「武士道」って何?
 「武士の道です」といえばそれまでですが、日本の国も二千年前後の歴史を有し、島国とはいえ外国との関係も相当あったわけで、武士の道もいろいろと変化してきました。また、武士道に関係の深い「切腹」の意義などを考えると、それは国家観の問題につながっていきます。
その変化を知ることが、「日本の今」を知ることになるのです。
難しくいえば、「武士道とは、行政主体(国、公共団体、幕府、藩)を担う公務員や武士の職業倫理ないしは統治の理念である」といったところでしょうか。
武士道の2つのタイプ
 この博物館では、武士道を大きく2つに分けて紹介していきます。
1葉隠武士道  2徳川武士道です。そして 1は更に、竜造寺隆信型と鍋島直茂型に、 2は水戸型、会津型、そして、徳川本家型に別れます。
2はよいとして、 1は初めて聞いた、とか忍者の本かな、などと誤解している方があるかもしれませんね。葉隠は、1716年、享保元年に、九州の佐賀藩に成立した本です。元鍋島藩士だった山本常朝(じょうちょう)という隠者が、田代陣基(つらもと)という若侍に語った内容を、陣基がまとめたものといわれています。ちょうど徒然草みたいなものといってもあながちまちがいではないでしょう。
suikun.gif (6664 バイト) *常朝先生垂訓碑
佐賀市北郊にある黒土原(くろつちばる)の草庵跡には、戦前「常朝先生垂訓碑」が建てられました。近くには、常朝の師、堪然(たんねん)のお墓などもあります。
 武士道というと、一般には 2の方がイメージされると思います。むしろ、 1と 2との違いなど意識されないことの方が多いでしょう。しかし、この2つは明らかに異なり、その違いを良く認識することが大切です。
では、葉隠武士道と徳川武士道とのちがいはどこにあるのかといいますと、東大名誉教授の相良亨先生も述べておられますが、前者は仏教(特に禅宗)をバックボーンとし、後者は儒教(ただし、日本化されたそれ)をバックボーンとしている点にあります。2つの武士道の細分化された中身についてはおいおい説明していきますが、とりあえずこの2つのタイプを歴史的に考え、特に葉隠武士道の意義を紹介するのがこの博物館の目的です。
f01_01.gif (12422 バイト) *葉隠の「いちょう本」
葉隠の原本は伝わっていません。これは「いちょう本」と呼ばれる明治以降に出版された和綴じの本です。
江戸時代の写本としては5~6種類が知られています。
tsuika.gif (11399 バイト) *栗原荒野編著・「校注葉隠」
1940年に発行された本で、戦時中の雰囲気が色濃いものですが、注が優れています。これは私の母が卒業記念にいただいたもので、校長先生の贈る言葉が添えられています。
f01_02.gif (13425 バイト) *「武道初心集」
葉隠と同時代の武士道書「武道初心集」。大道寺友山(だいどうじゆうざん)著。武士は日々夜々「死」を胸に当てよ、と説きます。

「今日ありて、明日を知らぬ身命に候えば、・・・・何事も皆其日払いに仕るをもって」などと述べるところは、葉隠にも通ずるものがあります。
naberon.gif (6503 バイト) *鍋島論語葉隠
 中村郁一という人によって明治39年に初めて印刷公刊された葉隠です。中村はこの本を乃木希典に送りました。
乃木の明治天皇に対する殉死の意味を探るヒントがこのあたりにもありそうです。
中村は、葉隠命名の根拠を西行の歌にありと考えていました。