2) 儒教武士道による「法治主義」 | |||
即ち仁義礼智信という人倫五常の道などということを正面に据えての武士道、先年、当時の細川首相が米国で講演した新渡戸稲造の「武士道」などがそれです(岩波文庫にありますから読んでみて下さい。頭がコチコチになりますよ。しかし、一般には武士道というと、これのことだと思われていて、ながい間、葉隠も、それといわば「十把一からげ」にされているのです)。 そういう儒教的な武士道というものが、このあたりででき上がりました。この武士道は情や実の中世武士道に対して、合理的で知性的で、悪くいえば形式的です。そしてそのことが法的な意味を持った典型的な事例が、例の赤穂浪士の処分なのです。 赤穂浪士が敵討ちをしたときに、彼らをどう処断しようかということが問題になりました。幕府がいろいろな学者に聞いたところ、儒者荻生徂徠曰く、「これは私情としてはかわいそうだけれど、公的にみると明らかに違法なんだから責任とってもらいましょう」と。そしてそれが通った。大義名分というものをピチッと通さなきゃだめと、違反したものは違反という、いわゆる「法治主義」。形式を重視する主義が出てきたというわけです。 徂徠には「明律国字解」など明の法律を解説した大著があります。 |
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