6) 大君制度とデマルカシオン
 話しを戻して徳川幕府の将軍が中国から冊封されないとなるとどうなるかというと、将軍は一種の皇帝になりたい。しかし日本には天皇という制度がある。そうすると、自分が、徳川将軍が皇帝になるわけにはいかない。で、どうしたかといいますと、徳川将軍は大君(たいくん)というのになったわけです。幕末のイギリス公使オールコックという人が「大君の都」という有名な本を書いていますね。この大君になることによって、徳川将軍は、実質的な皇帝になるわけです。皇帝とは称せない、天皇とも言えない。そこで大君と称して周囲、例えば琉球を冊封します。即ち琉球「王」だと。こうして早くいえば明と同じように、朝貢させて貿易をすることを行ったんですね。オランダに対しても同様です。
 なお、このことは、西洋史を含めた世界史全体の視点から見るべきです。というのは、1529年、ポルトガルとイスパニアは、1494年に成立していたトルデシャリス条約に加えてサラゴサ条約というものを結び、デマルカシオン(世界分割)を完成させました。これは、地球をスイカを割るようにタテ割りにしたいわば列強による地域分割(というより、正に世界分割)のはしりです。世界史でも習いますよね。
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minato.gif (7451 バイト) *松島湾
 伊達正宗はこの仙台湾の港湾施設を充実させ、遠くノバ・エスパニア(メキシコ)、スペイン、ローマとの通商を開くことを考えていたと思われます。
この写真は、松島湾の風景です。
 私は、この分割線が日本の真上を通っていたことが重要であると思います。というのは、この線を境として、西の九州にはポルトガル、オランダ、それらの後継者イギリスらが跳梁跋扈し、東の仙台の伊達政宗は、イスパニアとの交渉に熱心でした。ですから、これを放置していたのでは、日本の両端に位置する大名が、日本を分断する恐れがありました。特に、現代のような「国民国家」という観念が乏しかった当時はなおさらです。
 そのため大君制度というものには、武力の総元締めである将軍が、東照宮に代表される人工施設等を使って巨大な専制権力を確立し、日本の東西分裂を回避するという防衛的意味があったと思われるのです。
 現代の日本の歴史教育における「鎖国」の意義についは、この世界分割の視点が欠けています。ちょうど日本と似た経度に位置するフィリピンについても、ポルトガルかイスパニアかで、帰属がもめたのです。