佐賀県情報センター展示に関して

引用

  2007/1/17 (水) 13:52:44 - (有)クラッチ 毛利良二 - <メール送信> - No.1169008771


午前中お電話させていただきました。クラッチの毛利と申します。
福岡を中心にイベントの制作を行っております。
今回ご相談したい件は、19年3月16日(金)~3月30日(金)の期間
会場:佐賀県福岡情報センター(福岡市天神イムズ7F)
に於きまして、佐賀のPRを行う催事の提案です。

過去に、ムツゴロウの展示や樫原湿原の写真展、長崎街道宿場町紹介
等佐賀県のPRを行っております。
今回はシニア層へ向けたPRイベントの提案の為、「葉隠」をテーマ
とした展示を考えています。現在上映中の「武士の一分」の影響もあり
武士道の世界を現代社会に置き換えた内容の紹介などができればと思っています。

何卒ご検討頂き、ご協力の方よろしくお願い致します。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2007/2/10 (土) 11:57:04 - 嘉村孝 - No.1171075640


(添付1) 1171075640.1.NEC_0181

遅くなりましたが、1年前の「事務室だより」です。

写真は、横浜市金沢区にある上行寺東遺跡。ただし、マンション建設で破壊され、型を
取って
移したもの。ごく一部のみ残ります。
中世の祭祀遺跡で、正面やや左に見えるのは阿弥陀様の下部。様々なことを考えさせる
ところです。
こういう遺跡を破壊してしまう日本であることに、日本人のレベルが見えるのは残念。

★1月31日
 あるアジアの友人に、太平洋のある小国家にはやたら貴国の人が多いですね、という
と、まっすぐアメリカには入りにくいので、まずあの辺りに入り、実績を作ってからア
メリカに行くのです、との話。
 いやはや戦略的?だなと関心するとともに、個人にも正に戦略観あり。日本のように
どこへでも行けてしまう国民はやはり平和ぼけになるのかなと思いました。
★1月28日
 明日はアジアのお正月、春節です。太陰暦を忘れ、擬似西欧化した日本のおかしさは
時々記してきました。
 ところで、この1,2年、少なくともその社会的地位からいうと、一流とされる数学者
や天文学者の先生とお会いする機会があり、天文学や暦と、この博物館に書いてある国
粋主義なり武士道なりとについて話しを向けてみましたが、一向関心も示していただけ
ません。これが、韓国とかだったら飛びつく話しなのに(現に私の友人の韓国人はそう
いう本まで出しています)。
 本来、物理と政治とはつながってよいものです。中国の政治家には理科系が多いです
し。なのに日本では政治家は文科系。それも著しい文科系です。そして、理科系の人は
上記のとおり。少なくとも昔はそうではなかったと思います。儒教的教養は理科と言っ
てもよいものですから。日本全体の力の低下がここにも見えるといわざるをえません。
★1月26日
 何かと「試験」の季節。センター試験とかいう、どうも感心できない試験もあれば、
学校、大学の期末試験も。
 自分もそうした一部を垣間見て思うのは、論点を提示した問題についてはどれも判子
を押したような、しかも大量の中身が。一方、何が問題か判らない問題については、論
点が判らないので、さっぱり。
 自分の昔の経験では、論点が判らない方が、論点探しという作業が加わるので、大量
な答案になった記憶があるのですが、この点からも日本人のクリエイティブな発想とい
うものが減じているなと思われます。
 こういう現実を前にしながら合格者の大量輩出という司法試験のようなことをすれ
ば、結局裁判所が交通整理をすることになり、戦前のように、裁判官は弁護士よりも一
段上、というようなことになって、おかしな統制国家が出来上がることでしょう。ただ
でさえ官尊民卑の意識が消えないのに。
★1月23日
 「人は死ねばゴミになる」は伊藤栄樹元検事総長の書で、筆の立つ人でしたが、彼
(か)の人があるところで、「検察庁が電話1本架ければたちまちトイレットペーパーが
出回ることになります」と言われたことがあります。
 もちろん、例のトイレットペーパー出し惜しみの時です(今や昔の物語ですが)。
 今回のライブドア騒動はこういう発想と無縁であることを祈りたいと思います。検察
はあくまでも坦々と。そして巨悪に向かってほしい。
★1月21日
 30年近く前、4か月間席を置かせていただいた恩師の病床を見舞いました。その方
のお父上は日本の仏教学の泰斗です。
 1年に、年初と1,2回の出会いながら、先生との話しは、意見は必ずしも一致しなく
ても、いつも弾みます。そうして弾ませていただくことができるのも、先生の教育にあ
ずかるところ大でしょう。
 一体、教育とは、考える方向を示すこと。否、むしろ本当に考えるという姿勢を植え
つけること。いわば、そういう生き様を共にすること。
 最近読んでいる葉隠と同時代の儒者の本を帰りの電車の中で読みながら、そんなこと
を考えました。知識の伝授に偏した最近の教育を思いながら。
★1月17日
 昨年も何回か武士道にまつわる講演をさせていただきましたが、今年も近々第1回目
があります。
 ただし、私はこの方面の学者ではありません。本業の方も、学校で教えてはいても学
者ではありません。何かといえば実務家です。それは過去をイグザミンすることももち
ろんありますが、何より将来に向けて理想を実現する仕事です。
 そこで思い出すのは、上田秋成と本居宣長との論争です。言語に関する論争は、ある
意味で、実務家と学者の論争といえないでしょうか。
 秋成は宣長の古事記伝のような前人未到の研究は残さなかったかもしれませんが、考
えの深みと広さは比べ物にならないと思います。宣長の「玉かつま」など読んでいると
頭が痛くなる偏狭な本といわざるを得ません。一方の秋成の雨月や春雨はその仏教的・
思索的深さは、人を明日へと導くものです。私はそういう秋成に無限の親しみを感じま
す。
★1月13日
 霞ヶ関のある役所の地下、本を買おうと思ってふとカウンターを見ると、同じ並びの
右側には印紙・切手、左側数十センチメートルには書籍と書いた札が。そして、ガラス
ケースの中には、本が「平で1冊づつ」置いてあります(平積みではない)。
 これをみると、いつも北朝鮮や昔の中国を思い出します。お客は売っていただく立場
として、並んで買わせていただく。さすがに、昔の中国のように、「私は印紙の担当だ
から本は売りません」とか、「そこの担当者はご飯を食べに行っていて1時間しないと帰
りません」とはいわないものの、売る方が客に整列を強制している点では同じです。そ
ういうことをしているという自覚がないのです。
 このご時勢でも未だにあんな状態ではこまりもの。北朝鮮は「別格」として、中国な
どは劇的に変化しているのに。これを改めなけれな日本はいよいよ「文化財国」です。
★1月7日
 昨日は埼玉県まで仕事に行きました。その仕事先の少し先には、旧岡部町(現深谷
市)があり、ここには砲術家・高島秋帆が流されたと言われ、私にも若干の関係があり
ます。
 その秋帆のことを記した「下総佐倉藩分領地・枝松和雄」という一文を読んでいた
ら、「先見性を持たず、伯楽の資質を持たぬ為政者気取りの者達が権力を握り、激動の
時代にいることは、その国にとって不幸なことである」とありました。
 正に、身につまされる言葉です。
★1月5日
 明けましておめでとうございます。
 昨年つくづく感じたことの一つは、日本人の国語力の低下。私とて大きな顔はできな
いのですが、余りにも古典・漢文の能力がなさすぎ。そもそも教える力を持った人自体
が数十年前から枯渇しているのでどうしようもないとはいえますが。
 ちなみに私の高校の漢文の先生は1年に15頁くらいしか進まない方で、それだけ中
身が濃かった。古文の先生もその後、国立国語研究所に行かれ、今はある大学の先生。
しかし、そのお二人に比すれば、他の先生には「陰り」が見られました。
 何とかしないと,日本人とはそもそも何なのかについて、わずか百年前のことさえわか
らなくなってしまいそうです。それは当然、日本人の考える力を低下させます。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2007/3/10 (土) 19:52:57 - 嘉村孝 - No.1173523834


(添付1) 1173523834.1.JPG

1年前の「事務室だより」です。
写真は、佐賀市六座町の旧長崎街道。

★2月26日
 今日は2・26事件の日。刑死者の墓前には私に関係深い会津からの人も含めて多く
の人々が集いました。青年将校にはやはり佐賀や熊本などが多いのは真崎大将も含め、
運命、いや、明治以来の陸軍内の流れを感じます。長州の陸軍支配を前提にせずにこの
事件は語れませんから。
 軍閥どうしの争い云々といった取りまとめの抽象論でなく事実がそうなのです。
 それにしてもこの事件をどう解釈するかはまだまだ完成の域に達していないと思いま
す。それどころか不正確な話しが跋扈しています。少なくとも江戸時代からの歴史を正
確に考えなければ問題の本質はつかめません。
 図らずも、遺族の方から、明治維新がなければこういうことは起きなかったかも、と
いうお言葉をうかがい、相当な同感を覚えました。ある大学の先生です。
★2月21日
 しかしそれにしても、13日に書いた桜井の駅。坊門某なる公家のばかな託宣に従っ
て亡くなった楠正成は、確かにいわば滅私奉公の鑑(かがみ)として神様に祭られたわ
けですが、彼に死ねと命じた連中はきちんと責任をとったかというと、とらない。
 これぞ正に60年前の戦争における兵隊と為政者との関係と同じでしょう。
 こうなると、戦闘で死んだ人は何やらわけの分からぬ神様扱いでお茶を濁され、背後
の人間は責任を取らないという、いわば死に損です。実は、勲章などという賞勲制度も
正に同工異曲であり、名誉を種に人を操るという、平等感とは全く無縁のものです。
 ここでも鎌倉の御家人が、堂々と実質的な恩賞を求める姿こそ本物の武士の姿と思え
てきます。現代の国民もおかしな仕組みをしっかり評価できる力を待たねば負けます。
★2月20日
 先日、大正末年、昭和初期生れの5人の先生達と昼食をともにしました。1人の恩師
は「君はよくもこんな老人をあつめたもんだね」と。
でも、私にとって年は関係ありません。
 何しろその先生から昔、ある問題についてレクチャーを受けた時は、脳味噌の中に垂
れ込めていた霧が、櫛で梳くように晴れていった思い出があります。あとにも先にもあ
んなことはありません(今のところ)。
 それは、ある事実を教えてもらったのではありません。考える方向を示してもらった
のです。ああいう教育はそんなにない。それが現今の問題であると思うとともに、至福
の時でした。
★2月13日
 大阪に日帰り出張。京都を過ぎて、山崎を通る頃、昔、東海道線で通るときは「桜井
の駅」がよく見えたな、と思い出しました。楠正成・正行父子の別れの場とされるとこ
ろです。奈良の桜井市ではありません。大阪府島本町桜井。
 「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕間暮れ・・・」と歌われましたが、現在は、滅私
奉公の碑とか色々建っているようです。神戸の湊川神社にしても、江戸時代のはじめま
では小さな土饅頭程度だったのが、何かと一色に固めて1つの考えで迫るのはよくない
な、と思わざるを得ません。正成も決してそんなことは望んでいなかったであろうこと
は、太平記を読めばわかります。
 明治以降、歌や絵によって新しいお話ができてしまったことをこころし、原典にあた
るべきです。
正成が、九州から東上する尊氏を迎え撃つについて、いったん京都に迎え入れ、天皇
は延暦寺に避難していただき、義貞と正成で挟撃を図る案を出したのに対し、坊門某な
る公家は「1年のうち2回も延暦寺に逃げるのは格好悪い」的な「実」に反する言を吐
き、それは沙汰やみとなりました。それが湊川の悲劇の始まりで、今日でも似たような
判断をしている日本の政治家がしっかりいる。これは「公家化」といわねばならない現
象でしょう(いかに威勢よき顔をしても)。60年前の戦争ももちろん同様です。
★2月11日
 今朝の日経新聞には南方熊楠のことが出ていて、彼の東洋思想からの西洋科学へのア
プローチに触れてありました。数十年前、同じ職場の所長さんと熊楠談義に及んだこと
を思い出します(その方が関与したとされる有名な小説には熊楠、エンサイクロペディ
ア・ブリタニカが頻繁に出る)。
 で、この東洋思想からの西洋科学へのアプローチは別段彼(熊楠)に始まったことで
はありません。記事にも触れてあるとおり江戸時代の儒学者には当然のことなのです。
会津の御薬園、吉宗の薬円台(現在の習志野・自衛隊空挺団の場所)など本草学と儒教
との関係を見落とせません。本草学は格物致知。つまり儒教武士道につながります。
 先日ある会合で「武士道を研究(?)するのにどうして中国のことを勉強するの?」
などという質問がありましたが、残念ながらトンチンカン質問といわざるを得ません。
★2月7日
 今日の新聞に、ネットのせいで、世界で昔の現地の言葉が復活している由の話しが出
ていました。日本の方言も。
 大いに宜しいことで、でなければ人類の文化は発達しないと考えます。葉隠にして
も、中身は方言いっぱいで、だからよくわからないし、一方内容豊かなのです。
 例えば「はまる」とか。これは「準備する」という感じではありますが、身体の周囲
を固めるニュアンスもあって「はまっとんしゃっ(準備怠りないですね?)」とかいうの
ですが古語に出た言葉。こうした言葉があることによって人類は様々の発想も浮かぶ。
 実は神儒一致の元みたいな本居宣長は、こういうことがきらいで、日本には50音と
いう素晴らしいものがあった(撥音とか堕落)みたいに言うものですから、上田秋成か
ら逆に田舎者的にいわれたのも当然と思います。要するに視野か広いか狭いかの問題。
このあたり、教科書の評価や古事記伝だけで判断してはいけないこともちろんです。
★2月4日
 ある問題で、行政官僚OBの方の非常に整序されたお話しをうかがう機会があり、これ
なら日本も捨てたものじゃないなと思ったことでした。
 近く、日本の昭和の歴史を考えてみても、政治家、軍人、官僚、宮中、民間などなど
様々な考えのグループがぶつかり合い、暗躍したわけですが、おかしなことになった大
きな原因の一つは政治家,軍人、宮中がおかしくなったとともに、官僚が法律の厳正な執
行をしなくなった、あるいは法の支配がいよいよ失われたということがあったかと思い
ます(もちろん、そこには2・26や黙れ事件みたいなものあり。特に司法権は問題で、な
のに公職追放なし)。
 国家の機軸の立て方も問題ですが、不十分とはいえ、とにかく立てた以上、それをし
っかりと執行する真の官僚が求められます。一方その問題につき、ある元司法トップの
行動はなんともおかしなもので、かつて「裁判官の声は神の声」なんていわれた憲法の
先生がおられましたが、そんな発想はやめたほうがいいなあと思った次第です。
 今や裁判は、中世評定衆じゃありませんが国民が責任を持って行うべき時代です。