5) 切腹の意味づけ | ||
そのことは、切腹の意味づけにおいても違っています。戦国時代には、戦争で負けたからといってすぐに腹を切ることは当然には予定されていません。そんなことでは次の戦争ができないのです。また、時にはわざと負けて敵を欺くこともあります。これらの考えが「実」です。そして、主君と一緒に戦い、優しく、時には自分を許してくれた殿様が死ぬときに、「情に感じた」家来は「追い腹」するのです。 ですから、無理矢理切腹させられるわけではありません。それだけの根拠、実があるわけです。 こういうことを理想としていた常朝からすれば、殉死禁止令などもっての外ということになるのです。 もちろんこれはどうみても、儒教的な「官僚の責任」をとっての切腹、というのとは趣旨がちがいます。その意味からも、切腹を責任の取り方としてとらえ、その官僚の責任に依存してきた現代は、徳川武士道の延長の時代であり、それならそれなりに、キチンと責任が取られなければならないのに、それが取られていないところに現在の日本の様々の問題の根本があるのです。 |
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