6) 葉隠の源流・基底としての仏教
 山本常朝の思想の源流に位置する人の中には多くの仏教者がいます。例えば盤珪という坊さんが出てきます。この盤珪は「不生禅」という禅を説きました。不生禅というのは、「不生」、生まれないというわけです。生まれない禅、つまり生まれて死ぬということになると、そこに「時間」があることになってしまいます。でもそうじゃないんだと。例えば、曹洞宗の道元禅師の著書「正法眼蔵」の中にある「現成公案」という部分を読むと、薪が燃えて灰になるのではない。薪は薪の位として存在する。灰は灰の位として存在するのだと。いわゆる一期一会ですね。目の前にある現在、これが一番大事だという。これが禅的な考え方です。
f02_02_9.gif (14738 バイト) *「我がつえ」
 葉隠の「親戚」といってもよい石門心学の本「我がつえ」。石門心学者、手島堵庵(てじまとあん)によって書かれたもので、葉隠にも出てくる禅の坊さん盤珪の影響を強く受けています。
 このことについては、「佐賀地家裁だより」に書いたことがあります。

 葉隠の中で最も有名な言葉は「武士道というは死ぬこととみつけたり」ですが、この「死ぬこと」も、単なる物理的な死ではない禅的な無我の境地を言っている面が非常に強いといえるでしょう。それなのにこれを物理的死とのみ考えたのが戦争中の風潮でした。
 なお、この葉隠武士道にも、竜造寺隆信型と鍋島直茂型とがあるというのが私の考えですが、詳しい内容は葉隠アラカルトで説明していきます。
guumi.gif (9963 バイト) *愚見集
 葉隠の口述者、山本常朝の書「愚見集」と常朝の師、石田一鼎の「要鑑抄」。
 一鼎は、元鍋島藩に仕えた儒学者ですが、その説く内容は極めて仏教に近いものです。