イギリスのEU離脱の話しから 
Thursday, June 30, 2016, 11:59 PM
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いよいよもって世の中は世界的に変ですね。イギリスのEU離脱の話です。

でも、他人事??ながら興味があるのはその世代間の考えの違いです。イギリスでは、戦後のいわゆるベビーブーマーが離脱の投票をし、若い人たちがその団塊の世代に怒りをぶつけているとか。ほとんど日本の団塊の世代、というかその翌年生まれで、もっとひどい目にあった私としては、日本だけじゃなくてイギリスもそうかよ、と言いたい気分です。

あの1970年前後、確かに世界的にベトナム戦争、文化大革命、ヒッピーなどなどが流行り、戦争を知らない子供たちが革命ごっこに時には命を落としました。
もちろん、例外がないとは言いませんが本当の苦労を知らないお坊っちゃま、お嬢ちゃまの夢物語だったと言いたいです。

ですから、日本でも、あの時代にマルクスレーニンと一緒になりたいという夢物語を考えた連中つまりお坊っちゃま、お嬢ちゃまは、どだい趣味悪く、センスが悪いのに、学校の成績だけはまあまあで、おまけにお金もあって、そのままちゃっかりと官界、政界などに巣くい、例えばGPIFのお金をすっても知らぬ顔というのが今の実情でしょう。

こうしてベビーブーマーだか団塊だかは、世界中で変!ということを今回の投票は見せてくれました。

もっともそんな中で、スコットランドとか北アイルランドとかが残留に入れたというのもわかるわけで、全くのど素人の感想ながら、アダムスミスみたいな賢人を排出した国?は違うなと思ってしまいます。以前、たまたまロンドンの地下鉄で、隣り合ったスコットランド人の男性の賢明さも思い出されることです。
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オーランドの事件を見ていて 
Thursday, June 16, 2016, 11:57 AM
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フロリダ州オーランドの事件は本当に痛ましいことでした。何十年か前、ニュージーランドのそれに類するレストランの中をバスから眺めてびっくりしたことも思い出します。でも、既にその頃は、ニュージーランドやオーストラリアでは同性婚に相当するものが認められていました。

この事件の原因に同性愛というものが関わっているとすると、それは、当然ですが、歴史的にも地域的にも極めて奥の深いものを感じます。

というのも、同時くらいにネットに出たのが、日本の北の韓半島北のその国の事情でした。
その国では、同性愛などというものは、そもそもナイという建前というか、常識のようです。その観念を支えるものは何か。根本的には儒教的なものでしょう。
それは、男と女という2つがあってこの人間世界は成り立つと考えます。バイセクシャルなどという中間的なものは認めません。
そうなると、その国では様々な悲劇が生まれるのは当然です。

では、日本ではどうか。今の日本は、傾向としてそのきたのくにと似ていますが、実を言えば「葉隠」は、正にホモセクシャルの代表みたいな本なのです。三島由紀夫はおかしいとは思いますが、一応、その点は抑えていた。肥前の衆道の元祖みたいな人も出てきますし、追腹にもそれが関わりました。

でも、儒教主義の近世武士道はそれを許さない。それがアジアの1つの姿であり、中東ともつながります。
ここのところがわからなければ色々な事象は解けないはずです。
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大統領の広島訪問 
Friday, May 27, 2016, 09:47 PM
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アメリカ大統領が広島に行かれたことは良いことでした。

アメリカでは原爆投下で多くの米国人が助かり、日本も戦争を終えた、との評価が一般のようですが、もちろん、無辜の民を殺めた戦争犯罪は絶対に許されるものではありません。

しかし一方、そういう事態がなぜ起こったかといえば、当時の日本の為政者に、戦争というものをなしうる国家の資格という視点が全くなかったという点が大きいと言わざるをえないと思います。

昭和19年7月のサイパン島陥落以来、本土はB29の航続距離にしっかり組み込まれ、日本は戦争遂行能力を失いました。硫黄島の戦争などは、本来なすべき戦争ではなかったのです。以後の、命令をしっかりと遂行した将兵は、それこそ軍人の鑑ですが、命令を出した方の中央の為政者は全くなっていませんでした。東条英機こそ退任はしたものの、後継内閣も最後の最後まで「国体」などという、水戸学の、正に中国伝来の言葉にこだわり1年以上にわたる国民の犠牲を強いたのです。沖縄も原爆もそれです。

つまり、こうした事象は、この博物館にある「新武士道」のなしたとんでもない結果なのであり、そのあたりを深く分析し、身に帯しなければ、最近の傾向からして、再び過ちを起こす危険があります。
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国際・友好もほどほどに 
Tuesday, May 24, 2016, 09:28 PM
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最近も色々とおかしなことが山積しているわけですが、1つ危険に思うのは北方の大きな国と仲良くしようという為政者の傾向です。
挙げ句の果てに開発、発展?・・・とんでもありません。

北の大地には確かに小型トラックみたいな熊や猪がいて、当然、木材や地下資源も豊富で、私が丸々港で見た貨物列車は80輌も繋いでいましたが、・・・これは開発しないから良い。

もし、開発して、その地域に経済的豊かさが生まれれば、今、我が国が外交的に手を焼いているどころではない面倒臭い状況が生まれるでしょう。
戦前、日本軍が調査をした北方民族の記録がありますが、一種の首狩りで、正にびっくりしたということが書いてあります。

要するに、そういう文化人類学を政策に生かすことができない底の浅い我が民族と言わざるをえません。

底が浅いといえばこんなこともあります。過日、西の大国の街中を歩いていて、ふとビルの壁を眺めると、プレートにスローガンが。曰く、自由、民主、平等、云々。そういえば朝鮮半島の北の国も民主主義?・・・実態と言葉の乖離はもとより著しく、言葉を厳正に用いていないという意味では底が浅い。
しかし、それなら我が国はどうか。

憲法第41条の「国権の最高機関」という言葉を「政治的美称」などというのがほぼ通説ですが、それじゃこの文言は「法律じゃない」というに等しく、これまた言葉を弄んでいるだけ。

一方、パリのパリ大学の入り口には(というか町じゅうに)、「自由、平等、博愛」とあって、同大学の真ん前にはルソーやボルテールが眠るパンテオンが鎮座するとあっては、いい加減では済まされないでしょう。

要は、アジアは底の浅さで五十歩百歩。これをしっかり解消できなければ、所詮西ヨーロッパやアングロサクソンには勝てない、ということかと思います。

それにしても、本当に、外務省は何をやってるのかね、と思います。
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地震と社稷の話 
Monday, April 18, 2016, 09:33 PM
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数日前は博多にいました。深夜にグラグラと地震がきました。
熊本の益城町も南阿蘇村も色々と思い出多き場所です。
益城は建軍の少し先で、横井小楠が家塾「四時軒」を開いた沼山津に近いところです。生まれたところ小楠公園の至近でもあります。益城を東に進めば徳富蘇峰が生まれたところ(母の家)。逆に西へ行けば彼が「将来之日本」を書いた熊本市内、大江義塾へ。
熊本にも様々な、近代日本をどうするかの試み、悩みがありました。

そういう土地で、地震により被災された方々への心からのお悔やみを申し上げたいと思います。

それで、こういう時に早速出てきたのが緊急事態とかなんとかいう机上の話です。確かにこれは台湾の高雄の地震でも問題にはなったのですが。しかし、熊本の知事さんが言われる通り、現場がまずは大事で、東京からのコントロールはピント外れのことになりかねません。

ある市の市長との話から浮かんだのは、特に地方では、そもそもこういう場合の基礎が破壊されてしまったなということです。
それは、10年前の大型合併。幾つかの町が一緒になったため、役場や市役所の支所、つまり従来の町村の役場には、他所から来た職員ばかりで、当該元自治体の実情には全く疎く、どこが崩れたとか何が破壊されたとかいってもわからず、瞬時の対応に極めて苦労するというわけです。東京の人間にはわかりませんが、山の中のなんとか沢とかかんとか淵とかいっても、他所から来た役場の職員にわかるわけがありません。かといって、地元自体も壊れているので、採用できないという悩みもあります。

これは市町村の合併以前の農協などの合併でも問題になりました。合併はもちろん全てがマイナスではありませんが現実は現実です。経済的にやむを得ない、運命である、というのもうなづけるのですが。

要するに、農協でも市町村でも、武士の生き方的に言うと、中世の「一味同心」の世界、あるいは、「コミュニティ」の世界、あるいは、権藤成卿というひっくるめていえば右翼民族主義の「社稷」の世界、そういうものを忘れてしまったことの結果なのです。

変な話と言われるかもしれませんが、こうした権藤らの悩みも色々と考え、これでよかったのかなと反省することも大事でしょう。
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チェコやハンガリーを観ていて 
Thursday, March 24, 2016, 11:46 PM
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先日来、NHKの朝の番組、関口何とかさんのヨーロッパ鉄道の旅を観ていました。
スイスの後は、ハンガリーとチェコ。いずれも綺麗で、私自身下にあるとおり、ちょっとではありますが行ったところです。ただし、名所旧跡ではありません。

スイスはとりあえずおいて、ハンガリーとチェコについては、いずれも社会主義時代の話が出ていました。「ひどかった」という話です。本当にそうでしょう。要は自由がなかった。
私が行ったブダペストの旧秘密警察のビル。その重苦しさといよりも恐怖は考えただけでもぞっとします。一切何もないコンクリートむき出しの密室を想像するだに恐ろしいものがあります。

そして、だからこそ、あの時代にあの国家体制を良しとした日本の若者、即ち現在の高齢者が、一言で言えば許せないのです。もっとも、許す許さないの問題ではなく、そういう人物が今でも政治を牛耳る仕組みだとすると、再び明らかに誤りが犯される、あるいは犯されているので、そうしたことの原因を探り、是正しなければ、この国はこれから益々浮かび上がれないだろうなと思うのです。なぜなら、それは一種の文化人類学的問題だからです。

チェコのプラハには社会主義博物館があります。例のプラハの春・チェコ事件で、ソ連の戦車が押しかけたバツラフ広場に近い場所です。
社会主義時代の色々な物が展示してありますが、中にソ連のブレジネフ書記長が、チェコの指導者とキスをしている写真があります(あちこちにありますが)。男同士でキスをするのも珍しくないかもですが、これは、ちょっと変わったあの辺りの文化なのかなと思います。

というのは、江戸時代、日本人の大黒屋光太夫が千島に流され、日本へに帰国の許可を得るためにサンクトペテルブルクまで行った時、無事にエカテリーナ二世の許可を得て日本に帰りがけ、エカテリンブルクだったかイルクーツクだか忘れましたが、一緒に漂流して、ロシア正教に入ってしまったために帰国できない日本人の仲間に会ったのです。彼らは別れを惜しみキスをしたと「北槎聞略」あります。

そんな「文化」が、あの社会主義の時代にも(今も?)あったということでしょうか。何しろ、文化、もっと言えば人間の脳みそにこびりついたものは、革命以上に強いものでちっとやそっとでは除去できないのです。中国で文化大革命と言いながら、「実権派」を市中引き回しという中国文化そのもので懲らしめていたことも同傾向でしょう。

だから、社会主義を良しとした文化そのものや、それが巣食う人間の脳みそが問題なのです。その見地?から見ると、日本の試験制度には、大きな誤りがあると思えてなりません。

およそ日本には科挙がなかった。門閥政治そのものでした。それが、明治に入って公平な高等文官試験が始まった頃、長いこと公平な科挙をやっていた中国ではこれを廃止。つい最近、再開的な状況になっています。
しかして、科挙がなぜ廃止になったかといえば、それは試験問題のせいであり、公平な試験をしていたことが理由ではありません。科挙の存在そのものは悪いことではないのです。
ちなみに私は、南京に今もその一部が残る、科挙の試験場・肯院に行ったことがありますが、極めて感動的なところです。

ですから、重ねていえば、科挙そのものが悪いわけではなく、逆に、日本の高等文官試験が全て良かったというわけでもないのです。要は吟味すべきは試験問題です。
あの70年安保当時にあの恐るべきソ連と結託しようなどと考えるような人物を、優秀??な学生や、学者、政治家としてしまうような試験制度では、科挙が廃止された通り不十分あるいは有害であり、今もその、過去の優秀??な学生の成れの果てが国民の生命、財産を危殆に陥らせることについては、本人はもとより選挙民も真に反省あるいはそれなりの行動をとらねばならないということなのです。

ここらあたり、例えばオーストリアの歴史教育についての発想など、日本と真逆です。最近は、その真逆度が一層激しいものになっているような気がします。
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機能的にものを考えよう 
Thursday, February 25, 2016, 11:03 PM
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結構なお年寄りとの(なんて言ったら私もそのうち)昼食会の幹事役を毎月やっていて、皆さんそれぞれ、官界、経済界で名を成した方々なのですが、一昨日、一同いよいよもってここのところの経済はおかしいぞ、ということになりました。

およそ例の株の値段上げにしても、この博物館の武士道的視点?から見れば、中国の史記やそれを真似した日本の大日本史(その経過はこの博物館の本文にあり)ばりの「美しい物語」作りに過ぎないのですから、どこかでメッキが剥げるのも当然。
それが、このところのマイナス金利まで加わって、葉隠の地元では他地域同様地方銀行の経営が厳しく、結局、九電その他も大変で、地域経済の牽引役は全滅に近い有様。

いつもあまりはっきりとは結論を言われなかった宮崎勇元経済企画庁長官が、先日なくなる前に講演会を企画したところ、そこのところをしっかり言われていたことも思い出されます。

問題は、上記の「美しい物語」作りに歴史的文化的な深い原因があるように、この国の他の事象にもそれぞれ原因があり、かつ連携していることです。

先日、久しぶりに北マリアナつまりサイパンなどの司法制度の視察をさせていただき、相当ディープなところまで拝見できたのですが、つくづく思うのは我が国の猿真似ぶりと、機能でものを考えていないことでした。
彼の地では陪審が行われていますが、そのためには、中学生の時から模擬裁判などでしっかり鍛えます。我が国が裁判員などという中途半端な制度を作ったのとは全く違うのです。

そして、機能でものを考えないということは、つまり「美しさ」即ち見た目の綺麗さでものを考えてしまうということです。
この発想は、勝てば官軍的な中世武士の発想とは違います。勝てば官軍は悪くない発想なのです。
琴奨菊が、日本の相撲も勝つことにもっと貪欲にならねば、という趣旨の発言をしましたが、まさにそうでしょう。

ここのところ、やっぱり中世武士の発想に戻らなければ、日本の明日はないと思われてきます。
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零戦は70年ぶりじゃない 
Thursday, January 28, 2016, 10:37 AM
昨日の零戦70年ぶりに日本の空を飛ぶ、みたいな報道ははっきり言って間違い。
昭和52・3年くらい、つまり1977年過ぎ、今回と同様にアメリカからきて、私の場合は、佐賀の平和会館つまり護国神社の上から裁判所上空を通って去りました。
みんなで屋上に出て見たものです。最後にバンクして去るときは、目田原から特攻機を見送った母の話を思い出し、ジンときました。
70年ぶりとかいう「物語り」をどうして作ってしまうのか。スカイツリーが世界一という以上のおかしさです。
仲良くしていた零戦の撃墜王坂井三郎さんも、そういう物語は大嫌いでした。

嘉村 孝 
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ハンガリー雑感など 
Wednesday, January 27, 2016, 11:27 PM
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この間もいろいろなことがありました。

台湾の総統選挙は、予想通りの結果に終わりましたが、2000年の総統選挙にあたり、各候補の選挙事務所を訪問したことが思い出されます。選挙の熱気は日本の比ではありません。当時の陳候補、連候補共々、夜10時までの選挙運動時間を、罰金を払って越えながら、スタジアムでの大演説をしました。
1987年の戒厳令解除後日がなかったとはいえ、感動ものでした。
この雰囲気が、日本では無くなって久しい(元々ないか)といえるでしょう。

台湾ではこれで政権交代ですが、複雑な台湾で、上記戒厳令解除前後の激動を越えてきた新政権は、突如としてドラスティックなことを行う可能性は少ないと思います。政治は理想を忘れてはいけませんが、今日までの流れ、大きく言えば歴史や国民の意識を無視して、急激な変革を行っては混乱を招きます。
そうしたことにならないために過去への深い洞察も必要なのでしょう。

それ以前、スイスの4都市とハンガリーのブダペストに行ってきました、と言うと、多くの人が素晴らしい、綺麗でよかったですね、と言います。
でも、この旅行は少々ヒネていまして、ルソー、カルヴァン、アインシュタイン、エラスムス、ツヴィングリらの故地を巡り、博物館を見学するのが主なので、アルプスの山並みは遠くだし、鎖橋は山の上から見た!というだけでした(そもそも忙しくて時間なし)。

そして、その他の関心も、永世中立国としてのスイスの武装とか、社会主義時代のハンガリーの生活とかにありましたので、スイスの街中にある兵器庫とおぼしきところとか、社会主義時代のハンガリーの特殊な警察の跡など、極めて興味をそそるものでした。特に後者は、私自身の青春時代を思い起こすと、あの政権や、その司令塔であるソ連にシンパシーを感じて、ストライキをしたり、石を投げたりしていた昔の左翼学生には、誠にもって腹が立ちます。いや、人間には考え違いということはあるのだから、それは許すとしても、今もなお彼らが、全く反省の言葉なく、それどころか、あれを懐かしみ、政界、官界、司法会、財界等に巣くい、国民の税金を誠に不適切に運用し、損失を出してはじないというこのシステムに矛盾を感じるのです。
何よりも、彼らが今や、素知らぬ顔で「保守」になっていることが許せない。

ま、それはそれとして一つ。
昔は東欧と呼ばれたポーランドや、チェコ、ハンガリー、ここらでの日本の人気?はなかなかです。それはトルコと同じであって、あのロシアを打ち破った国であるということが大きい。これらの国は、ロシア、ドイツという強国に挟まれ、その首都の直近に要塞を築かれて、常に大砲の射程にあるような生活を強いられてきました。
零下10度の雪の降るブダペスト。切符を買うための長蛇の列。正に社会主義の名残ですが、人々はペチャクチャとおしゃべり。そして私の順番がくると、「どこから来た?日本か。楽しんでね」と大歓迎。こんなことが何度もありました。

そういう実態を考えると、今の日本政府のロシア政策は全くの間違い。ここでも、私が幼稚園生の時会わされた真崎勝次元海軍少将(当時、衆議院議員)の言葉を思い出します。真崎少将はロシア語が堪能で、ロシアの駐在武官をされていました。そして、戦前、日中の提携を言い、ロシアを警戒すべしという立場でした。兄の真崎大将も同じ。

その反対に、スターリンの甘言にごまかされて提携相手を間違え、果ては中国政策も間違えて、今の巨大中国を作る手助けをしたのが松岡外交から2・26後の政権でしょう。
こういうことを書くと、多分、よくわからない、という人が多いかと思います。今はそれが国会の政治家レベルにまできていることに、昔の政治家との落差を感じざるをえません。

ついでにいえば経済の世界もひどくて、先日亡くなった元経済企画庁長官の宮崎勇さん。その最後といってよい講演会を去年企画し行いましたが、先生の言葉は、正に遺言と言ってよい、現在の経済政策に対する苦言に満ちていました。
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夫婦別姓と武士道、そして育休 
Monday, December 28, 2015, 09:51 PM
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今年もいよいよ御用納め。

近頃のトピックとして夫婦別姓の話がありますが、これを武士道的に言うと・・・別姓になる。

一 武士道において未練を取るべからず。
二 先祖の名字を断絶すべからず。
三 畢竟御用に立つべし。
とこれは葉隠に先行する石田一鼎の三誓願なのです。
この言葉の意味は極めて深く、アジア全体、あるいは世界的視点から考えなければいけないのですが、二番目の、先祖の苗字云々の発想からいうと、女性の姓を変えさせることは武士道に悖る行動ということになります。

現に北条政子や日野富子は旧姓のままでした。

しかして例の事件、ここのところはどうなのかな、と思って、訴状をチェックしましたが、全く論じられていませんでした。

ここのところが日本人の本質軽視の傾向と言わざるをえない気がします。

一方、もう1つの話題が、国会議員の育休の話。

これもふざけています。日本が議院内閣制の国であり、国会議員が内閣に質問したり一票を投じるという職権の行使を本質とする職責を
負っている以上、いわゆる無定量の奉仕つまりは24時間責任を持つのが当然であって、それができないなら辞任するか、せいぜいベビーシッターを付けるのが当たり前。極端は話、国会議員全員が育休を取ったらどうなるでしょう。

日本の弛緩は著しいなとつくづくおもっています。


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