1年前の「事務室だより」

引用

  2006/9/4 (月) 01:47:43 - 嘉村孝 - No.1157301479


(添付1) 1157301479.1.jpg

涼しさも感ぜられる今日この頃、1年前の「事務室だより」です。
写真は、このところのおかしな国家意識強調の風潮の中で、日本文化なるものをよく咀
嚼もせずに吹聴する傾向に対して、着物なるものは漢の時代のものの名残であることを
示そうという一片。
漢の武帝の陵近くから出土した俑です。

こういうものを示すと、本当の日本文化なんてないような悲しい気持ちになる人がいる
かもしれませんが、とんでもない。しっかりありますというのがこの博物館。そして、
日本のオリジナルじゃないものを振り上げて強気になるような戯画的状況を脱却しなけ
ればいけません。
★8月26日
 武士道という言葉は、ここ四百年くらいの言葉。これは米欧回覧実記を書いた久米邦
武先生の言葉です(この間、米欧回覧実記の現代語訳がでる話を新聞で見て思い出しま
した。私が「武士道にみる恥のあり方と現代」を書いた慶応義塾大学出版会から)。
 正にそのとおり。武士道は香道、華道などと同じ、悪く言えば家元制度の如きもの
(ただし、それは士道の反対の言葉として出ながら、山鹿素行ばりの士道をあらわすこ
とが多いのでややこしい)。それになにやら神の如き崇高さを見出し崇めたてる。それ
はヘリゲルの弓の話のようなもので、正に裸の王様の話と同じです。ヘリゲルの弓の本
(岩波文庫)は、外国の人に日本を誤解させる本としか思えません。私自身、弓をやっ
た経験から。そんな姿勢は捨てて、実証と論理で武士道をみましょう。
★8月24日
 葉隠もいろいろな国の言葉に訳されています。もっとも、正確な訳は皆無といってよ
いでしょう。そもそも原本自体無い本で、方言もあり、現代語訳さえまともではないの
ですから。
 そんな翻訳者の一人に会いましたが、私の一文を差し上げたところ、そこに載ってい
る葉隠の故地の写真を見て、珍しげに、ここには行ったことがありません、との話。
 へー、翻訳したのに行かれていないのかな、と思いましたが、あとになって私の所持
するその翻訳本を見たら、正にその故地の写真が大きく載っている。もちろん本当に自
分が関与した本ならせめてその場所くらい知っているのが当たり前でしょうに。
 一体、どこでどうなったかはわかりませんが、みんなの共同訳の実態で、その代表み
たいになったから、代表的な場所もご存知ないのか。でも、当該本にその写真が載って
いることすらわからないのはどうして。商業主義のなせる業は「罪」なりといわねばな
りません。そもそもその訳本はアメリカで買ったもの。海の向こうの人もこうして誤る
のでしょうか。
★8月21日
 何やら大変な選挙が始まり、遅ればせながら、漸く我が国も旧体制の解体が始まった
かの如くに見えますが、この場合、旧来の発想がどこまで壊れるか、壊れるとはいって
も、つまりは本来の中世日本に戻れるかというに、それはなかなか大変なことのように
思われます。
 特に名君待望論、1649年に出された農民支配のための「慶安のお触書」にみる撫
民の思想、これらから抜け出せない限り自立した国民にはなりません。
 おまけにおかしな「民営化」。「人を殺すことは武士にはできない、新撰組にやらせ
よう」などという怪しい発想の焼き直しではないのか、ここでもまともな武士の生き方
かどうかを吟味することが大切。
★8月18日
 随分昔から怪しいと思っていることの一つが政党というものを持ち上げる話。憲法の
本には「政党は大事、これからは政党中心」みたいなことが書いてある。
 しかし本来、議員というものは、選んでくれた人の代表(国民の代表)なんだから、
党議で拘束するなんて変。議員としての職権の行使をしばることになりますし、そんな
ことでは、極端な話、約25パーセントの議員で国民全体をしばることもできる。
 こういうあたりは、会社法の議論の方がまとも。
 憲法や国会法については、「議員」のじゃない「議院」の「自律」権というものが隠
れみのになって、司法で判断することもなく、おかしな話が横行しているかと思いま
す。それにしても、「自立」していない、武士とはいえない議員にも困ったもの。ギイ
ンにもジリツにも色々あります。
★ 8月15日
 終戦の日の議論を聞いていると、日本人とは如何なる民族なりや、ということをつく
ずく考えさせられます。
 以前も書いたとおり、一言でいえば、右も左も(こんなくくり方は最早古いし、絶対
に好きではないのですが、あくまでも便宜)「お話」民族。
 戦争の美談を述べて英霊に謝そうとする人々も、戦争の悲惨さを述べて反戦を訴える
人々も、お話を並べて、事の本質、原因、責任を論じようとはしません。その点が大陸
諸国の人間と大きく違うところかもしれません。
 こんな民族になぜなったのか、それがそもそも問題で、それを追及しているのがこの
博物館ですが、いずれ詳しく書くこともあるでしょう。
★8月10日
 このたびの解散は、憲法第7条によったとされ、実質的には内閣総理大臣の一存で決
まったものです。実質的な解散権の根拠条文は憲法上はっきりしておらず、現在の通説
的な解釈からは、今回のような解散が合憲とされているといってよいかと思います(も
っとも、裁判所は多分、その合違憲の断を下すことを避けるでしょうから、悪く言え
ば、裁判所と総理大臣との馴れ合いのようなものです)。
 しかし、古く西洋における解散は、国民が集まって、専制権力に対し、民意を反映さ
せようとする試みに掣肘を加えるものでした。
 今回などは、正にそういう要素が強いといえ、結果的にむしろ民意を問うた方がよい
状況とは思いますが、従来の解釈でよかったかどうか、改めて解散権の根拠を国民が考
え直す機会にしなければいけないと思います。
 こういう行政組織内部の意思決定に国民はもっと関心を持つべきです。

 

稲城市の宣伝

引用

  2006/9/11 (月) 15:17:49 - 山本 - No.1157955240


私は、東京の稲城市に住んでいます。
うちの近くにも古い道が走っていて、なかなか風情がありますよ。

是非、稲城もお忘れなくおいで下さい。

 

返信1返信-1

 2006/9/14 (木) 02:05:12 - 嘉村孝 - No.1157955240.1


ありがとうございます。本当に、色々あると思います。

 

葉隠現代語訳

引用

  2006/9/14 (木) 02:02:32 - 嘉村孝 - No.1158166587


以前、掲示板にご来所の水野さんが、葉隠の現代語訳を完成。出版されましたので、ご
紹介します。

「現代語訳は不可能」とは私の説ですが、まずは全文を訳された、ということで、古文
がなかなかの時代、紹介にたるかと思います。今後、より充実した訳を期待します。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
> 【1】葉隠ニュース           『葉隠』いよいよ書店販売開始!
> ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>
> ◆書肆アクセス(神田神保町)
> http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/
> 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-15(株)地方・小出版流通センター
> 書肆アクセス TEL.03-3291-8474
>
> ◆リブロ (池袋本店)
> http://www.libro.jp/
> 〒171-0022 豊島区南池袋1-28-1 池袋西武書籍館 03-5949-2910
>
> 葉隠』の広告

> http://www.nihongo-news.com/feature/index.html
>
> http://nobunsha.jp/img/nihongo%20ad%201.jpg
>
> http://nobunsha.jp/img/nihongo%20ad%202.jpg
>

 

返信1返信-1

 2006/10/13 (金) 21:28:20 - 水野聡 - No.1158166587.1


弊著、ご紹介くださり、まことにありがとうございます。

『葉隠 現代語完訳』の販売やら、営業やらで駆けずり回っていまして、この板にも
ずいぶんごぶさたしてしまいました。
今日、関連分野検索から当エントリーにたまたま行きあい、
恥ずかしながら、一ヶ月も過ぎての投稿となってしまいました。
…深くお詫び申し上げます。

取扱書店も増えまして、わずかながらもご紹介の機会は増えています。
広告ページのURLまで掲載していただきまして、まことに恐縮です。
ひとりでも多くの方に、このすばらしい本にじかに接していただきたい…。
まだまだあきらめずにがんばっていきたいと思っております。

それでは、また折々書き込みさせていただきます。
このたびは、ありがとうございました。

 

律令国家と武人の道・・・

引用

  2006/9/19 (火) 02:09:07 - 嘉村孝 - No.1158597278


(添付1) 1158597278.1.jpg

今日は、千鳥が淵戦没者墓苑にて、あらゆる戦没者の皆様への法要に出席しました。
そこでの学生の作文朗読、そして法話は、素晴らしいものだったと思います。
法話は、聖徳太子の十七条の憲法の内、「共是凡夫耳」(ともにこれ凡夫のみ)を中心
としたものでした。十七条憲法の全文は以下など。
http://home.c07.itscom.net/sampei/17ken/17kenpo.html

ところで最近、北部九州のドルメンや、大野城、そして高野槇まで話に出てきますと、
律令時代というものの持つ世界的広がりにいろいろ考えさせられるようになりました
(もちろん、その前の聖徳太子も含めて)。
同じ中国法制でも江戸時代の話と違い、仏教国家である点で、広いし、健全だなと。
そこで、律令の元祖で、日本に大きな影響を与えている中国の西安近郊、文王、武王の
故地の辺りの写真を貼っておきます。

武王のことはこの博物館のメインテーマとして本文に書いてあります。
こんななんの変哲もないところが、日本の歴史に甚大な影響を与えているということで
す。

 

何か変

引用

  2006/10/1 (日) 16:00:00 - 北国人 - No.1159685673


今度の総理の「美しい日本」とかいう言葉、武士道についても「美学」とか言っている怪
しい人種と共通のものを感じます。

皆さん、気をつけましょう

 

まさにそのとおり。

引用

  2006/10/1 (日) 16:02:39 - 北国人の友人 - No.1159686000


この間、政治家のホームページをのぞいたら、相当ウソが書いてありましたよ。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/10/2 (月) 23:16:39 - 嘉村孝 - No.1159797880


(添付1) 1159797880.1.jpg

月が改まり、1年前の「事務室だより」です。

写真は、葉隠の地元、佐賀城の鯱(しゃち)の門を内側にあたる本丸側から撮ったとこ
ろです。
櫓(矢倉)の左側が大きく空いていることに気付かれるでしょう。これを犬走りと称し
ていますが、本当にそうか。
中世の山城の場合、塀の外側に犬走りをわずかに設け、内側の防御に使うことがありま
すが、ここまで広くなると寄せ手の取っ掛かりになってしまします。
石垣の規模からすると、本来、上の櫓はもっと大きかったのが、江戸中期の建て替えで
小さくなってしまった可能性があります。もちろん、この櫓は山本常朝は見ていませ
ん。
こうして、この犬走りをはじめとする結構は、武士の道が戦国から隔たってきたこと、
それによって、櫓も実戦から象徴的なものへと変わってしまったことの正に象徴とも見
うる可能性があるのではと思っています。

★9月29日
 昨日はあるお店の店開きのため、日本橋にて仲間内でお食事。
 話に出たのがあるA級戦犯(容疑)の方。日本のドンともいわれ、人類は皆兄弟の考
えの人。ああいう右翼、そしてA級戦犯に比べると、最近の話はどうしてこう「気宇壮
大」などという言葉から外れて、ちまちました国粋になってしまったのか。
 A級戦犯でも東条さんとああいう方では能吏?(といってもかっこいい演説ぶりとは
言えない)と民間の違いは明らかにあるわけで、小さくまとまらない、太っ腹の日本人
の方がやっぱりよいのではと思います。
 私の知人で、おじいさんが、「東亜先覚志士記伝」に載っている、黒龍会のそのおじ
いさんは、ハーバードで勉強した人でした(もちろん出りゃいいってもんじゃありませ
んが)。ああいう本を読んでみるべしです。
★9月26日
 高校の同級生が病気で突然亡くなりました。若かったのに本当に悲しいことです。
 その昔、倫理社会の研究テーマが互いにルターであったため、本を見せ合ったりして
あれこれ議論。互いに剣道もやりました。遂に彼はクリスチャンに。
 私は、ルターによる聖書の翻訳「ローマ人への手紙・序言」に「信仰は聖霊のはたら
きによって起こされるもの(だからキリスト者はあらゆる律法から自由であり「キリス
ト者の自由」となる)」との言葉を見つけて、親鸞や道元の述べるところとの共通性を
見出し、葉隠の徒?(つまり禅や浄土真宗の徒)になりました。考えた方向は彼と同じ
であったのではないかと思います。
 キリスト教といい、仏教といっても、究極の人間の心の持ちようとして考えればさほ
ど変わらないのではないでしょうか。
★9月22日
 北京よりA氏帰る。久しぶりに二つの国の文化論。
 中国における儒教と道教との、政治における利用の仕方に、日本の昔を思いました。
様々な本によると日本にも昔は道観、つまり道教のお寺があちこちにあったことがうか
がわれます。むしろ、天皇制などに極めて大きな影響を及ぼし、今でも日本の神道など
に影響を与えているともいえます。
 しかし中国のように皇帝政治のバックに道教の思想が働いたようなことは例外もあり
ますが、長い間としては少なかったようです。中国では現実の政治は儒教でその奥は道
教(仏教)です。
 道教というと日本では怪しい妖術みたいなイメージまでありますが、4月23日に掲
示板に貼った台湾の道教専門家の書かれているとおり、実は極めて重要な思想です。
★9月18日
 昭和6年勃発の満州事変・柳条湖事件の日で、一方、アジアで広くお祝いする仲秋
(孟仲季の仲)の名月の日、東京・千鳥が淵の戦没者墓苑では本願寺(西本願寺)によ
る全戦没者追悼法要が営まれました。35万人の無名戦士のご遺骨が眠っています。
 前裏方のお歌
  千万(ちよろず)の いのちの上に築かれし
            たひらけき世を 生くる悲しさ
 (幾千万の人々の死の上に築かれた平和な今を生きる悲しさ)
 こういう気持ち、特に大慈大悲の悲しさの気持ちを持てる日本人でなければいかんな
とつくづく感じました。
 話は違いますが、日本で作った忍者の映画にアメリカ・ハリウッドからリメークのオ
ファーとか。どうもこういう、やたら刀を抜く映画は本来のアジアのものではありませ
んし、日本が米国西海岸の一部の影響を過剰に受けている気がします。
 そんな今日、台湾の知人から月餅が届けられました。アジアをもっとよく知ろう。ア
ジア人の一人として。それが本当に世界につながること。益々そんな気がしました。
★9月15日
 ある一定の時代、一定の民衆において、どのような法学的思惟類型が支配的であるか
ということは重大な意味と影響力を持っている。・・・
 例えば、封建社会の法感情、法的実践および法理論は、単に個々の法的な立証の方法
や内容においてだけ市民法的手形法の取引法的思惟と相違するのではない(カール・シ
ュミット、加藤新平・田中茂明訳「法学的思惟の三種類」から)。
 この命題からは、法の観念と通達の観念との区別が正確にできない国民、あるいはで
きないように仕向けられてしまった国民は、歴史的事象をそもそも正確に語る資格・能
力さえ持ち合わせていないということにもなりそうです(「今こそ死ぬこととみつけた
りでは」参照)。
★9月13日
 このたびの衆議院議員選挙、投票率は68パーセント程度であったとのこと。近年に
なく高かったようにみえますが、昭和時代(もちろん戦後)は70パーセント以上が当
り前で、最低のときでも今回程度(平成2年73.31パーセント。その後極端に落ち
る)。統一地方選の昭和20年代は90パーセント以上の投票率でした。
 こう考えると、今回ももちろん、不十分です。
 そして、小選挙区のせいで、票がちょっと動くと劇的な変化。
 そうしてみると思われるのは、国民が真に深く考えての投票ができたか、というこ
と。また、残念ながら民主主義を担う力があったかということ。この博物館の3に書い
た「公民教育研究」の視点がまだまだ必要という気がします。
★9月10日
 数々の重大事件にかかわり、検事から司法大臣となった小原直の回顧録は貴重な文献
です。
 その中に、大正時代の陪審論議について、天皇の大権とされながら立法権については
帝国議会の協賛が、行政については文官任用令改正や自治制度がありながら、司法につ
いては国民の参与を認めないのは時世に合わないとして、陪審制度が創設されたという
経緯が述べられています。
 あの明治憲法下でも国民の参加、つまり歴史を国民が論理的に作ることが論議された
のに、今、歴史はお話となり名君待望の政治不参加の情勢・・では日本人のレベルは低
下するばかりです。是非、昔の人に負けないよう、ただし良く考えて、一票を投じに行
きたいものです。
★9月6日
 このたびの選挙は「改革」が争点。
 で、江戸時代の有名な改革というと、葉隠のすぐあとに来る徳川吉宗の享保の改革も
その一つです。
 その公事方御定書が、現代にまで通ずる通達行政の代物だったことはこの博物館にあ
るとおりです(その窮屈さから、かえって大岡忠相のような名裁判官が生まれたという
のが末弘厳太郎先生の書かれたところ)。
 吉宗が暴れん坊将軍だった・・などというのは真っ赤な嘘で、京都との関係が極めて
深い。「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど出るものなり」などと放言したのも吉宗の家
来・神尾春央。
 こんなことを考えると、名前だけにだまされては絶対にいけないのであり、その
「実」を見極めきれる国民かどうかが試されているのが、この選挙かと思います。

 

「石」の元は「斛」

引用

  2006/10/8 (日) 11:11:56 - 嘉村孝 - No.1160273047


(添付1) 1160273047.1.NEC_0058

よく「加賀百万石」などと言いますが、あの石の元はこの斛(こく)です。
貞享暦という新しい暦とともに新しい士道が生まれたことは本文にも書きましたが、暦
という「時」だけでなく升についても新しいことが始まった。それがこの中国・北京の
宮殿の前に置いてある斛に由来するものです。

武士の生き方を大きく変えるもの。それを知るには中国を見なければ分かりません。
首相訪中に際しての一例です。

 

歴史の論理と今

引用

  2006/10/22 (日) 02:19:36 - 嘉村孝 - No.1161450210


(添付1) 1161450210.1.jpg

朝鮮半島をめぐる情勢は、数千年の歴史を背負っていることは当然です。
北朝鮮は高麗を理想とし、独立志向が強い。一方、南は米国圏に入ったとなると中国は
北を放すわけにはいかない。
一方、もう一つ昔を考えると、中国東北には日本が満州国を作りましたが、その向こう
にはソ連がモンゴル人民共和国を作った。昭和13年(1938年)のノモンハン事件
は、このあたりをめぐる日本と、11年間にわたってモンゴルを経営してきたソ連との
綱引きであり、その発想はもちろんデマルカシオンにつながるものです。
台湾での中国地図は、未だモンゴルを国家として認めていません。

こんな中において、米国は軍事的にモンゴルとの連帯を強めています。
これら諸要素を考え、かつ日本の国力を考えれば、我が国は突出をしないこと、それが
一番と思います。
写真は、吉林省から図們江を挟んで北朝鮮をみたもの。橋は日本が架けたものです。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/10/29 (日) 20:52:07 - 嘉村孝 - No.1162122450


(添付1) 1162122450.1.JPG

少し早めの1年前の「事務室だより」です。

写真は、ロサンゼルス発祥の地にあるスペイン風建物の柱。
こうした花座、あるいは返り花座的装飾は世界的にあるわけで、ケルトのハローウィン
が今や日本に上陸したように、はるか昔からそうした伝播はあるものです。
武士道を考えるについても、もそうした視点を忘れてはいけないと思います。

★10月29日
 自民党から憲法草案が出たそうですが、その制作ぶりはどうみても一国の根本規範を
作る営みとは見えません。明治憲法の場合、出来上がったものには深刻な問題があった
とはいえ、伊藤博文らの努力や枢密院での会議、更にはその後の注釈書作りは周到で、
それに遠く及ばぬ仕儀。
 一言で言えば経綸なく、法というものの根本を考えていないので、文章がおかしくな
りそうです。文章のおかしなことは現行憲法にもいえますが。
 何より、国権主義の憲法学者である穂積八束でさえ、水戸学の史論との関係で明治維
新を論じるなど、自国の歴史を踏まえて、「論理的に」歴史を踏まえることを考えてい
たのに、そうしたことはみられないようです。ただし、この「自国の歴史を踏まえる」
とは、ただのお話を踏まえることではありません(そんなことは危険。かしわ手を打つ
憲法論はだめ)。論理をもって考えた先人の価値観、法理を踏まえるということです。
 ヨーロッパや米国では、デカルトやライプニッツらはただの「偉い人」としてのお話
の対象人ではありません。自分の今を導き、反省を迫る人です。では日本では誰を。そ
のことはこの博物館に一部書いてあります。
★10月25日
 古く、人類生活の機軸を提供するところはギリシャ、ローマと中国だったような気が
します。38度線は、ギリシャ、ローマ文化が東西からぶつかったところ、とのことな
ど著書に書いてきました。
 ところで、最近(といっても実は明治以来)の日本を見ると、以上に加えてアメリカ
の一部、つまりハリウッド文化(?)的なものの影響を強く受け始めたような気がしま
す。これは中国、韓国も。
 そんな馬鹿な、とも思いますが、これは意外に強固で深い、実際有害なものではない
かと思います。武士道も正にそれに毒されています。やや激しく書きましたが。
★10月19日
 中国人民大会堂で会談する米中首脳の写真を見ると、いよいよもってアメリカの傘の
下にいて、安全をいいことに外交感覚なく飛び跳ねているいわばお釈迦様の手の平の上
の人士が思われてきます。
 一体、日本が本当にまともな国になったなら世界の警察官になれるか。
 残念ながら無理でしょう。イラクでとんでもないことをしていても、その点はアメリ
カが何枚も上と言わざるを得ません。
 今日はあるところで憲法を講じてきましたが、この状態では新憲法を作る資格に?が
つくといわざるをえません。そもそも武士道がわからない憲法学者はだめです(本当
に)。この博物館はいわば憲法を考える視点を提供しているところです。
★10月18日
 昨日はベトナムの友人、北方領土に情熱を燃やす政治家と痛飲しました。
 ベトナムの彼は、日本はいい国、といいます。親族が北と南に別れて戦い、留学中に
サイゴンが陥落して帰る場を失った彼からはそうみえるのも事実でしょう。ベトナム以
上に言論の自由がない、ミャンマーの人からもそう言われたことがあります。
 今、日本人である彼(もとベトナム人)は日本のためにいざとなったら銃を取るとさ
え言います。
 でも、その彼が「日本人は本当に他国の占領を受けたことがないからなー」ともいう
のです。ベトナムの強さは、実は占領されたことによる強さ、という論文もあります。
人間は複雑です。その複雑さがわからない人間を「視野の狭い人」と言ってよいと思い
ます。 
★10月17日
 今日も靖国神社の問題が起きました。
 その件は別としても、これから11月になると、靖国では七五三があり、最近は絵馬
まで並べてある。戦争で亡くなった方に、更にそういうお願いまでする所とは思えませ
ん。台湾の忠烈祠でも、そんなものは何もありません。神社の形にこだわるのは、日本
では戦争で死亡した人の追悼施設が日本式の建築でないことにも由来するのではと思え
てきます。中国も韓国も、自分の国の建築様式を重視して国立施設を作ります。
 明治以来の西欧化が、日本をおかしな具合に持っていっているともいえるでしょう。
 いずれにせよ、零戦の撃墜王・坂井三郎さんが、亡き戦友を思い、その鎮魂を考えれ
ばこそ、A級戦犯の合祀に対し、「貴様らに下げる頭はない」と言われ、自宅に戦没者
を祀っておられたことが思い出されます。
 とにかく、もう少し勉強してほしいものです。
★10月16日
 前にも書きましたが、私は今の、政党の意向重視(党議拘束)のやり方は、議員の持
つ立法権の独立(それは裁判官の持つ司法権についての職権の独立と同じでなければい
けないはず)を侵害するものとして、違憲の疑いさえあると思っています。
 おまけに今回の郵政法案にかかわる処分をみると、まるで共産党の査問のようなもの
で、どこが自由で民主なのやらと思わざるを得ません。おまけに、国を思わず党を思え
というわけで、コミンテルンのソ連みたいです。
 憲法問題は常に実質的に判断していかなければなりません。
 こういうことが許されているのは政党重視という「神話」を作り上げた学者の罪もあ
るわけで、いつもながら、それを信用する国民にも大いなる問題を感ずるところです。
★10月12日
 少し前の10月1日は「法の日」。それは原敬らの努力により、昭和3年10月1日
に陪審法が施行されたことに由来します。
 最近の裁判員制度について、大変とか、素人には無理とかいう声が時にありますが、
それは全くの間違いといわねばなりません。
 先進国で、陪審がないのは日本くらい。そもそも今回の裁判員制度自体、陪審ではあ
りません(それは昔の制度もそうでしたが)。
 国民が事実認定等々、歴史を作る作業ができない国家は、いつまでも歴史をお話とし
てしか考えられないのです。そんな話以前に、職業裁判官より、はっきりいって素人の
国民のほうがよほどまともな事実認定ができます。これは本当の話(なお、葉隠を生か
すものの中の「公民教育研究」参照)。
★10月2日
 北部九州が33度を記録した昨日、22万人の新佐賀市が誕生し、道路公団の民営化
も行われました。
 佐賀市に住んだこともある私は、道路や鉄道というものは、正に国家百年の大計とし
て、そして、地方と都市とに心ならずも別れて暮らす哀しい家族(私もそれ)のため
に、ある程度の犠牲を払ってでも建設することが必要だと思っています(ただし、国道
に平行して走る立派な農道などはとんでもない。その点でも予算の合理化は必要)。
 しかし、地方には余りにも富を生み出す力のない建築物、つまり箱ものが多すぎま
す。しかも、それは文化財の破壊という怪しげな「復元」であったりします。ケインズ
の乗数効果とも無縁なこういう無駄使いを無くすためにも、中世武士道の「実」の発
想、つまり真に次の富を生み出す事業にのみ予算を集中し、怪しげな構築物を作らない
発想が大事です。
 新佐賀市にはそういう発想にぴったりの安い土地を利用した高収益企業(農業)もあ
ります。

 

びっくりしました。

引用

  2006/11/2 (木) 13:38:53 - 金沢 栄星 - <メール送信> - No.1162438813


 私はこの15年間、「嘉村先生は普通の人とは何かが違う」と感じており
ましたが、その答えが本日やっとわかりました。
 さすがで御座いますね。

 お静かで控え目に、人情深く、良心的で、義理堅く、お人善しの方でい
らっしゃることで長年伝わったのは、こういう武士道精神の尊い行いから
だったのですね!
 先生の素晴らしいお人柄が、一層、高品格的に思い、そういう感じがい
たします。

 この武士道精神が全世界に広がり、是非、世界平和に貢献できることに
なればいいと思います。

 嘉村先生の精神世界の奥深さに感動しました。
 たまに、このサイトへ寄らせていただきます。
 そして、私も嘉村先生の精神世界を同感できるものになりたいです。

 「嘉村 孝」先生を尊敬し、いつも感謝しているものが、本日このサイ
トを訪問し、率直な感想を掲示板へ書いて行きます。
 
 先日、「三清苑」の件は、連絡が取れずに大変失礼をいたしました。

 

どちらの主君がすばらしい?

引用

  2006/11/4 (土) 14:48:25 - 嘉村孝 - No.1162619014


(添付1) 1162619014.1.JPG

(添付2) 1162619014.2.JPG

士道とはこういう殿様に奉仕する武士道なのだという意味で、江戸時代の「名君」とさ
れた方のお墓の一部です。

鍋島直茂のような戦国武将はこういう墓とは逆の小さなものを、敵方に向けて造らせま
した。主君の墓が蹴飛ばされたら大変だと、みんな頑張るだろうと。

私は、そういう人を主君としてお

 

談合問題と弾薬庫

引用

  2006/11/4 (土) 14:53:13 - 嘉村孝 - No.1162619305


(添付1) 1162619305.1.JPG

いま、談合問題が騒がれています。

このような、サイパン島の弾薬庫、正に戦前の国家お抱えの建設会社によって造られ
た、今でもびくともしないもの。

談合の方がよい、という人は、この良さをみるのでしょうが、それはあくまでも責任の
名宛人が天皇陛下であった時代。

今、談合を許せば「手抜き」でしょう。そこが分からなければ、いつまでも「病気」は
直りません。

 

国子監街

引用

  2006/11/4 (土) 15:15:03 - 嘉村孝 - No.1162620873


(添付1) 1162620873.1.JPG



真の日本の武士道を知るには外国を知る必要があります。

これが中国の国子監街。このあたりは、日本で言えば湯島の聖堂の周辺にあたるとこ
ろ。正に、近世日本の士道の元、と言ってもよいところです。

また、以前書いた正気の歌もこの南が本場。

視野を広く持って、本当に世界に誇れる、そして大きく世界に貢献できる武士道を目指
しましょう。

 

ついでにヨーロッパも

引用

  2006/11/4 (土) 17:47:55 - 嘉村孝 - No.1162629913


(添付1) 1162629913.1.JPG

葉隠を知るにはキリスト教の動きを知らねばわかりません。特に大村・有馬、そして大
友と竜造寺との関係を知るには。

というわけで、これが平戸口の日本最西端の駅。藤浦光さんで有名です。

 

手をつなぐことなど

引用

  2006/11/13 (月) 12:28:04 - このサイトのファン - No.1163388040


いつも色々参考にさせていただいています。

ただこのところ、心無いわけのわからない書き込みが増えて閉口しています。なんとか、
退治する方法はないでしょうか。

ところで、今日もテレビで取りあげられていましたが、安部総理が外国に行くとき、奥さ
んと手をとっていくあのやり方、日本男児からはフン、という感じがしていたんですが、
いかがなものでしょうか。
ブッシュの真似みたいですが、所詮、中間選挙の敗北者の真似だったということで、化け
の皮がはがれたような気がしています。

 

返信1返信-1

 2006/11/15 (水) 01:08:51 - 嘉村孝 - No.1163388040.1


保持件数200件を越える時があり、過去の書き込みが消えていきますので、適宜抹消
させていただきます。

手をつなぐ話は同感です。話によると(当然ながら)仕掛け人がいるそうです。

 

1年前の「事務室便り」

引用

  2006/12/5 (火) 02:36:32 - 嘉村孝 - No.1165253175


(添付1) 1165253175.1.jpg

今年もあと1月を切りました。
道路は師走の混雑で、それに見合った景気の良さならよいのですが、一向実感はありま
せん。
これを何とかするには、私が以前、「武道通信」に書いた「IT革命と武士道」の精神が
大事かも・・・なんて正に手前味噌ですが。

例によって、1年前の「事務室便り」です。
写真は栃木県にある鎌倉時代の鉄製の板碑の上部。3メートル以上。阿弥陀三尊を取り
付けた立派なもの。
鎌倉時代こそ参考にすべき時代、ということを思わせてくれる優品です。

★11月30日
 A地裁の裁判官が「上司」である所長を訴える、との新聞記事。
 話の中身はおいて、裁判所の所長は裁判官にとって「上司」であるか。否です。裁判
官に上司はいません。各自独立しているのですから、なりたてのほやほやでも合議体で
は20年やった人と同じ1票です。
 なのにこういう記事がでるところに、日本人の「お上意識」の抜きがたさを感じま
す。
 司法についてこうだから、前にも書いたとおり、国会の党議拘束にも異を覚えないの
です。
★11月27日
 先日訪れたのが長崎県佐世保市。旧知のA氏から米軍の位置づけとその権力・権限を
聞くうち、我が国の太平洋国家現象(太平洋の島々国?)を益々感じました。それは、
米国の強力な外枠の中で、枠の外のことは良くわからず、自身では独自のことをしてい
るつもりのいわば孫悟空現象です。
 この傾向は他の太平洋国家よりもより強く出ているといえるでしょう。なぜかという
と、日本国家の仕組み自体は、太平洋(カリフォルニア)ではなく、アジアの伝統を基
礎にしているため、その組織が大陸の専制に基礎をおくものだからです。
 つまり、専制の内実をもって自己主張をし、実は米国の枠をはめられている姿。しょ
せん口で言うほどのことはできない自分。これは日本人の、考える力を落とします。
 しかして一方、こうした法的枠組みの「動機」ともなる文化面において、ハリウッド
の派手な立ち回りが人気をはくし、精神的な旧来の日本の時代劇が若者に受けないとい
う新聞報道(13日)を見ると、米国の影響力の強さに深刻なものを感じます。
 昨日の靖国神社は、そんな若者が以前に増して参拝していましたが、一方、七五三に
は改めて趣旨が違うなと思わざるを得ませんでした。
★11月23日
 11月も23日となり、暮秋(ぼしゅう)といわれる季節に入ってきました。
   もみじ葉は 道もなきまで散り敷きぬ
           我が宿を問う人しなければ  (源実朝・金かい和歌集)
 将軍の地位はあっても政治的実権を北条氏に握られてしまった実朝は、自己の世界に
創造の場を見出し、こうした名歌を残していますが、現代の国民がそれであってはなら
ないと、つくづく思われてきます(文化の日といい、勤労感謝の日というを思って)。
★11月16日
 関係する大学の刑事模擬裁判に出席。活発な異議をみて、今年3月の北マリアナ高校
生の陪審裁判コンテストを思い出しました。
 異議という制度は当事者主義、つまり訴訟当事者が裁判の資料を互いに適法性をチェ
ックしあいながら法廷に出し合う制度、といってよいのでないかと思います。
 その点、今日のできは良いものでした。そして、そのうち裁判員制度。裁判官はジャ
ッジの役に徹し、裁判は国民が行うものに。
 それには正に意識改革が必要ですが、自然に異議を出す学生に、これからを期待した
いと思いました。異議は決していちゃもんではありません。
★11月5日
 長野県・松本からシベリア抑留慰霊碑建立記念誌を受贈。
 零下60度以上の考えられない極寒下での、室内との温度差85度に無帽で飛び出し
気がふれる話。密告その他、人間性を喪失した、鬼気迫るという言葉では言い尽くせな
い体験。未だ数え切れない日本人のご遺骨がシベリアに埋まっています。
 こうした話を聞くにつけ、戦死者を慰霊するとは一体何かと考えてしまいます。
 北だけではなく、南にも。南洋の島には、米軍が振りまいたジャングルをなす強烈な
豆の木の下、沢山のご遺骨が眠っています。それを国は既に回収済みという。
 そうでないことは明らかで、それをしないで、靖国神社に頭だけ下げるなどというの
は、いつも言う鍋島直茂の「実」からは遥かに外れた発想。そんな形式で納得してしま
う国民であることがそもそもおかしいのです。近世武士道に毒されている。
 ついでながらその本にも、私がかつて書いたとおり、イラクとシベリア出兵との類似
性が書いてありました。片倉元駐イラク大使(柔道家)も書かれていたことです。よろ
ずまともな武士道で考えるべき。
★11月3日
 掲示板に昨年同時期の本欄を改めて載せる「1年前の事務室だより」。
 自分でも忘れていましたが、そこに雅楽のことが書いてあります。先日、某所で話し
た「筑紫琴(筝)」にもつながる話です。
 実は福岡県久留米の善導寺に発生した筑紫琴の成立、大成時期である戦国末期から江
戸初期は正に葉隠の対象時代であり、その関係者の一部は葉隠に登場しますが、琴のこ
とそのものは全く登場しません。琴の関係者・多久安順という竜造寺から鍋島への政権
交代に多大な影響を与えた人物の記念碑が、今、善導寺に建てられているというのに、
葉隠は一顧だにしないのです。
 これは、掲示板に書いた雅楽・儒教としての琴と葉隠との肌合いの違いによるのでは
ないか、と思われます。武士道といい、葉隠といってもまだまだ奥は深いのです。

 

訪問者その1

引用

  2006/12/6 (水) 10:15:32 - 田邉昭夫 - No.1165366095


江戸時代の検索で突然に迷い入り込んだ「葉隠れ」の世界。葉隠の沿革,日本における展
開,意味の再構築,面白く読み始めました。同じ法学徒,しかも私が5歳上。この独り娘
(中学2年)の歴史の指導で「江戸時代」を調べていました。時間がないので,再び戻
り,読みます。佐賀に生まれた根拠の視点から再読したいと思います。お互い体に気を配
り,がんばりましょう。会社の法務で働いております。(仙台高裁15年12月24日遺
言執行者と民法1013条の判例(判例時報1854号48頁原告代理人です)

 

返信1返信-1

 2006/12/10 (日) 01:44:19 - 嘉村孝 - No.1165366095.1


ありがとうございます。
判例集の方も、時間があるとき拝見してみます。

 

2006/12/31 (日) 22:24:48 - 嘉村孝 - No.1167570912


(添付1) 1167570912.1.jpg

今年もあと1時間半でおしまいです。
1年前の「事務室だより」です。

写真の方は、長崎本線から見た福岡・大野城。
この城、というよりも、これを含めた水城、基肄城などの雄大さは、今の日本人が改め
て顧みるべきものです。正に百聞、百読もこれを体で感じてみれば及ぶところではあり
ません。
板築の土塁と1300年前の石垣は、日本と大陸とが一体であったことを物語ります。
ちまちまと視野の狭い今の日本人は、これを感じてからあらゆる政策を始めるべきでは
とさえ思われます。

★12月30日
 年賀状を書いていたら、傍らのテレビでやっていたのが「夜回り先生」即ち水谷修先
生のお話。テレビをほとんど見ない(見る時間がない)私ですが、久しぶりに感動しま
した。
 しかし、こうしたリストカットなどの行動に走る少年を、どうして国が救わず個人が
ここまでするのか。この国家の持つ深刻な問題性を感じざるをえませんでした。これも
また、戦艦大和の臼渕大尉の言われる「個人の徳義」に頼る国家の姿の裏返しではない
でしょうか。
 しかも問題を抱えた少年の、その問題は、結局、まともな民主主義が機能していない
国家では解決不可能であるようにも思いました。
 真に自立した国家とは何かについて考えさせられたレポートでした。
★12月25日
 エコノミストの吉野俊彦氏が9月に亡くなっていたことを、うっかりしていて最近知
りました。
 佐賀の下村治氏とは高度成長、安定成長の論敵。森鴎外の研究家であるとともに、そ
の線から、永井荷風、河上肇にまで研究が及んだのは納得できます。
 しかも、その経済の解説はわかりやすく、最近読んだデフレの話も感動物でした。
 雑誌に書かれていた東大での我妻栄先生の講義の話も、私にとっては貴重な考えのヒ
ントでした。
 ごまかさず、裸の王様みたいにならずに追求していく姿勢。それが永井荷風にもなっ
たのかと、小説を読まないのに全集を一応用意している私としては親和性を感じます。
★12月23日
 本日は天皇陛下のお誕生日。今年も記者会見でのお言葉には感動しました。
 ところで、昨日、内閣制度120年にあたっての某テレビ局のインターネット記事に
は唖然としてしまいました(多分、放送でもそう言ったんでしょう)。
 いわく「議院内閣制は、国会議員から指名された総理大臣が内閣を組織し、議会に責
任を持つ制度で、明治18年に当時の太政官制を廃止して導入され、現在の憲法によっ
て制度的に保障されました。(22日16:28)」と。
 以前、これまた某評論家と対談していて同じ事を言われて唖然としたのですが、「も
ちろん」全くの誤り(後半が)。戦前の内閣官制では議員・議院とは関係なく天皇が任命
するのです。東条英機ももちろん。元老という老人が勝手に選んだりもしました。
 つまり、そういう制度に根本的問題があったわけで、同じ「内閣」という名前が付い
ていても全く違うのです。それも知らないのが本当の「平和ボケ」でしょう。
 陛下がおっしゃるとおり、もっと本当の歴史を勉強しなければと思います。
★12月20日
 数年ぶりでバリアフリーダイビングの忘年会に参加。日頃何もできていないので本当
に申し訳ないのですが、かえって暖かく迎えていただき恐縮です。
 色々なケースの障害を持たれている方が、健常者のボランティアに支えられてダイビ
ングを経験することは、実は武士道の一つのタイプ、葉隠型に通じます。そのことは、
この上の本に書いてあります。
 一方、先日の講演が終わったあと、ある相当な年配者の男性が、「あなたの言われる
武士道は、(本当の)ロータリークラブの精神につながるのでは」といわれました。
 正にそのとおりであり、「感度」(いや考える力)のよい人は違うなと、つくづく思
いました。
★12月18日
 そして一昨日は、最後の海軍兵学校のA先生といっしょに仕事。
 江田島で、正に広島の原爆を体験した人。あれだけ離れていても、とてつもない爆風
に3階建てのコンクリートの建物が倒れ掛かってくるかと思ったとか。
 あのテニアン島の爆弾のピットを見ても、リトルボーイなどの現物の模型も、あれで
それだけのエネルギーとはと、やはり驚きます。
 しかし一方、さほどの心配もせずに、翌日視察にいった将校は被爆。1週間後に現地
を通った私の身内もゴクゴク水を飲んだとか。
 今の日本人も、問題を深刻に考えない。これはネバダやビキニの米兵、そして政治家
もそうでした。仏教で言えば火宅無常の世界なのに。
★12月17日
 その台湾の彼と話した1テーマが海軍というもの。
 台湾ですから当然軍役があるわけで詳しい。私の子供の時からの知り合いの孫も潜水
艦に乗っていました。
 彼もいわく、海軍は一番恐いし、人間の頭を不思議な感情にさせるところと。これ
は、時々書く東条英機の弁護人の息子さんである先生も言われるところです。数億年前
の人間のふるさと「海」を眺めて暮らす海軍には独特の発想が生まれます。陸軍の方が
常識的でしょう。海軍の坂井三郎さんも言われていたことです。
 日本でも、海軍機関学校でどんなことが行われたか。
 こういう前提を知って特攻隊などというものも考える必要があります。
 掲示板の川棚は、海上特攻の基地でした。
★12月15日
 今週は出張の多い週でした。でも、せっかく遠出したので、台湾からの留学生に声を
かけて最近の台湾の情勢などを話し合いました。
 先日の地方選挙の結果は、台湾の置かれている微妙な立場と国民の政治意識の高さを
示すものでしょう。日本のマスコミがステレオタイプに報じる姿は台湾の実相を伝えて
いるとはいえません。
 どの分野でもそうですが、もっと真実を伝えるメディアが欲しいと思うのですが、商
業主義というものがどうしても災いするようです。しかし、それで済んでいる国は、や
はり平和ボケといわれても仕方ないのかもしれません。
★12月11日
 昨日は武士道についての講演をしてきました。「目からうろこが落ちた」と言われる
時と「難しい」と言われる時との二様なのですが、昨日は前者でほっとしました。
 何しろ、話は「あんなことがあった」ではなくて、それもありますが、基本はロジッ
クなので、難しくなってしまうのでしょう。
 その帰り道、すぐそばに博物館があったのでじっくり2時間ばかり古代、中世だけ。
 木簡、板碑の文字に感動しました。おかげで仕事が夜中まで。
 なお、1年前の「事務室だより」を掲示板に貼っておきました。写真は特攻の基地、
長崎県大村湾の川棚の海です。飛行機だけではない、ここにも深く考えさせる特攻があ
ったことをもっと知るべきでしょう。
★12月8日
 今日は日米開戦の日。そんなことも知らない世代が今や相当にのぼるそうですが、事
実です。
 ハワイへの攻撃と同時に(あるいはもっと早く)マレー半島コタバル敵前上陸。そし
て、私が最後の講演会を主催した大空のサムライ・坂井三郎さんは台湾からフィリピン
のクラーク・フィールド飛行場を攻撃。
 坂井さんは「大空のサムライ」以上に「零戦の真実」をお勧めでした(講談社文
庫)。
 どの本だったか、日本は相当数の飛行機を保有しているとの誤解が、当時、敵国にあ
り、それは同じ飛行機による攻撃回数が異常に多かったためであったとか。現代でも
様々に反省を迫られる話し満載です。
★12月2日
 ここ数日、何かと勉強会が重なった日々でした。
 その中で、気になったのは律令と法の解釈ということ。律令は、ユスチニアヌス帝の
ローマ法大全と同様、施行者の解釈を許しません。それは違勅や違格となり、徒刑の対
象となります。法律の交付者が専制としての行政・司法を行うことから、家来による解
釈を許さないのです。
 このことと、自分が今行っている解釈という作業の正当性とを考え合わせる時、今の
日本では余りにも律令の逆が多い。つまり、律令のような専制ではなく作られた、ある
いは作られるべき法であるのだから、都合が悪ければより柔軟に改正してよいはずなの
に、裁判官による解釈で運用してしまう余地が多すぎるなと思われることです。
 これも、民主主義とは何かの問題です。

 

返信1返信-1

 2007/1/1 (月) 18:11:03 - 嘉村孝 - No.1167570912.1


板築より版築が適当ですので訂正します。