葉隠れ本
引用
2006/5/8 (月) 09:30:04 - 初心者 -
No.1147048111
返信-1
2006/5/13 (土) 22:22:01 - 嘉村孝 -
No.1147048111.1
遅くなりまして恐縮です。
まず、本来は全文の載っているものを薦めますが、じっくり読まなければ面白くないで
しょう。また、古文の力が一応必要です。
それが解決してのお薦めは、岩波文庫、岩波の日本思想体系本ということになります。
でもなかなかこれは難しい。
となると、抄訳で一部だけの本。これでは所詮だめですが、一応のお薦めは神子ただし
さんの徳間書店の本。
新書版では、本当は森川哲郎などといった人の本がよかったのですが、いまや絶版(の
はず)。吉田豊さんとかも結構。
間違っても、非実証の塊のような三島由紀夫本はお薦めできません。
また、現代語訳さえ至難の業なのに、英文などいわば論外。
私が以前、お会いした英文の訳者。私がお見せした佐賀城の写真を見て「おー、こうい
うところがあるんですか・・」なんて感動されていたんですが、その方の本には、しっ
かりその佐賀城の写真が。一体、どうなっているのやら。まことに無責任な話です。
1年前の「事務室だより」
引用
2006/5/15 (月) 02:09:11 - 嘉村孝 - No.1147626322
1年前に書いた「事務室だより」です。
写真は、葉隠の成立した佐賀市北部の金立山の麓にある丸山古墳の「支石墓」です。
「常朝先生垂訓碑」は、このすぐ近くです。
この支石墓はドルメンとも呼ばれ、ヨーロッパやインド、そして中国東北から韓国ま
で、ユーラシア大陸全体にまたがっていますが(私は韓国の38度線で見たことがあり
ます)、日本では、説明板の丸印で示してあるとおり北部九州や熊本あたりに集中して
います。
2千数百年前、大陸から相当数の人間が渡ってきたこと、それがユーラシア全体にまで
及ぶことに感動します。
こういうものを見るにつけ、気宇壮大にならなければと思います。日本人よ大きな心を
持てと。
★5月15日
少しお休み気味の間に、世の中は色々動いていますが、数日前、同期で集まっての話
題の一つが中国・韓国との話。
それなりの社会的地位を得た人でも考えが浅いなと、私としては言わざるを得ません
でした。
昔、菊池寛という作家は「恩讐のかなたに」という、敵討ちするはずの者と討たれる
者が、その恨みを超えて例の青の洞門を掘る小説を書いたわけですが、その方(かた)
が社長をしていた会社が、恨みにはやりかえせというような次元の低い記事の雑誌を出
していることに、日本人全体のレベルの低下を見ざるを得ません(でなければ売れな
い、というなら、その程度の国民になってしまたのかと)。
山岡鉄舟の「武士道」を監修された勝部真長先生が、明治より昭和の軍人の意識低下
をしっかり書いておられますが、どうもそれ以上の低下といわざるを得ないようです。
★5月9日
JR西日本の事故は、様々に責任が問題になっています。
一方、1日に書いたベトナムでも、先日、重大な列車事故が起きました。
しかし、ベトナムでは日本ほどの責任問題が起きていないとのこと。日本と同様の中
国的責任国家のはずが、この違いは?
多分、社会主義ということに帰せられていくかと思いますが、日本が本当の資本主
義、自由主義の国かも問題。
他のふりみて、我をよく検証してみるとことが大切でしょう。
★5月1日
昨日の話の一方で、台湾で国民党の白色テロでさんざんひどい目にあった人のことを
思い出しました。その人は河合栄次郎の本を読んでいたというのでアカ扱いされて銃殺
寸前までいったのです。
共産主義は、いや。でも、南ベトナム政権のゴ・ジン・ジエムがいいとはいえない、
という立場に立てば、日本では、そして台湾でも日本語の分かる人は河合栄次郎の本と
いうことになったでしょう。私も読みました。
同趣旨で、防大の校長をされた猪木正道さんの本も愛読しました。「共産主義は19
世紀的な資本主義に対する死の抗議という意味で意義があるが、一回生起的な個人人格
の尊厳を犯す点で、アンチテーゼたりえても、ジュンテーゼたりえない」という指摘は
正しいかと思います。そのジュンテーゼが果たして今あるかというと、これが難しい。
日本の政治が、現に未だその悩みの中。武士道についても同じことがいえそうです。
★4月30日
ベトナム戦争終結30年とか。
高校時代、さんざん議論したのでよく覚えています(もちろん、サイゴン陥落のとき
は高校生じゃありません)。最近、知り合いになった元ベトナム留学生のAさんに「ベ
トコンは要するに北ベトナム軍でしょ」というと、そうだ、との答え。しかし、今でも
「解放」戦線どうのこうの、とのあやふやな報道。
一体あの時代、左翼を標榜していた頭のいい連中が今どうしているのか、しっかり見
てみる必要あり。
そのころ、アジテーターの年寄りにつき、戦争中お国の為になんていってたのが今は
流行に乗って左翼だから気をつけろよ、などといわれたものですが、ベトナム戦争時の
若い左翼が、今はちゃっかり官僚のトップなどになっている。宗旨替えするならきちん
と懺悔せよと言いたくなります。人権派?のはずが正に犬になったひどいのも。勲章ま
でもらうとか。
東大だけじゃなく教育大も入試中止にされた世代としてああいうのは許せません。
右翼・左翼なんて言い方は好きではありませんが、宗旨変え人間は信用できません。
多くの人の人生が狂っただけでなく、彼らの不勉強と、時には打算(共産社会がやって
くるというとんでもない予測に基づく打算)のため、たくさんの死人まで出たし、日本
の健全な議論の場を無くした罪もあります。そして、今また怪しい右翼になって、又も
や若い人をおかしな方向に向かわせているなんて全く許しがたいことです。
★4月26日
元エジプト、イラク大使の片倉邦雄先生のお話を聞かせていただく機会に恵まれまし
た。そして、先生の著書に、イラクへの自衛隊派遣とシベリア出兵との共通性が書かれ
ていることを知りました。
老練な外交官と私とでは、知識も経験も段違いですが、私がこの事務室だよりに以前
書いたことと同意見です。無名の師と言われたシベリア出兵。数多くの兵士が死亡しま
した。
同様のことにならず、かつアメリカとの関係も損なわないようにし、しかも現地の
人々から尊敬される・・・先生の言われるハイテク病院船はなかなかの案と思います
(アラビスト外交官の中東回想録・明石書店2400円)。
★4月24日
三島由紀夫の資料展が開かれているそうで、テレビで「文士として死ぬより武士とし
て死にたい」とかいうメモが紹介されていました。
昭和45年11月25日のことはよく覚えていますが、彼のテーマのひとつである
2・26の青年将校とは全く違う正に文学としての、恵まれた人の死。しかもその死は
武士といっても今や無理な話で、自衛官(それは正に、田舎から出てきた人が多い)が
盛んにヤジり、抗議したのも当然です。
こういうことを誤解なく、わかってくれる現代の若い人でないと困ります。
★4月21日
足利学校室町再興から数えて9代目のしょう主、つまり学校長は、三要という肥前の
人でした。家康の諮問にあずかり、葉隠には学校御方として登場します。
ところで、初代は鎌倉の僧・快元。その快元僧都記には有名な北条早雲の歌がのって
います。当時、荒れていた鎌倉を再興しようという意欲を詠んだ歌
枯るる木に、また花の木を植えそえて、 元の都になしてこそみめ と。
北条早雲の出自については、最近漸く、京都の足利氏に近い、相当な教養ある武士の
出である説が有力になってきたようですが、この歌なども彼のしっかりとした人物像を
うかがわせます。
近代史も、中世史もまだまだ考える余地ありと、彼が城主をつとめていた興国寺城
(三島の京都寄り)の上を新幹線で通っていて思いました。
★4月10日
ある国際的企業の会長さんとごいっしょし、話は台湾問題へ。前々回の総統選挙で、
中台が火を噴くのでは、という観測をした学者の話しになって、両方とも大人ですから
そんなことはないし、話は長い尺度で考えられていますよ、と。同感。
そして帰ってみると、またも中国でのデモのニュース。連絡してみると大陸の良識あ
る中国人も日本人も困っています。こういう時こそ「長い尺度」と同様の大人の発想で
ことを納めてこそ、アジアはひとつ。それには日本人が本当に近現代史を(ここでは長
くではなく早く)理解することと今の日本の位置づけを考えることが必須でしょう。
その場合、台湾が自らの恥部ともいうべき2・28事件をきちんとさらけ出し、それ
により逆に国民が団結したことを思うべきです(この事件以後、戒厳令解除までの台湾
の歴史は半端なものではありません)。日本人自ら、誰が、一体どうやって三百万人も
死ぬような戦争を始め、遂行したのかを理解してこそ、そういうことまで明らかにする
国家に愛着が持てるわけですし、けじめもつきます。正に憲法・行政法の問題です。
日本人の中に、日本のよいところを知って自信を持とう、とかいう子供のような発想
を持っている人がいることは誠に残念。それでは中国の史記と同じ紀伝体の人物評価の
歴史になって、実は全く日本的でもないわけです。しかも、大きいことはいいことだ的
歴史観もありますが、そんな発想の人のいわば先輩で(と言ってはかえって失礼なくら
い立派)、古事記などを重視された中村孝也先生が「山高きがゆえにとうとからず。木
あるをもって尊しとす」といわれたことをよく味わってみてはいかがでしょう。
そして、日本はアメリカの庇護の下にある北マリアナと同じであり、なのに常任理事
国などというのは、8日の話からしても正に平和ボケ。マリアナの場合は、自らをわき
まえ、それでいながら、国の内部は日本と全く異なった国民参加の民主国です。先進国
の中で唯一陪審を持たない日本が民主か、よく考えるべき(裁判員はちがいます)。
★4月8日
旧陸・海軍の刑法によれば、「守将が守所を占領されたときは死刑又は無期徒刑」と
か。とすれば、今回の竹島に関する教科書の記述で、文科省が「不法占拠」と変えさせ
たとなると、そんな「占拠をされた責任」は一体どうとられるわけでしょうか。
このことは2・26事件でも問題になったことなのですが、問題を国全体の整合性を
踏まえて厳しくとらえず、一面だけ元気のいいことを口でだけ言っているのが我が国の
一部の、一種の性癖です。臭いものにはふた、無責任ということでもあります。
こういう国に常任理事国の資格ありとは思えませんし、不要でしょう。ポスト増やし
で、拒否権でも万一持てば、いずれアメリカも脱退して国際連盟の轍を踏むだけです。
正に、アメリカに守ってもらっている国の平和ボケでしょう。
★4月6日
今年は明治38年に日本が韓国に統監政治を敷き、伊藤博文が初代統監に就任してか
ら百年になります。明治43年が日韓併合です。
その併合前の統監政治時代の判決を、韓国の裁判所で拝見したことがあります。当事
者と執達吏だけが現地の人で、裁判官も書記も日本人でした。
これはショックだなと思わざるを得ませんでした。先日の日本では、看護師の管理職
に外国人の登用を拒む判決が出ているのに、その百年も前に、より権力的な裁判官に、
日本人が就任しているのですから(大隈重信が大審院への外人裁判官登用問題で爆弾も
投げられています)。それなのにその展示では別段日本は非難されていませんでした。
韓国・景福宮正門の光化門は、柳宗悦の保存運動で有名ですが、その周りの塀には朝
鮮戦争の弾痕がたくさんあります。
大統領の発言以前に、そうしたことの重みを忖度できる国民にならなければ世界から
は尊敬されないと思います。
★4月4日
電車の中で古賀幸雄さんによる明治維新後の福岡・久留米藩保守派の挫折を解説した
「明治維新と久留米藩難」を読んでいるところに、旧知の中国・成都にある日本スーパ
ーなどに対する常任理事国抗議の報道が。もちろん物理力行使は断固抗議。ただし・・
アンパンを1日8000個も買ってくれる店なのに。政府はアジア諸国で頑張ってい
る企業戦士の足を引っ張るようなことをしてはだめとかねて言ってきたのですが。
久留米藩の保守派が勤王、佐幕、公武合体や攘夷の意味も良く分からずに切腹や征伐
を繰り返したように、現代日本人も、日本とは何か、いや、国家とは何か、皇道派、統
制派の意味、などさっぱり分からず、特に現代史が全く分からないで国粋主義になって
いるところに悲劇の元があります。その意味では幕末と同じ視野の狭さ。
たまたま、ローマ法王からブリタニカの昭和天皇のウェブページを見たら、2・26
事件後の粛軍人事はよいとして、林銑十郎を真崎・荒木大将と一緒にしていました。最
初はそれっぽかったのですが、3長官一致という慣例(一種の法)を無視して真崎教育
総監罷免という非常手段をとったがために相沢中佐、2・26が起きたわけで、結局反
対派。とんでもない大間違い。ここらの法制度を全く知らない人が書いたことが歴然。
正に常識はずれで、そういう前提で現代史、近代史を論じているのですから反省しよう
にも反省できない。本当に困ったことです。結局、法的国民でもないわけです。
以前、新右翼の木村三浩さんと対談したとき、国防の前提として、日本は先ず自分の
病気を治さなければ、と言ったのですが。
はじめまして。
引用
2006/6/3 (土) 15:40:55 - YUSKR サクラ -
No.1149315826
こんにちは。私は学生のサクラです。最近「国家の品格」という本を読んで武士道について興
味を持ちました。
インターネットで調べていると大変な量の資料があり、とても驚きました。これほど深いもの
をちゃんと理解することが出来るかは不安ですが、一生懸命調べて行きたいです。
そして、最初にも出しましたが、今大変人気の「国家の品格」はいたる所で武士道について触
れられている本です。わたしはこの本を読んで、改めて日本の美しい文化を守って行きたいと思
いました。
とても興味深い本なので(皆さんご覧になったと思われますが)お薦めする本として挙げさせ
ていただきます。
返信-1
2006/6/4 (日) 02:04:12 - 嘉村孝 -
No.1149315826.1
ご来所ありがとうございます。
私は、数年前、藤原先生にお会いし、私の本を差し上げ、お礼状をいただいた、という
関係はあります。
ただ、「品格」の本は、書店で手に取ってはみましたが、ちらりと中身を見ただけで、
読んではおりません。
というのは、私がお勧めできない新渡戸稲造さんの「武士道」を推薦されている本らし
いので(笑)。
新渡戸さんは38歳で「武士道」を書きましたが、残念ながらその段階では、やはり「若
かった」、「考えが足りなかった」といわざるを得ないと思います。滅私奉公、精神主
義の固まりみたいな本ですから。
むしろ、後年の、昭和に入ってからの新渡戸さんは好きでしてね。同じ人間でも、自分
を含めて、神様じゃありませんから、考えも変遷すると思います。
いずれにせよ、「品格」はおのずから滲み出すものであって、葉隠のいうとおり、「ま
ず種子はしっかり握って、これも非なり、非なり、と思って一生嘆息」していけば、自
然に出てくるんじゃないでしょうか。
ぼつぼつ行きましょう。人生はそれなりに長いですから。
「日本男児」の由来について
引用
2006/6/11 (日) 20:08:27 - スメルジャコフ -
No.1150023767
はじめまして。よく武士道とかサムライとかにならんで「日本男児」という言葉が使わ
れますよね。最近はスポーツマンによく使われます。戦時中の日本では鬼軍曹が「貴様
それでも日本男児か!」と怒鳴る姿が目に浮かびます。
そんな日本男児ですが、この「日本男児」という言葉はいつ頃使われだしたのでしょ
う。有る意味葉隠と無関係ではないと思います。
返信-1
2006/6/12 (月) 00:40:05 - 嘉村孝 -
No.1150023767.1
ご来所ありがとうございます。
「日本男児が精込めて、作って育てた我が愛機」という「荒鷲の歌」の一節を思い出し
ます。
「やまとおのこ」という言葉は以前からあったんでしょうが、いつからでしょうね。
どちらにしても幕末で言えば吉田松陰的な感じで、漢語の使い方が現代的なので、昭和
かも、という気がしますが。
ちなみに、本来の葉隠には、日本という国家意識は全くといってよいほどありませんか
ら、葉隠と日本男児を結びつけたのは正に昭和の産物でしょう。
急いでます。
引用
2006/6/15 (木) 11:26:43 - ここ -
No.1150338330
返信-1
2006/6/16 (金) 01:13:44 - 嘉村孝 - No.1150338330.1
恐縮ながら、専門家でもありませんし、お応えの能力はありません。
ただ、官位十二階などといわばひとくくりになるものでしょうね。ですから、日本書紀
の記述があくまでも基礎にはなりますが、単なる訓戒というより組織法的な正に強制力
を持つ法律とみるべき部分があると思っています。
そういうものを必要とする時代になっていたんでしょうし、中国の影響は明らかでしょ
うね。
父親を尊敬することについて
引用
2006/6/18 (日) 22:38:08 - スメルジャコフ -
No.1150637731
お久しぶりです。葉隠では親を敬ったり尊敬したりすることってやはり重要だったので
すか?
アスリートたちはよく尊敬する人は父親なんて答えたりしますが、当時の武士も父親を
心から尊敬していたのでしょうか?
返信-1
2006/6/20 (火) 22:44:21 - 嘉村孝 -
No.1150637731.1