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遅くなりましたが、1年前の「事務室だより」です。
写真は、横浜市金沢区にある上行寺東遺跡。ただし、マンション建設で破壊され、型を
取って
移したもの。ごく一部のみ残ります。
中世の祭祀遺跡で、正面やや左に見えるのは阿弥陀様の下部。様々なことを考えさせる
ところです。
こういう遺跡を破壊してしまう日本であることに、日本人のレベルが見えるのは残念。
★1月31日
あるアジアの友人に、太平洋のある小国家にはやたら貴国の人が多いですね、という
と、まっすぐアメリカには入りにくいので、まずあの辺りに入り、実績を作ってからア
メリカに行くのです、との話。
いやはや戦略的?だなと関心するとともに、個人にも正に戦略観あり。日本のように
どこへでも行けてしまう国民はやはり平和ぼけになるのかなと思いました。
★1月28日
明日はアジアのお正月、春節です。太陰暦を忘れ、擬似西欧化した日本のおかしさは
時々記してきました。
ところで、この1,2年、少なくともその社会的地位からいうと、一流とされる数学者
や天文学者の先生とお会いする機会があり、天文学や暦と、この博物館に書いてある国
粋主義なり武士道なりとについて話しを向けてみましたが、一向関心も示していただけ
ません。これが、韓国とかだったら飛びつく話しなのに(現に私の友人の韓国人はそう
いう本まで出しています)。
本来、物理と政治とはつながってよいものです。中国の政治家には理科系が多いです
し。なのに日本では政治家は文科系。それも著しい文科系です。そして、理科系の人は
上記のとおり。少なくとも昔はそうではなかったと思います。儒教的教養は理科と言っ
てもよいものですから。日本全体の力の低下がここにも見えるといわざるをえません。
★1月26日
何かと「試験」の季節。センター試験とかいう、どうも感心できない試験もあれば、
学校、大学の期末試験も。
自分もそうした一部を垣間見て思うのは、論点を提示した問題についてはどれも判子
を押したような、しかも大量の中身が。一方、何が問題か判らない問題については、論
点が判らないので、さっぱり。
自分の昔の経験では、論点が判らない方が、論点探しという作業が加わるので、大量
な答案になった記憶があるのですが、この点からも日本人のクリエイティブな発想とい
うものが減じているなと思われます。
こういう現実を前にしながら合格者の大量輩出という司法試験のようなことをすれ
ば、結局裁判所が交通整理をすることになり、戦前のように、裁判官は弁護士よりも一
段上、というようなことになって、おかしな統制国家が出来上がることでしょう。ただ
でさえ官尊民卑の意識が消えないのに。
★1月23日
「人は死ねばゴミになる」は伊藤栄樹元検事総長の書で、筆の立つ人でしたが、彼
(か)の人があるところで、「検察庁が電話1本架ければたちまちトイレットペーパーが
出回ることになります」と言われたことがあります。
もちろん、例のトイレットペーパー出し惜しみの時です(今や昔の物語ですが)。
今回のライブドア騒動はこういう発想と無縁であることを祈りたいと思います。検察
はあくまでも坦々と。そして巨悪に向かってほしい。
★1月21日
30年近く前、4か月間席を置かせていただいた恩師の病床を見舞いました。その方
のお父上は日本の仏教学の泰斗です。
1年に、年初と1,2回の出会いながら、先生との話しは、意見は必ずしも一致しなく
ても、いつも弾みます。そうして弾ませていただくことができるのも、先生の教育にあ
ずかるところ大でしょう。
一体、教育とは、考える方向を示すこと。否、むしろ本当に考えるという姿勢を植え
つけること。いわば、そういう生き様を共にすること。
最近読んでいる葉隠と同時代の儒者の本を帰りの電車の中で読みながら、そんなこと
を考えました。知識の伝授に偏した最近の教育を思いながら。
★1月17日
昨年も何回か武士道にまつわる講演をさせていただきましたが、今年も近々第1回目
があります。
ただし、私はこの方面の学者ではありません。本業の方も、学校で教えてはいても学
者ではありません。何かといえば実務家です。それは過去をイグザミンすることももち
ろんありますが、何より将来に向けて理想を実現する仕事です。
そこで思い出すのは、上田秋成と本居宣長との論争です。言語に関する論争は、ある
意味で、実務家と学者の論争といえないでしょうか。
秋成は宣長の古事記伝のような前人未到の研究は残さなかったかもしれませんが、考
えの深みと広さは比べ物にならないと思います。宣長の「玉かつま」など読んでいると
頭が痛くなる偏狭な本といわざるを得ません。一方の秋成の雨月や春雨はその仏教的・
思索的深さは、人を明日へと導くものです。私はそういう秋成に無限の親しみを感じま
す。
★1月13日
霞ヶ関のある役所の地下、本を買おうと思ってふとカウンターを見ると、同じ並びの
右側には印紙・切手、左側数十センチメートルには書籍と書いた札が。そして、ガラス
ケースの中には、本が「平で1冊づつ」置いてあります(平積みではない)。
これをみると、いつも北朝鮮や昔の中国を思い出します。お客は売っていただく立場
として、並んで買わせていただく。さすがに、昔の中国のように、「私は印紙の担当だ
から本は売りません」とか、「そこの担当者はご飯を食べに行っていて1時間しないと帰
りません」とはいわないものの、売る方が客に整列を強制している点では同じです。そ
ういうことをしているという自覚がないのです。
このご時勢でも未だにあんな状態ではこまりもの。北朝鮮は「別格」として、中国な
どは劇的に変化しているのに。これを改めなけれな日本はいよいよ「文化財国」です。
★1月7日
昨日は埼玉県まで仕事に行きました。その仕事先の少し先には、旧岡部町(現深谷
市)があり、ここには砲術家・高島秋帆が流されたと言われ、私にも若干の関係があり
ます。
その秋帆のことを記した「下総佐倉藩分領地・枝松和雄」という一文を読んでいた
ら、「先見性を持たず、伯楽の資質を持たぬ為政者気取りの者達が権力を握り、激動の
時代にいることは、その国にとって不幸なことである」とありました。
正に、身につまされる言葉です。
★1月5日
明けましておめでとうございます。
昨年つくづく感じたことの一つは、日本人の国語力の低下。私とて大きな顔はできな
いのですが、余りにも古典・漢文の能力がなさすぎ。そもそも教える力を持った人自体
が数十年前から枯渇しているのでどうしようもないとはいえますが。
ちなみに私の高校の漢文の先生は1年に15頁くらいしか進まない方で、それだけ中
身が濃かった。古文の先生もその後、国立国語研究所に行かれ、今はある大学の先生。
しかし、そのお二人に比すれば、他の先生には「陰り」が見られました。
何とかしないと,日本人とはそもそも何なのかについて、わずか百年前のことさえわか
らなくなってしまいそうです。それは当然、日本人の考える力を低下させます。
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