5) 切腹の意味づけ
 そのことは、切腹の意味づけにおいても違っています。戦国時代には、戦争で負けたからといってすぐに腹を切ることは当然には予定されていません。そんなことでは次の戦争ができないのです。また、時にはわざと負けて敵を欺くこともあります。これらの考えが「実」です。そして、主君と一緒に戦い、優しく、時には自分を許してくれた殿様が死ぬときに、「情に感じた」家来は「追い腹」するのです。
 ですから、無理矢理切腹させられるわけではありません。それだけの根拠、実があるわけです。
 こういうことを理想としていた常朝からすれば、殉死禁止令などもっての外ということになるのです。
 もちろんこれはどうみても、儒教的な「官僚の責任」をとっての切腹、というのとは趣旨がちがいます。その意味からも、切腹を責任の取り方としてとらえ、その官僚の責任に依存してきた現代は、徳川武士道の延長の時代であり、それならそれなりに、キチンと責任が取られなければならないのに、それが取られていないところに現在の日本の様々の問題の根本があるのです。
tegami.gif (4894 バイト) *乃木希典大将の手紙
 明治39年に初めて葉隠を活字本として出版した中村郁一はこれを乃木大将に進呈。これがその礼状です。
乃木大将の死は西南の役や日露戦争における失敗を考える時、それを許した明治天皇に対する葉隠的な「追い腹」の色彩が強いといえます。

kyoiku.gif (7460 バイト) *葉隠精神と教育
 昭和14年に出たこの本は、上海事変で人事不省に陥り、捕虜になってしまった事を恥じて自決した空閑昇少佐の死を葉隠の死の典型としています。
もとよりそれが崇高な死であることは間違いありませんが、それはむしろ徳川武士道の典型というべきでしょう。
昭和に入ってから特に、葉隠に対する見方が変わってきたのです。

 表紙の右側に葉隠の「四誓願」がみえます。

一、武士道においておくれ取り申すまじき事。
二、主君の御用に立つべき事。
三、親に孝行仕るべき事。
四、大慈悲を起し人の為になるべき事。

がそれです。
 「つまり葉隠には、「大慈悲」という仏教的要素が大きく取り入れられているのです。これは、常朝の師湛然ら禅僧の影響によるものです。」