2)「ビッグバンと葉隠」
 ここでは「ビッグバンと葉隠」という、意外?なテーマを掲げました。具体的には、源頼朝を助けたことによって、佐賀県小城の地頭となった千葉氏が、鎌倉時代において、また、室町時代において、いかに大きな動きをしたのかを考えてみましょう。千葉氏は特に、応仁の乱のころには、関東との交流はもちろん、朝鮮半島との交易にも精を出し、朝鮮の本である「海東諸国記」にも、「千葉殿」として掲げられる程の国際的動きをしました。その千葉氏の存在が、江戸時代の小城藩7万石の成立に連なり、葉隠にも、千葉家の宝物の話が出てきます。
chizu.gif (13304 バイト) *海東諸国記
 李氏朝鮮の成宗の家来、申淑舟が書いた「海東諸国記」の一部。
室町時代に成立した本で、小城の「千葉殿」が朝鮮との貿易を行ったことが書かれています。この千葉氏は、鎌倉時代に関東から下向し、日本国内はもとより外国にも進出する国際的な動きをしていたわけです。

 そして、こうした中世の交易は、その後の堺、博多、安土などの自由貿易都市を生み出す原動力になり、中世的ビッグバンとなります。今日喧伝されているビッグバンにも中世的ビッグバンは、大いに参考になる点がある、といえるでしょう。
 重要なことは、当時は武士が商売もしていたわけで、兵農未分離どころか兵商未分離であったのです。
 士農工商などという発想は捨てられるべきものでしょう。
terazu.gif (3837 バイト) *「佐賀市・与賀神社楼門」
 この楼門は、1400年代、少弐政資によって寄進されたと伝えられています。
 少弐氏は、元は武藤といいましたが功により鎌倉幕府成立とともに関東から下向し太宰の少弐に補されそれを姓にしました。室町時代以降は、中国の大内氏と博多の権益を争い政資も遂に1497年、多久で自刃します。
「花ぞ散る 思えば風の科ならず 時至りぬる春の夕暮」の辞世の歌は、伝統ある名家をしょって朝鮮との貿易をし、国際感覚も身に付けた教養ある武士の、一つの到達点を示しているともいえるでしょう。