3.葉隠を現代に生かすもの
1) 葉隠の現状への不満
 で、そうなってくると葉隠は、政治体制としての徳川幕府中期以降の現状に対して、不満があるわけです。明の滅亡によって入ってきたところの、いわゆる官僚国家、それに対してそんなのはよくないと。昔の戦国時代のように殿様と家来とが「実や情」で結ばれる社会こそが理想であると、そういう話しがあちこちに出てきます。佐賀藩の藩祖鍋島直茂や初代勝茂などもそうした人物として描かれます。そのあたりに、また、それを言うために引用されている中世、戦国の事例に、葉隠から政治論を汲み取る切っ掛けがあるだろうと思うわけです。
 もちろん、人生の書として面白いことも当然ですが。
2) コミュニティ・社・惣
 そこで、葉隠の政治論を考えるために、英米法系社会のコミュニティや、東洋の「社」と日本の中世という事を考えてみたいと思うのです。日本の中世は、荘園制度というものがそれ以前にもちろん確立されています。ただし、それが崩壊していくという過程の中で、自然に民主的自治組織ができたわけです。

 例えば「惣」というもの。あるいは「寄り合い」というようなものがあって、早く言えば田んぼの水をどうするとかいうようなことを自分らで決めなければいけないわけで、そのような自治的組織ができていきました。また、英米法系の国ではコミュニティというものがよく言われますし、東洋には社というものがあった。「社長」などという言葉もそこから出ています。つまり自然発生的に社会、村とか町とかが生まれてくるわけですね。これも「実」の一例でしょう。
douzou.gif (5940 バイト) *中国北京の社しょく壇の前に立つ孫文の像
「社しょく」とは、土地の神、穀物の神を言い、それを皇帝が祭るところが社しょく壇です。西洋のコミニティだけでなく、東洋にもこのような村落社会の伝統があるのです。
こうした伝統を「民主的自治組識」としてとらえ直していくべきでしょう。
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 例えばアメリカというのは、その国全体がよい意味での「カルト」いわゆる小さな宗教集団からできているとよくいわれます。ヨーロッパからメイフラワー号でやってきて、1つ州をつくりましたと。次の船でやってきた者は別のところに州をつくったとか。中にはモルモン教徒がユタ州という1つの州をつくるとか。そういうふうなことがあった。そこでの民主的自治組織ができるんですね。
 で、日本も中世においてはそれがあったわけです。自分で自主的に作ったのだから、これこそ人工的ではない本当のナショナリズムの発現といってよい。ところがそれは明の滅亡によって流入した儒教的な管理国家ができることによってズタズタにされる。あるいは明治維新以後ますますそういうことになる。
 また上記のカルトの面からみると、宗教は江戸時代に寺請制度というようなものができて、いわゆる葬式仏教になってしまった。神奈川県の金沢文庫にいきますと、鎌倉時代に繁栄した称名寺では、お墓というものがお寺の中にはないわけですね。結界という赤い糸で結んだ外側にしか墓はつくらない。しかるに、今や寺しか、むしろ寺の主たる営業は墓であるなんていうことになってしまっていて…まったく大間違いの実情にあるわけです。
 もちろん水戸黄門が行った淫祀邪教を取締まるということは大事ですが、現代日本はそういうことでもないわけです。
 こういうことからいきますと、この英米法でいえばコミュニティ、東洋でいえば社、日本でいえば中世の惣的な社会というものを改めて見直す必要があるかもしれない。江戸幕府以降の官僚国家、法治国家は、最近に至るまで大君とか、天皇とかいう基軸なり、バックボーンを持って、優秀かつ責任を持った官僚によって今日の日本をつくったのだけれど、今日、その基軸がくずれ、官僚の責任感の喪失を指摘せざるを得ない実情をみると、今度は自分自身が、やっぱり国民自身が責任感を持ってそういうことをしていかなきゃいけない。
 これこそが「民主主義」です。つまり武士道を考えることは民主主義につながるのです。ですから、憲法や国の行政も、その見地から検証しなければなりません。
 徳川武士道の大君体制による撫民の社会ではなくて、我が国が過去400 年の間に作ってきた制度というものの中に、葉隠的なもののよいところを入れていく、そして調和をしていくということがよいのではないかと。それが葉隠の生かし方ではなかろうかと。そんな気がするわけです。
koumin.gif (8175 バイト) *公民教育研究
 この本は、普通選挙法、陪審法の施行に合わせて昭和3年に東京市政調査会から発行されました。「憲法義解」にあったような撫でまわされるだけの国民ではなく、自分自身を教育して民主主義の担い手にしようという企てが、あの旧憲法の時代にもあったのです。
 しかも、その内容の多くが、日本の歴史を見直すところにあった点が大切です。
 なを機会があれば、日弁連機関誌「自由と正義」1999年1月号の私の論説をご覧下さい。法というものを形式的な「法律」としてだけとらえるのではない「法の支配」の観点が必要であることが述べられています。例えば、御成敗式目など中世の武家法は、人間が作った法よりも高次の自然法を具体化したものといわれています。
 「中江兆民は、「一年有半」の中で、「日本に哲学なし。ただ仏教僧中創意を発して開山作仏の功を遂げたるものなきにあらざるもこれ遂に宗教家範囲のことにて純然たる哲学にあらず。速やかに教育の根本を改革して死学者よりも活人民を打出するに務むるを要する」と述べました。
 葉隠以前約百年間のオランダをみると、グロチウス、デカルト、スピノザ、ライプニッツらが行き交い、彼らは哲学を究め、それからスピノザの「国家論」にみられるような政治の枠組みをみちびき出しました。我が国でも、この時代からやや下った哲学者として、富永仲基、三浦梅園、安藤昌益らを挙げることがありますが、彼らはヨーロッパの思想家のように近代国家の枠組みをつくるところまでは到底行きませんでした。江戸時代を通じて、我が国との唯一の西欧の貿易国がオランダであったのに、こうした国家の根本をかたちづくる彼の地の思想は入ってこなかったのです。そこに日本の悲劇があるのかもしれません。
 しかし、我が国でも、兆民が述べるように仏教者は相当「よいところ」まで行ったのであって、中世に御成敗式目を作った北条泰時のような仏教と深くかかわった人物の心の底には一種の哲学の存在を汲み取り得ないではありません。葉隠も正にそのような本なのであり、これからの日本人は、そのことに賭け、そこに自信とアイデンティティとを持つべきだと思っています。」
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