では、数日前、例年どおり入試の大騒ぎ?があったようです。これは、もちろん韓国が儒教国家であることの帰結です。フィジーに滞在したとき、韓国人の女性と話しました。
 「儒教は数学ですよね」というと、わが意を得た感じで、すっかり打ち解けました。
 日本では、ある公取の委員までした人が、私に、「僕は小学校の時に、孔孟の教えと習ったから(数学だなんて信じない)」といわれます。

 台湾の痛みがわからず、儒教が孔孟の教えなんて言っていることは、実は徳川吉宗らが中国の明の教えを仕入れたもの。

 じゃ、真の日本のものはといえば、鎌倉・中世の生き方がちゃんとあること、これらをしっかり把握すれば本当の日本人の自信もでてくるはずなんですが、頭にこびりついたものははがすのが難しい・・・と最近の事象を見て思います。
 
 
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★11月5日 
Thursday, November 6, 2008, 02:03 AM
 新アメリカ大統領がオバマさんに決まった日、ある米国人とその感想を話しました。オバマ支持のその人は今回の結果に燃えていました。特に、アメリカという国の民主主義の素晴らしさをたたえて。
 しかして、日本はどうか、と彼はいいます。私は、いやいや表面的には、あるいは今現在は、日本はアメリカに比べて民主国の度が低いように見えるかもしれないけれど、本当の日本は昔から民主的だったんですよ、と答えました。もちろん、この博物館の末尾にある社稷の考え方や鎌倉政権を指してのことです。決して一方的なアメリカ礼讚になるのではなく、日本の民族主義として、民主主義があったことに我々は気が付くべきだと思うからです。
 こうして、外国人にだって日本の「伝統的民主制」を胸を張っていえるはずなのに、うっかりすると、その反対が日本的なものとして横行しかけそうになるのには残念です。
 要は勉強が足りないということでしょう。米国のR.Nべラーや英国のジョージ・サンソムなど外人こそが本質を掴んでいることは口惜しいかぎり。
 外から見ていることの強みもあるでしょうが、こういう外人は下の段に書いたような人より数等上と見ます。
 また、我々は明治政府の薩摩・長州的御用歴史観に惑わされているともいえます。特に軍人勅諭の明治維新礼讚主義には要注意。もっとも、その軍人勅諭に軍人は政治に関わらずとあるのは正しい。例えどんなそしりをうけようと、淡々職務に邁進する真の軍人の素晴らしさがここ数十年地を払っているのは、これまた残念なことです。
 その昔、陸軍士官学校を出られたのに、戦争のため軍人の道を絶たれて裁判官になられ、厳しい公安事件を処理された大先輩のお顔が常に浮かびます。
 そう考えてみると、正に、「近頃の若い者」で、戦争経験のないものは観念論だけでだめ「が多い」ということになりそうです。



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★11月3日 
Tuesday, November 4, 2008, 12:18 AM
 先日の10月23日、いつも取り上げる会津若松の西軍墓地慰霊祭が市議会議長、副市長さんご列席の上で執り行なわれました。明治維新の会津戦争で、会津を攻めた薩長土肥大垣らの戦死者を、地元の方々が丁重にお祭りして下さっているわけです(これを始めた時の山口県の知事さんも偉かったようです)。
 そのお世話をされている東明寺のご住職が、藤沢の遊行寺の副住職になられたことには、これまた感激です。
 旧掲示板にあるとおり、遊行寺には、室町時代の上杉禅秀の乱の折りの敵味方を供養した「敵味方供養塔」があるからです。これこそ正に日本の武士の生き方として誇れるものでしょう。
 しかも、それが中世の産物であることに、中世日本こそ誇れる時代、ということを強く感じるのです。
 武士道を考えるには、やはり、「真の日本の」武士の生き方とは何なのかを提示できなければならず、そうでなければ本当の自信も政策もでてきません。
 明日はアメリカ大統領の選挙だというわけで、昨日もテレビで特集番組が組まれていました。一体、日本はアメリカに何を提示できるのかと。特に中国との違いを示すものとして。
 今のところは、環境の技術などなどで、一日の長がありますよ、なんてことでしょうが、それ以外のことになってくると、なんだ中国の亜流じゃないか、なんていわれかねません。 冗談じゃありませんよ、というためには、この博物館の「法の支配」的国家構造こそ日本のものとして存在するんです、ということが論理的に実証できなければなりません。
 分かりやすくいえば、日本の特に東半分(その昔は、箱根の坂の東は坂東といいました。大坂の関から東は関東。今の関東地方とは別)は、日本独自の鎌倉政権に代表される法の支配の国です。
 この国は北条泰時に代表される「道理」をもって国を治めた政権。南朝の北畠親房からも激賞された政権です。
 そもそも考えてみれば、書風などを見ても、南朝は中国風で北朝こそ和風なのです。
 この博物館で言っているとおり、国粋主義こそ中身は中国、などというのでは、この国際化世界において、あたかも、ノーベル賞と文化勲章がずれているような
もので、外国から笑われてしまいます。
 雄渾、大慈悲の鎌倉武士の生き方をもう一度考えてみましょう。
 そのためには、ノーベル賞受賞者のアメリカの先生には申し訳ありませんが、なよなよして何を言って言っているのかわからないような源氏物語なんぞではない、軍記物の平家物
語をこそ我々は学ぶべきと改めて言いたくなります。
 外国からほめられたからいい本だ、なんぞというのは要注意。先日も、アメリカの人と話すと、「日本人はなぜ下駄などといううるさいものを履くのか」とのたまわる。要は、雪駄も草履も御存じないわけ。もとよりアメリカの日本研究はすごいわけですが、何にも知らない人からほめられて喜んじゃいけません。
ブルーノ・タウト然り。ヘリゲル然り。あの人たちの日本論は、もやもやしたものをありがたがっているだけでしょう。




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★10月14日 
Tuesday, October 14, 2008, 11:21 PM

 今回の金融危機、半端なものではないと知人のアナリストは言います。
 特に、何が入っているのか分からない金融商品が世界にぶちまけられている現状。その単位は京であり、78億ドルの支援など全くの桁違いとか。
 もっともその形は不動産バブルの崩壊に直面したかつての日本と同じ。ラスベガス近
辺の住宅熱は正に日本と同じだったなと思われます。
 その時代、ファンドもその崩壊も様々に経験した私としては、やっぱりおかしいものはおかしいな、ということ。ノーベル賞の金融工学かもしれませんが、気が利き過ぎも困ります。
 そこで、ずっと頭に浮かぶ歌が、

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

 松平定信の頭の堅さは相当なものではなかったか、これに勝るのは韓国の衛正斥邪的尊王攘夷思想か、と思うのですが、今の日本は基本は定信的で、田沼じゃない。むしろ田沼を評価するのが最近の世間の発想で、私もそれを了解できますが、どの当たりに線を引くかが難しい。
 両者の中間を行くということは、やはり、実は何か、という意識で物事を考える鍋島直茂、伊達政宗ら戦国武将の行き方かなと、いささか抽象的ながら思っている次第です。

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★10月5日 
Monday, October 6, 2008, 01:27 AM
 同じ職業の会に参加するため富山県に行ってきました。これで、一応、全国足を踏み入れない都道府県はないということになります。
 富山といえば、はんごんたん。昔、薬屋さんが風船等をくれて家庭配置売薬をされていたことを思い出します。今でも立派に存在するそうです。
 で、そのいわれはやはりというか1700年ごろだそうで、この博物館に記した明文明の渡来に一致します。徳川吉宗の薬円台。会津の御薬園など同時期でしょう。富山の場合は岡山からとか。
 この、薬と武士道にも何か関係がありそうです。
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★10月2日 
Thursday, October 2, 2008, 11:00 PM
 この間、約1か月休んでしまいました。「えらく間があいてますね」などとよく
言われます。
 別段、書くことがないわけではなく、ありすぎてどうまとめるかが大変だったと
もいえます。9月中旬には台湾から友人の大学教授が来日し、そのあとは供養をかね
て北京に行き、得難い経験もしました。
 そして、この間、内閣が変わり、世界の経済は激変しています。
 そんな中で、日本の政治家は益々いわば平和ボケ状態のようです。
 私が、高校生のころ、教師の一人は我々生徒に「私も日教組に入っておりまして
」なんて、媚を売っていたものです。何しろ生徒はみんなマルクス、レーニン、
毛沢東が大好きだったんですから。
 もちろん私は違うので、反対派の生徒と対立していたわけですが、かといって、
当時でさえ、日教組がガンだなんて単純な考えは持っていませんでした。そんな
程度で解決するほど日本の病理は単純じゃないのです。私が役所にいたとき、大
蔵省から地方の税務署長に20歳代で出てくるエリートといえば、そりゃたいし
たものでした。
 しかし、そういう人間があの程度のことしかいわない日本の試験制度にそもそも
しっかりした人間を選んでいないという根本的問題を感じます。
 日本の科挙制度ともいうべき国家公務員試験は確か明治22年に開始したかと思
います。中国の科挙制度が明治時代に廃止されたのとちょうどすれ違いみたいな
ものです。
 それまでの、藤原氏以来の門閥が打破されたのはよかったのですが、逆に科挙の
よくない点、例えば暗記重視みたいなものが継承?されてしまったことを否定で
きないでしょう。
 そして、最近の傾向は、よりそれがひどい。実をいうと、科挙自体この点を反省
しており、中国の科挙が単なる暗記のオンパレードではなかったことも事実なの
に、今の専門職大学院などにおいては、鮨詰め教育をしなければ沽券にかかわる
とでもいいたげな教育が行われています。
 これじゃ本当にいけません。

 閑話休題、あの大臣辞任の御仁の人脈に連なる人としては、先日、日銀総裁にな
らなかった人とか、少し前に大蔵省で問題を起こしてやめたN氏などがいます。
 このN氏、正に昔の過激派学生。そういう人間が、T大とやらを出たために大蔵
官僚となり、日本の政策の中枢を壟断し、はては悪いことをして失脚。こんなこ
とは日教組なんぞという今やチンケな集団とは関係極めて薄いのは明らか。
 T大のみかTK大も、かかる過激派お坊ちゃん学生のために入試が中止となって
、人生設計をチェンジしなければならなかった私世代としては、いいかげんに目
を覚ませといいたくなります。
 ちなみに先日の北京訪問では、友人の住む農村の一家を訪問。わたし自身、昔の
北京空港のVIPのお部屋にも通していただいたこともありますが、VIPにば
かりなっていたのでは、本当の歴史も現代の諸情勢も分かるはずがないよと思え
てきます。



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★9月3日 
Wednesday, September 3, 2008, 09:08 PM
 学生のシンポジウムに関係し、十数年ぶりに中国・杭州に行ってきました。高速道路を走ってみて一番感じたのはガードレールです。以前の山東省では、ガードレールのボルトがほとんど満足に差し込まれていませんでした。正に手抜きか窃盗だったのです。 ところが、今回の浙江省では、完璧にボルトが入っていました。
 省が違うからなのか、時代の変化か、それはわかりません。しかしきちんとした部分があることは事実です。新幹線などは、使用法やサービスは、勿論日本がずっと先を行っています。しかし、今後の展開はどうなるかわかりません。素晴らしい眺望の36キロメートルの杭州湾大橋を渡りながらそんなことを考えていました。
 そうしたところ、今回の総理辞任劇です。
 私が以前ご指導いただいた裁判長、身の危険さえ感じる有名な大事件を担当しながら、判決の後で私達に言われたのは、「裁判官に勇気が必要と言われた人がいますが、私はそうは思いません。弱虫でも泣き虫でもいいのです。ただ責任感が大事なのです。」と。
 今回の辞任の弁は、なんとなく弱虫っぽく見えます。しかし一番欠けているのは責任感ではないでしょうか。特に諸外国との関係で、前首相に負けず劣らず、日本の国家としてのダメさを世界にばらまいてしまいました。
 翻って、中国やその周りの同種の国の指導者が同じことをしたらどうなるでしょうか。正に命の保証もありません。
 今回のことも前回も、日本のこうした平和ボケを世界にさらしたという意味で、罪は深いです。ただ、勇気がありそうな威勢のよさに反してこういうことをした、という面がないだけ前回より少しはましかな、と思うのみです。

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★8月18日 
Monday, August 18, 2008, 07:34 PM
 お盆の帰省中に、北京オリンピックは満開。確かに異質ですが、世界の交流は、今後様々な影響を内外に与えることでしょう。
 あの開会式のマスゲーム的なものは、正に共産主義時代以来の御家芸。15年くらい昔、オフィシャルな訪問で杭州を訪れた時、会議が終わっての歓迎会はマスゲーム。当時でも上海の証券会社の前は黒山の人だかりで、これが社会主義の国かいなと思ったものですが、一方、北朝鮮のマスゲームはこんな調子なんだなとも思ったものです(もちろん中国の方が本家)。
 そんな意味で、オリンピックの仕切り方は表面的な経済繁栄の奥にある共産主義あるいは東洋封建社会の本質が、緊張状態を前に表面に出てきている面があることを否めません。更に、北朝鮮のようなショーウインドウ国家的現象も。
 しかし、こうした事象は産みの苦しみとも言えます。北一輝は、「支那革命外史」の中で、孫文の「民主主義」が、当時の封建中国にはなまじなことでは根付かないことをアメリカの独立戦争との対比で論じていますが、正に「革命いまだならず」。
 そして、その傾向は我が日本にもあるわけで、「人の振りみて我が振り直せ」という言葉を、日本人も考えるべきかと思います。

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★8月10日 
Monday, August 11, 2008, 01:03 AM
 昨日は、長崎に原爆が投下された日。一昨日は北京でのオリンピック(奥運会)開会式。1964年10月10日の東京オリンピックを思い出しますが、その使用エネルギー量は比較になりません。
 そんな時、カスピ海西方のグルジアにある南オセチアでは、グルジアとロシアとの本格的戦争が始まりました。この周辺に展開するコサックの騎兵には、日露戦争の折り、日本軍が随分悩まされたわけで、残念ながら激しい戦闘の程がしのばれます。
 しかし、この紛争と同様の事態は今や世界中に存在します。コソボ自治州の問題しかり。チベット問題しかり。ミャンマーも、太平洋の島々にも。北と南のオセチアは内と外の〇〇をも思わせます。
 その問題の基本にあるのは第一次世界大戦のころアメリカのウイルソン大統領らによって唱えられた民族自決の考えですが、更にその基底には、この博物館に記したサラゴッサ条約以来の領土という観念が横たわっています(サラゴッサには、先日、皇太子殿下がいらっしゃいました)。
 この「領土」観があるので、資源の争奪とからみ、「一所懸命」の戦争になります。
しかし、前にも書いたとおり、中国の清という国においては、チベット、モンゴルは皇帝への服属であり、移動する部属の個人への服属が「国家」を成り立たせていました。
この発想は、アメリカのシティ、タウンなどにむしろ類似するものです。そこには境はなく、人間のつながりと統合が町をなします。ニュージーランドに行った時もそうでした。
 東洋の社稷の発想(社稷を歌った「青年日本の歌」は、5・15事件の三上卓中尉の作といわれますが、実はそうではなくて、拓殖大学出身の老詩人・石原厳徹ともいわれます〔2・26事件の大蔵栄一大尉の言〕。いつも街宣車が歌っている歌)も正にそうであり、我々は、西洋に対し、「つまらぬ戦争はしなさんな。アジアでは社稷で考えてきたんですよ」と発想の転換をうながすものを秘めていると思います。
 そんな考えに立てば、竹島なども西洋に毒された言い争いはアジア的ではなく、まして、韓国の不法占拠を云々するのであれば、みすみす占拠を許した時の大臣や防衛の責任者は誰だったのか、その責任はどうなったのかこそ大事です。昔の陸軍刑法では占拠を許せば重罪に問われるところ。そこに気づかない今の状況は本当の平和ボケということになります。

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★8月6日 
Thursday, August 7, 2008, 02:12 AM
 今日はもとより広島原爆投下の日。当時江田島にいた人からうかがった投下時の爆風の話も思い出されます。かつて訪問した原爆の積み込み場所、テニアン島のピットも(「かつての掲示板」に写真あり)。
 その昔、高校生の頃、民族派T教授の本をバイブルみたいに読んでいた私は、慰霊碑の「過ちは云々」の言葉に、誤ったのはアメリカだ、何を言っとる、と米国への敵愾心を燃やしていたものでした(だから、英語が大嫌いだった)。
 しかしその後、様々な本を読み、公刊された史料をみると、日本には江戸時代を淵源とする、当該原爆投下以前の、いわば国家形成責任とでもいうべきものがあることを考えないわけにはいかなくなりました。
 しかして、この私の一種の「考え違い」は、自分で言うのもなんですが、まだ大いに許せるものです。だれもそのために死んだ人はいません。
 許せないのは、当時、正に左翼であって、今、右翼の人間(私の方は一貫して共産主義は嫌いで、いわゆる民族主義。ソ連なんぞと仲良くなっていたら、日本は今頃どうなっていたかわかりません)。
 昨日も某紙に、かつて同席した元某大教授とやらが出ていましたが、かつて共産主義信奉のその御仁、合いも変わらぬ極端と鼻持ちならないエリート意識。単に後期中等教育の試験ができたというだけで、アジテーターとして様々な害毒を流してきたのに。
 もちろん、こういう極端論を誉めそやす国民で、そのために何人もの人が死んだことに気がつかない国民であることが最大の問題です。我々は正に、この博物館の末尾に書いたように「勉強」しなければならないし、ごまかされてはならないと痛切に思います。

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