リンクご紹介

引用

  2006/3/3 (金) 13:58:57 - 嘉村孝 - No.1141361574


以下のサイト管理人の方から、この博物館にリンクを張られた旨ご連絡をいただきまし
た。私は今、掲示板と事務室便りしか時間がありませんので、とりあえずご紹介させて
いただきます。
タイトル名:歴史大全 あらゆる歴史のリンク集
URL  :http://www.3haskc.com/

 

武士道を会社で実践する

引用

  2006/3/9 (木) 10:47:26 - 立岩 優征 - <tateiwa@mui.biglobe.ne.jp> - No.1141867747


はじめして。立岩優征と申します。いつもはROM状態ですが、大変勝手ながら上記タイト
ルのご案内で投稿さて頂きます。


●ドラッカー博士に感謝

ちょうど1年前「経営の神様」でありますピータードラッカー博士が日経新聞に連載を
していました。その中で最後の日に以下のような言葉がありました。

「そんな友人たちに一つ言っておきたい。日本の強さを忘れないでほしい、ということ
を。
欧米人と日本人を交えてパーティーを開くとしよう。何をしているかと聞かれれば、欧
米人は「会計士」、日本人は「トヨタ自動車(の社員)」などと答えるだろう。自分の職
業ではなく自分の組織を語るということは、組織の構成員が家族意識を持っている証拠
だ。ここに日本最大の強さがある。」※( )部分加筆

その後、ドラッカー博士は1年も経たずに天に召されました。我々日本人にこれ以上な
いであろうエールを残して。

●企業経営からの武士道

私は会社の人事に関するコンサルティング等を社会保険労務士という資格で仕事をして
います。そして扱うのは「人」の問題です。
会社経営の最終目的、それは「人を育てること」と思っています。そして、人を育てる
ためにはその根本思想が必要になってきます。それを武士道を元にした「道理主義」と
いう思想を持って、経営者にご指導(というか一緒に勉強)申し上げている次第です。

ドラッカー博士の「日本の強さは家族主義だ」と言う言葉、大変ありがたいのですが、
それがなぜか?を知っている限り教えていただいておりません。
よって、その答えを武士道に求めて、論理展開するのが以下の私の事務所サイトの内容
です。まだ途中ですが、毎朝日経新聞のコメントを出社前にお伝えするブログともに、
稚拙なものですが、よければご覧下さい。

 大変勝手なご案内で恐縮ですが、武士道の良き復興と皆様になにかの足しに為れば幸
いです。

 ●立岩経営労務事務所サイト   http://www.tm-network.jp/

 ●出社前日経チェック!ブログ  http://tmnetwork.at.webry.info/




 

返信1返信-1

 2006/5/29 (月) 01:43:12 - 嘉村孝 - No.1141867747.1


先日はメールもいただき、ありがとうございました。
武士道の会社での実践。しっかり考えると、なかなか奥が深いと思います。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/4/6 (木) 12:15:05 - 嘉村孝 - No.1144292771


(添付1) 1144292771.1.NEC_0081

1年前の「事務室だより」です。
写真は、ミャンマー・バガンのエーヤワデー(イラワジ)川。
この辺りは、インパール作戦における弓兵団の通過地点。現在は乾季のため川は相当干
上がっていますが、実は遠方の山の下に流れがあり、見えるのは中州です。雨季には満
杯となります。
ここからでさえ千キロ以上の山岳行軍をさせ、19万の将兵を死なせた責任者はビルマ
作戦崩壊時にどういう行動をとったか。
それを見ずして靖国問題も語ることはできません。

★4月3日
 ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。
 このキリスト教というもの、この博物館にもデマルカシオンのことを載せましたが、
日本の歴史にも極めて大きな影響を与えているかと思います。
 デマルカシオンは、その後の英米仏などの世界分割の走りであり、非難の声が大きい
のですが、日本もその真似をしっかり行いました。
 そして、九州の竜造寺の強大化と共に大村による長崎のイエズス会への寄進。それに
基づく公領化と長崎喧嘩の発生。そして、葉隠・その重要なポリシーの成立と考えてき
ますと、キリスト教をしらずして武士道は語れません。
 ともあれ、5百年前のデマルカシオンとは違う方向を打ち出された法王の死を悼みま
す。
★3月31日
 仕事場の近くに鎮座されているある神社。少し前から社殿の傍らに、鍋島直茂の言葉
として「子供がまともに育つか否かは母親に責任あり」みたいなことが書いてありま
す。直茂には壁書きというものがありますが、そんなことは書いてありません。また、
そんなことを言う人とも思えません(神前で「実」の心生まれるようにと祈った人)。
 その掲示板には、先日までは菜根譚、その前は老子の言葉といわれるものが書いてあ
りました。いずれもお説教調で、どうもちょっとずれてるな、と思わざるを得ません。
 本来の神道は、習合ということを考えれば極めて国際的なものです。国家神道とは違
います。神道の本然の姿に戻り、受売りではない教義を言われてみてはと思いました。
せっかくの歴史ある神社なのに、あれでは神様がお気の毒。
★3月29日
 農本主義者・兵農不分離主義者の私は、常に農業問題に関わっています。
 今、関わっている大きなものは種苗のパテントの問題ですが、種苗の特性は事細かに
決まっており、ややこしいものです。
 しかし、もちろんそこに誤りがあってはなりません。ところが、最近の役所のこれに
関わる文書の間違いにはびっくり。他人の作った文書を決済官が完全なフリーパス。そ
の間判子の数は約10個。
 日本の色々な部署で、昔のような厳密、厳格ないわばシコシコ型の手探りを馬鹿にし
大量処理の優位を指摘する風潮があるように思いますが、そこには意外な落とし穴が。
★3月23日
 北マリアナ連邦・高校生による模擬裁判のコンテストを2日にわたって傍聴させていた
だきました。正装の上、尋問で活発に異議を出し、陪審員に向って堂々たる弁論を行う
地元高校生の姿は正に感動的でした。
 一方、それを観ていて、鎌倉時代の蒙古襲来絵詞において、安達安盛に職権の行使を
迫る竹崎季長の姿も思い出されました。
 鎌倉時代の我が国に陪審があったと書かれたのは日本法制史の大家・滝川政次郎博士
ですが、それに似た意識があったのは事実でしょう。民主主義というものも、我が国の
歴史に必ず引き当てて考えることができると思います。とまれ、我々の意識を変えるこ
とは難しいことですが、しなければならないことでしょう。
★3月21日
 福岡・佐賀の地震には、日頃地震のない所だけに真に驚きました。
 私の関係者には今のところ被害はありませんが、佐賀のみやき町に被害があったのは
極めて残念です。
 合併により最近出来立ての町で、北から足利幕府の九州探題渋川氏の城・白虎城があ
る中原町、葉隠の成富兵庫茂安が築いた千栗(ちりく)の土居(掲示板に)がある北茂
安町、景行天皇の巡行説話で、天皇が寝られた御寝(みね)から出た三根町が、三つい
っしょになった町です。
 北茂安町の皆様には昨年、大変お世話になりました。
 歴史の宝庫に被害の少ないことを祈ります。
★3月20日
 米国からの牛肉輸入要求問題は、いつも書くことですが、とんでもないこと。
 10数年前、乳牛の乳脂率の問題に関与したことがあります。今は3・7など普通の
時代ですが、元々は3・1とかが当たり前の自然の姿。それを日本の大手乳業メーカー
は高率の基準を立て、それに達しなければ農家に罰金を課すやり方。
 米国の高乳脂率を見習ったものですが、日本の普通の牛には無理。そこで、肉骨粉と
いう元気の出るもので「共食い」をさせる。それが、人食い人種の中にあるといわれる
クロイツフェルトヤコブ病、つまりBSEにつながっていくわけです。
 日本人は低い乳脂率の牛乳でスリムにかっこよく生きていけばよいわけで、戦後のパ
ンをはじめ、文化を押し付けられ、日本国民が牛肉処理機にされてはかないません(そ
のことと、政治制度の美点とは別です)。
 ここでも「国民を守る国家」を体現しなければ我が政府の意味はありません。また、
この問題は、兵農分離、農業の意味という点で、武士道観にもつながっていく話です。
★3月16日
 13日の「身心放下(しんじんほうげ)」で考えなければいけないのは、世の中には
文章の字面をそのまま額面どおりに受け取るファンダメンタリストが時におられること
で、禅の世界にもそういう人はいるものです(案外、頭のよい?人にそれが多い)。
 ですから「身心放下」というと、本当に物理的に「放下」する人がいたり、あるいは
それを説く人までいます。戦前の禅者の中ににいたそういう人は、痛ましい玉砕的な死
の原因を作ってしまいました。
 しかし実は葉隠にも山本常朝さんのいうことにも、大いにそういう面はあるのです。
そういう解説書もあります。ですから、絶対に葉隠を金科玉条にしてはいけません。
 葉隠とは、よいところもあるけれど、何と厄介な本かと思います。
★3月13日
 このところ、桜吹雪ならぬ花粉がどんどん舞う中、卒業式、確定申告と、極めて多忙
で、掲示板のご質問?にも直ちにお答えできませんでした。
 それにしても「知非便捨」についての岩波日本思想体系本の注にはびっくりしまし
た。どうみても意味が通じません。
 非を知って直すなどといういわば形而下的な話ではないのです。直すという行為では
本当に非を知ったことにはならない。だって「これは非だ」と自分で断定してしまうこ
とになりますから。「念念(つまり一瞬一瞬)に非を知る」という立論は、非の断定さ
え許さないはずです。
 以前、心学についての注にも明らかな誤りを発見したことがあります。もちろん、自
解(じげ)を執することなかれ」(正法眼蔵随聞記)ですが。
★3月8日
 韓国では、韓昇助(ハン・スンジョ・75)高麗(コリョ)大学名誉教授が、日本のあ
る新聞社系の雑誌に寄稿した原稿の中で、「日本による韓国支配は不幸中の幸い」と主
張し、議論を呼んでいるとのこと。
 この手の記事を書かれる方が韓国にも他の国にも時々おられることが不思議といえば
不思議。そうした論調の人に欠けているのは「反射的利益」という観念ではないかと思
います。日本が占領しなければロシアが占領していただろう。そうでなかったから幸
い、というわけ。日本が戦争したからアジアが独立した、とか。昔からあった議論です
が、それはあくまで反射的な利益で、直接的な権利侵害を無視した議論。
 ソウルの南大門近くにある丸い建物。なんだろうと思っていましたが、そこが中国で
言えば天壇に相当するところで、つまりは皇帝が天を祀る祭壇の真上に朝鮮ホテルが建
ってしまっていることを後で知りました。総督府の建物もそうですが、正に「武士道の
風上にもおけない日本の恥」。逆に日本が万一そんなことをされたら大変でしょう。こ
うしたことはごく一部であり、件の名誉教授(返上とか)が抗議を受けているのも分か
ります。
★3月6日
 先日、台湾に行ってきました。
 今回、以前以上に気になったのは台北の町の名前です。ご承知のとおり国民党の蒋介
石の軍隊が進駐し、中国大陸の町の名前がつけられました。これは大陸と同じ方式です
が台湾の元の住民には無縁のもの。昔、日本が領有していた時は日本の名前で、その後
はこの方式。
 西海岸には昔清朝の勢力が及んだことを示す石碑などがありますが、もとから台湾に
いたいわゆる高砂族(今は原住民と呼びます)の人々は山に。そして、日本の領台後、
東台湾の開発と共に東の山つきへ移動(大日本帝国憲法の適用されない地域です)。こ
うした複雑な構成の上に、私が日本で知りあったある方は国民党の軍隊で進駐した大陸
の少数民族。
 などなど考えるとこの町名というもの、相当多くの台湾の人には無縁というか違和感
どころではないものありでしょう。それは「満州国」などというネーミングとも関係す
るし親台湾の日本の団体が「日華」などと言っているのもいわゆる本省人の人からみた
らとんでもない。
 これらのことを体で分かるのは、我々には難しいのかもと思った次第です。南セント
レアどころではない。しかし、その発想の根本の心性と対応につながるところあり。
 どっちにしても人のいやがることをしてはいけないし、人のふりみて我がふり直せ。

 

 

葉隠れ本

引用

  2006/5/8 (月) 09:30:04 - 初心者 - No.1147048111


適当な本をご紹介ください。
できれば英文も。

 

返信1返信-1

 2006/5/13 (土) 22:22:01 - 嘉村孝 - No.1147048111.1


遅くなりまして恐縮です。

まず、本来は全文の載っているものを薦めますが、じっくり読まなければ面白くないで
しょう。また、古文の力が一応必要です。
それが解決してのお薦めは、岩波文庫、岩波の日本思想体系本ということになります。
でもなかなかこれは難しい。

となると、抄訳で一部だけの本。これでは所詮だめですが、一応のお薦めは神子ただし
さんの徳間書店の本。
新書版では、本当は森川哲郎などといった人の本がよかったのですが、いまや絶版(の
はず)。吉田豊さんとかも結構。
間違っても、非実証の塊のような三島由紀夫本はお薦めできません。

また、現代語訳さえ至難の業なのに、英文などいわば論外。
私が以前、お会いした英文の訳者。私がお見せした佐賀城の写真を見て「おー、こうい
うところがあるんですか・・」なんて感動されていたんですが、その方の本には、しっ
かりその佐賀城の写真が。一体、どうなっているのやら。まことに無責任な話です。

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/5/15 (月) 02:09:11 - 嘉村孝 - No.1147626322


(添付1) 1147626322.1.NEC_0114

(添付2) 1147626322.2.NEC_0113

1年前に書いた「事務室だより」です。

写真は、葉隠の成立した佐賀市北部の金立山の麓にある丸山古墳の「支石墓」です。
「常朝先生垂訓碑」は、このすぐ近くです。

この支石墓はドルメンとも呼ばれ、ヨーロッパやインド、そして中国東北から韓国ま
で、ユーラシア大陸全体にまたがっていますが(私は韓国の38度線で見たことがあり
ます)、日本では、説明板の丸印で示してあるとおり北部九州や熊本あたりに集中して
います。
2千数百年前、大陸から相当数の人間が渡ってきたこと、それがユーラシア全体にまで
及ぶことに感動します。
こういうものを見るにつけ、気宇壮大にならなければと思います。日本人よ大きな心を
持てと。

★5月15日
 少しお休み気味の間に、世の中は色々動いていますが、数日前、同期で集まっての話
題の一つが中国・韓国との話。
 それなりの社会的地位を得た人でも考えが浅いなと、私としては言わざるを得ません
でした。
 昔、菊池寛という作家は「恩讐のかなたに」という、敵討ちするはずの者と討たれる
者が、その恨みを超えて例の青の洞門を掘る小説を書いたわけですが、その方(かた)
が社長をしていた会社が、恨みにはやりかえせというような次元の低い記事の雑誌を出
していることに、日本人全体のレベルの低下を見ざるを得ません(でなければ売れな
い、というなら、その程度の国民になってしまたのかと)。
 山岡鉄舟の「武士道」を監修された勝部真長先生が、明治より昭和の軍人の意識低下
をしっかり書いておられますが、どうもそれ以上の低下といわざるを得ないようです。
★5月9日
 JR西日本の事故は、様々に責任が問題になっています。
 一方、1日に書いたベトナムでも、先日、重大な列車事故が起きました。
 しかし、ベトナムでは日本ほどの責任問題が起きていないとのこと。日本と同様の中
国的責任国家のはずが、この違いは?
 多分、社会主義ということに帰せられていくかと思いますが、日本が本当の資本主
義、自由主義の国かも問題。
 他のふりみて、我をよく検証してみるとことが大切でしょう。
★5月1日
 昨日の話の一方で、台湾で国民党の白色テロでさんざんひどい目にあった人のことを
思い出しました。その人は河合栄次郎の本を読んでいたというのでアカ扱いされて銃殺
寸前までいったのです。
 共産主義は、いや。でも、南ベトナム政権のゴ・ジン・ジエムがいいとはいえない、
という立場に立てば、日本では、そして台湾でも日本語の分かる人は河合栄次郎の本と
いうことになったでしょう。私も読みました。
 同趣旨で、防大の校長をされた猪木正道さんの本も愛読しました。「共産主義は19
世紀的な資本主義に対する死の抗議という意味で意義があるが、一回生起的な個人人格
の尊厳を犯す点で、アンチテーゼたりえても、ジュンテーゼたりえない」という指摘は
正しいかと思います。そのジュンテーゼが果たして今あるかというと、これが難しい。
 日本の政治が、現に未だその悩みの中。武士道についても同じことがいえそうです。
★4月30日
 ベトナム戦争終結30年とか。
 高校時代、さんざん議論したのでよく覚えています(もちろん、サイゴン陥落のとき
は高校生じゃありません)。最近、知り合いになった元ベトナム留学生のAさんに「ベ
トコンは要するに北ベトナム軍でしょ」というと、そうだ、との答え。しかし、今でも
「解放」戦線どうのこうの、とのあやふやな報道。
 一体あの時代、左翼を標榜していた頭のいい連中が今どうしているのか、しっかり見
てみる必要あり。
 そのころ、アジテーターの年寄りにつき、戦争中お国の為になんていってたのが今は
流行に乗って左翼だから気をつけろよ、などといわれたものですが、ベトナム戦争時の
若い左翼が、今はちゃっかり官僚のトップなどになっている。宗旨替えするならきちん
と懺悔せよと言いたくなります。人権派?のはずが正に犬になったひどいのも。勲章ま
でもらうとか。
 東大だけじゃなく教育大も入試中止にされた世代としてああいうのは許せません。
 右翼・左翼なんて言い方は好きではありませんが、宗旨変え人間は信用できません。
多くの人の人生が狂っただけでなく、彼らの不勉強と、時には打算(共産社会がやって
くるというとんでもない予測に基づく打算)のため、たくさんの死人まで出たし、日本
の健全な議論の場を無くした罪もあります。そして、今また怪しい右翼になって、又も
や若い人をおかしな方向に向かわせているなんて全く許しがたいことです。
★4月26日
 元エジプト、イラク大使の片倉邦雄先生のお話を聞かせていただく機会に恵まれまし
た。そして、先生の著書に、イラクへの自衛隊派遣とシベリア出兵との共通性が書かれ
ていることを知りました。
 老練な外交官と私とでは、知識も経験も段違いですが、私がこの事務室だよりに以前
書いたことと同意見です。無名の師と言われたシベリア出兵。数多くの兵士が死亡しま
した。
 同様のことにならず、かつアメリカとの関係も損なわないようにし、しかも現地の
人々から尊敬される・・・先生の言われるハイテク病院船はなかなかの案と思います
(アラビスト外交官の中東回想録・明石書店2400円)。
★4月24日
 三島由紀夫の資料展が開かれているそうで、テレビで「文士として死ぬより武士とし
て死にたい」とかいうメモが紹介されていました。
昭和45年11月25日のことはよく覚えていますが、彼のテーマのひとつである
2・26の青年将校とは全く違う正に文学としての、恵まれた人の死。しかもその死は
武士といっても今や無理な話で、自衛官(それは正に、田舎から出てきた人が多い)が
盛んにヤジり、抗議したのも当然です。
 こういうことを誤解なく、わかってくれる現代の若い人でないと困ります。
★4月21日
 足利学校室町再興から数えて9代目のしょう主、つまり学校長は、三要という肥前の
人でした。家康の諮問にあずかり、葉隠には学校御方として登場します。
 ところで、初代は鎌倉の僧・快元。その快元僧都記には有名な北条早雲の歌がのって
います。当時、荒れていた鎌倉を再興しようという意欲を詠んだ歌
 枯るる木に、また花の木を植えそえて、 元の都になしてこそみめ   と。
 北条早雲の出自については、最近漸く、京都の足利氏に近い、相当な教養ある武士の
出である説が有力になってきたようですが、この歌なども彼のしっかりとした人物像を
うかがわせます。
 近代史も、中世史もまだまだ考える余地ありと、彼が城主をつとめていた興国寺城
(三島の京都寄り)の上を新幹線で通っていて思いました。
★4月10日
 ある国際的企業の会長さんとごいっしょし、話は台湾問題へ。前々回の総統選挙で、
中台が火を噴くのでは、という観測をした学者の話しになって、両方とも大人ですから
そんなことはないし、話は長い尺度で考えられていますよ、と。同感。
 そして帰ってみると、またも中国でのデモのニュース。連絡してみると大陸の良識あ
る中国人も日本人も困っています。こういう時こそ「長い尺度」と同様の大人の発想で
ことを納めてこそ、アジアはひとつ。それには日本人が本当に近現代史を(ここでは長
くではなく早く)理解することと今の日本の位置づけを考えることが必須でしょう。
 その場合、台湾が自らの恥部ともいうべき2・28事件をきちんとさらけ出し、それ
により逆に国民が団結したことを思うべきです(この事件以後、戒厳令解除までの台湾
の歴史は半端なものではありません)。日本人自ら、誰が、一体どうやって三百万人も
死ぬような戦争を始め、遂行したのかを理解してこそ、そういうことまで明らかにする
国家に愛着が持てるわけですし、けじめもつきます。正に憲法・行政法の問題です。
 日本人の中に、日本のよいところを知って自信を持とう、とかいう子供のような発想
を持っている人がいることは誠に残念。それでは中国の史記と同じ紀伝体の人物評価の
歴史になって、実は全く日本的でもないわけです。しかも、大きいことはいいことだ的
歴史観もありますが、そんな発想の人のいわば先輩で(と言ってはかえって失礼なくら
い立派)、古事記などを重視された中村孝也先生が「山高きがゆえにとうとからず。木
あるをもって尊しとす」といわれたことをよく味わってみてはいかがでしょう。
 そして、日本はアメリカの庇護の下にある北マリアナと同じであり、なのに常任理事
国などというのは、8日の話からしても正に平和ボケ。マリアナの場合は、自らをわき
まえ、それでいながら、国の内部は日本と全く異なった国民参加の民主国です。先進国
の中で唯一陪審を持たない日本が民主か、よく考えるべき(裁判員はちがいます)。
★4月8日
 旧陸・海軍の刑法によれば、「守将が守所を占領されたときは死刑又は無期徒刑」と
か。とすれば、今回の竹島に関する教科書の記述で、文科省が「不法占拠」と変えさせ
たとなると、そんな「占拠をされた責任」は一体どうとられるわけでしょうか。
 このことは2・26事件でも問題になったことなのですが、問題を国全体の整合性を
踏まえて厳しくとらえず、一面だけ元気のいいことを口でだけ言っているのが我が国の
一部の、一種の性癖です。臭いものにはふた、無責任ということでもあります。
 こういう国に常任理事国の資格ありとは思えませんし、不要でしょう。ポスト増やし
で、拒否権でも万一持てば、いずれアメリカも脱退して国際連盟の轍を踏むだけです。
 正に、アメリカに守ってもらっている国の平和ボケでしょう。
★4月6日
 今年は明治38年に日本が韓国に統監政治を敷き、伊藤博文が初代統監に就任してか
ら百年になります。明治43年が日韓併合です。
 その併合前の統監政治時代の判決を、韓国の裁判所で拝見したことがあります。当事
者と執達吏だけが現地の人で、裁判官も書記も日本人でした。
 これはショックだなと思わざるを得ませんでした。先日の日本では、看護師の管理職
に外国人の登用を拒む判決が出ているのに、その百年も前に、より権力的な裁判官に、
日本人が就任しているのですから(大隈重信が大審院への外人裁判官登用問題で爆弾も
投げられています)。それなのにその展示では別段日本は非難されていませんでした。
 韓国・景福宮正門の光化門は、柳宗悦の保存運動で有名ですが、その周りの塀には朝
鮮戦争の弾痕がたくさんあります。
 大統領の発言以前に、そうしたことの重みを忖度できる国民にならなければ世界から
は尊敬されないと思います。
★4月4日
 電車の中で古賀幸雄さんによる明治維新後の福岡・久留米藩保守派の挫折を解説した
「明治維新と久留米藩難」を読んでいるところに、旧知の中国・成都にある日本スーパ
ーなどに対する常任理事国抗議の報道が。もちろん物理力行使は断固抗議。ただし・・
 アンパンを1日8000個も買ってくれる店なのに。政府はアジア諸国で頑張ってい
る企業戦士の足を引っ張るようなことをしてはだめとかねて言ってきたのですが。
 久留米藩の保守派が勤王、佐幕、公武合体や攘夷の意味も良く分からずに切腹や征伐
を繰り返したように、現代日本人も、日本とは何か、いや、国家とは何か、皇道派、統
制派の意味、などさっぱり分からず、特に現代史が全く分からないで国粋主義になって
いるところに悲劇の元があります。その意味では幕末と同じ視野の狭さ。
 たまたま、ローマ法王からブリタニカの昭和天皇のウェブページを見たら、2・26
事件後の粛軍人事はよいとして、林銑十郎を真崎・荒木大将と一緒にしていました。最
初はそれっぽかったのですが、3長官一致という慣例(一種の法)を無視して真崎教育
総監罷免という非常手段をとったがために相沢中佐、2・26が起きたわけで、結局反
対派。とんでもない大間違い。ここらの法制度を全く知らない人が書いたことが歴然。
正に常識はずれで、そういう前提で現代史、近代史を論じているのですから反省しよう
にも反省できない。本当に困ったことです。結局、法的国民でもないわけです。
 以前、新右翼の木村三浩さんと対談したとき、国防の前提として、日本は先ず自分の
病気を治さなければ、と言ったのですが。

はじめまして。

引用

  2006/6/3 (土) 15:40:55 - YUSKR サクラ - No.1149315826


 こんにちは。私は学生のサクラです。最近「国家の品格」という本を読んで武士道について興
味を持ちました。
 インターネットで調べていると大変な量の資料があり、とても驚きました。これほど深いもの
をちゃんと理解することが出来るかは不安ですが、一生懸命調べて行きたいです。 
 そして、最初にも出しましたが、今大変人気の「国家の品格」はいたる所で武士道について触
れられている本です。わたしはこの本を読んで、改めて日本の美しい文化を守って行きたいと思
いました。
 とても興味深い本なので(皆さんご覧になったと思われますが)お薦めする本として挙げさせ
ていただきます。

 

返信1返信-1

 2006/6/4 (日) 02:04:12 - 嘉村孝 - No.1149315826.1


ご来所ありがとうございます。
私は、数年前、藤原先生にお会いし、私の本を差し上げ、お礼状をいただいた、という
関係はあります。
ただ、「品格」の本は、書店で手に取ってはみましたが、ちらりと中身を見ただけで、
読んではおりません。
というのは、私がお勧めできない新渡戸稲造さんの「武士道」を推薦されている本らし
いので(笑)。

新渡戸さんは38歳で「武士道」を書きましたが、残念ながらその段階では、やはり「若
かった」、「考えが足りなかった」といわざるを得ないと思います。滅私奉公、精神主
義の固まりみたいな本ですから。
むしろ、後年の、昭和に入ってからの新渡戸さんは好きでしてね。同じ人間でも、自分
を含めて、神様じゃありませんから、考えも変遷すると思います。

いずれにせよ、「品格」はおのずから滲み出すものであって、葉隠のいうとおり、「ま
ず種子はしっかり握って、これも非なり、非なり、と思って一生嘆息」していけば、自
然に出てくるんじゃないでしょうか。
ぼつぼつ行きましょう。人生はそれなりに長いですから。

「日本男児」の由来について

引用

  2006/6/11 (日) 20:08:27 - スメルジャコフ - No.1150023767


はじめまして。よく武士道とかサムライとかにならんで「日本男児」という言葉が使わ
れますよね。最近はスポーツマンによく使われます。戦時中の日本では鬼軍曹が「貴様
それでも日本男児か!」と怒鳴る姿が目に浮かびます。

そんな日本男児ですが、この「日本男児」という言葉はいつ頃使われだしたのでしょ
う。有る意味葉隠と無関係ではないと思います。

 

返信1返信-1

 2006/6/12 (月) 00:40:05 - 嘉村孝 - No.1150023767.1


ご来所ありがとうございます。
「日本男児が精込めて、作って育てた我が愛機」という「荒鷲の歌」の一節を思い出し
ます。
「やまとおのこ」という言葉は以前からあったんでしょうが、いつからでしょうね。
どちらにしても幕末で言えば吉田松陰的な感じで、漢語の使い方が現代的なので、昭和
かも、という気がしますが。
ちなみに、本来の葉隠には、日本という国家意識は全くといってよいほどありませんか
ら、葉隠と日本男児を結びつけたのは正に昭和の産物でしょう。

急いでます。

引用

  2006/6/15 (木) 11:26:43 - ここ - No.1150338330


十七条の憲法を作った理由をお願いします。

 

返信1返信-1

 2006/6/16 (金) 01:13:44 - 嘉村孝 - No.1150338330.1


恐縮ながら、専門家でもありませんし、お応えの能力はありません。
ただ、官位十二階などといわばひとくくりになるものでしょうね。ですから、日本書紀
の記述があくまでも基礎にはなりますが、単なる訓戒というより組織法的な正に強制力
を持つ法律とみるべき部分があると思っています。
そういうものを必要とする時代になっていたんでしょうし、中国の影響は明らかでしょ
うね。

父親を尊敬することについて

引用

  2006/6/18 (日) 22:38:08 - スメルジャコフ - No.1150637731


お久しぶりです。葉隠では親を敬ったり尊敬したりすることってやはり重要だったので
すか?
アスリートたちはよく尊敬する人は父親なんて答えたりしますが、当時の武士も父親を
心から尊敬していたのでしょうか?

 

返信1返信-1

 2006/6/20 (火) 22:44:21 - 嘉村孝 - No.1150637731.1


一切は空。無。自利利他の関係かと思います。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/6/26 (月) 02:07:36 - 嘉村孝 - No.1151254988


1年前の「事務室だより」です。

★6月13日
 土曜日には縁のある台湾の製糖関係の会に出席したところ、昨日の新聞には台湾原住
民の方の、靖国神社合祀をやめて欲しいとの記事が出ていました。
 この方々は様々な名で呼ばれ、高砂族と日本が呼んだ時代もありますが、現在は原住
民となっています。台湾故宮博物院の前に新しい台湾原住民博物館が建っています。
 山地同胞とも呼ばれた時代があったとおり、その一部族はジャングル戦に長けてお
り、フィリピン・バターン半島の戦闘などに参加。多くの戦死者を出しました。
 私もその居住地を訪れたり、一緒に小旅行をしたこともありますが、きれいな日本語
を話され、今だに戦争についても日本びいきのことを言われる人がいます。
 日本語だけでない、そんなきれいな「心」を持つ人々を大切にしてあげることこそが
日本人の誇りの観点からも、本当の武士の心からも必要と思ったことでした。
 ちなみに、この人々の歴史は、東はタヒチから西はマダガスカルにもわたり、東洋の
ノルマン人とも呼ばれています。彼らに負けない幅の広さが日本人にも必要です。
★6月11日
 日露戦争の激戦地、旅順の二百三高地には、司令官乃木希典大将の2人の息子さん・
長男・勝典、二男・保典さんの戦死の場所が表示してあります。
 そのような悲惨な目にあいながら、更に明治天皇に対する殉死を遂げたことに、人は
彼を高潔な武人としてたたえる気にもなったわけでしょう。その日記などは人柄をしの
ばせます。
 それを考えると、現在の我が国における自衛隊の最高指揮官も、イラクに自衛官が行
かれて、いつ何時・・という時、自ずからその行動には節度があるべきと思います。
いつ何時の緊張感があれば、「特別な映画」も観てはおれない・・・はず。
★6月9日
 日本人はお話国民。そんな風に考えます。
 過日、某所で講演した時、「我が社ではある本を基本書にして日本史を勉強していま
す」との発言。私にいわせると、その本は大日本史をお手本にした「紀伝体」つまり各
人物の物語的なお話本。いわゆる右よりの人々の手になるものですが、大日本史のお手
本は中国の史記ですから、名前と反対でちっとも日本的ではないわけ。中国、韓国など
からいろいろいわれる本がこれ。
 一方、いわゆる左よりの方(かた)は、戦争の悲惨さをよくいわれます。しかし、残
念ながらこれもお話です。もちろん、絶対に知るべき話ではありますが。
 結局、どなたかがいうとおり、そうした事案(つまりお話)が生じた原因の論理や将
来への見通しを欠いているということ。
 日本人の「右」も「左」もそれであることが最大の問題であると思います。
★6月7日
 一昨日は神宮外苑での会合に顔を出し、夕方仕事場に出て、さて夕食をとって帰ろう
かとラーメン屋さんに寄れば、またもご町内どおしのK先生にばったり。父上は言わず
と知れた東条英機の主任弁護人で、戦後最大の衆議院議長。
 人物潭はいつも面白く、真崎大将は2・26事件で悪者にされ実は中国との戦争回避
の人。東条さんは官僚・・で意見一致。看板まで話してお店の人も「私も聞きたい」。
 A級戦犯とその命令にしたがって死んだ人と、同時に頭を下げることなどできるか
(死んだら仏様は認めても)といういつもの論に、改めて意を強くしました。
 国の為政者はもっと勉強をすると共に、「温かい心で考えろ」と言いたくなります。
★6月5日
 昨日は、久しぶりに今日ロンドンに帰るという外国の人を連れて鎌倉に行きました。
 やはり、大仏様には行かねばというわけで、参拝。ところがそのあと周りが混んでし
まい、タクシーを飛ばしましたが、次なるお寺には閉門後10分少々の遅れ。
 入り口で、こういうわけだから何とかならないでしょうか、とお願いしましたが、若
いお坊さんは英語で、例え地球の裏側からみえた方でも時間に遅れた人は入れませんと
の話。結論についてはルールゆえやむを得ません(多分、仏様は悲しまれたでしょう
が)。
 でもそこにもう少しユーモアがあったら、と思った次第です。仏教に一休さんのよう
な話があるのはこういう時にユーモアが加わってこそ、ということではないでしょう
か。何やら最近の日本の外交、あるいは外交当局者にも似ているなと思いました。
 ちなみにそのあと、やむなく材木座の光明寺さんへ。暮れかかる石庭の美しさに、そ
の外(と)つ国の人は涙を流していました。
★6月1日
 そのレイテの南のミンダナオで、元日本兵発見のニュース。話は途切れ気味のようで
すが、本当でしょう。
 こういうときに、日本の行政当局がどうするかで日本の価値が決まります。困難な場
所でも、金を払ってでも救出するか否か。
 坂井さんの「大空のサムライ」にも、米軍と日本軍とのこうした場面での差が書かれ
ていますが、しっかりケアしてこそ「国民を守る国家」の意義あり。また、守るに値す
る国家たりうることになります。
★5月30日
 5月23日の扶桑の同型艦が山城で、その艦長をされていたのが真崎勝次さん。この
方は、甚三郎大将の弟として、本来、大将の器のはずが、2・26事件のため少将で予
備役に編入させられてしまいましたが、衆議院議員になり、「亡国の回想」などなど、
昭和史の貴重な証言をものしておられます。
 時々書くとおり、私も子供の時会いましたが、最近の単細胞ともいうべき議論に反省
を迫るものとして、同氏の本はお勧めです。
 レイテでは扶桑の方は生存はほとんどなく、山城が数名との話も。
★5月28日
 百年前の今頃、日本海海戦があり、連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破ったわけ
ですが、その慰霊祭が行われたのはよいことでした。
 私の祖父は明治27年の日清戦争の年に生まれました。十歳の時、日露戦争が始ま
り、仁川沖でロシアのコレーツ、ワリヤークという2隻の軍艦を破り戦争勃発。田舎の
村では二隻の張りぼてを作って皆で焼いたとのこと。戦勝祝賀会にしても、いわばのど
かなもの。もちろん、戦争の遂行者は気がきではなかったわけですが。
 それがどんどんエスカレートして、日本人だけでも三百万人も死ぬ戦争に至った原因
の一つには、戦争の実態が余りにも国民から遠かったということもあるかと思います。
 どんな戦争にしても、その実態を国民が知ること、それは粛然として襟をただすこ
と、そして慰霊につながるでしょう。
★5月26日
 先日、電車のとなりの席で英字新聞を広げる人。
 例のマツケンサンバの記事が見えましたが、何と「サムライ」とのこと。
 欧米人のサムライ観念は、フジヤマ・ゲイシャの類が相当強いこと、その原因は日本
人にあることを一部掲示板にも書きましたが、サムライはもちろん、武士道について
も、外国から奉られた観念を日本人が自分のものだと思い込み、あげく排外主義にまで
発展するようなことはあってはならないことだと思います。
★5月23日
 その戦艦扶桑に乗っていたのが、私が横浜に勤務したときの所長さん。
 正に謹厳というか、硬い感じのサイレントネイビー。「雨が降っているか否かは、人
が傘をさしているか否かで判断するのではなく、雨そのものを見なければならない」と
の金言(?)は今も耳の底に残っています。
 周りの人は敬遠気味でしたが、私は何となく親しみを覚えました。
 扶桑はレイテの海戦でスリガオ海峡に沈み、1300人以上の乗員のうち、生存者は
わずか10人であったことなど、かつて出した本に書きました。
★5月21日
 20年ちょっと前に、一夕夕食を共にさせていただいたのが元連合艦隊参謀で、映画
トラトラトラの製作にもかかわられた千早正隆氏でした。
 同氏の「日本海軍驕りの症候群」を紐解くと、戦艦扶桑などに乗ったときの将官の人

評がのっていますが、山本五十六大将はしっかり評価(同じ海軍でも坂井さんなどは厳
しい)。しかし、終戦直後、部下を道連れに特攻(といっても既に戦争は終わってい
る)を敢行したU氏についてはその人間味のなさを痛言。
 やっぱりそうか、と言わざるを得ないわけで、そもそも日本の試験制度に大いなる問
題ありではとつくづく思われてきます。
★5月18日
 今、大相撲が行われています。
 日本相撲協会のカレンダーの今月と来月、力士4人が写った庭には、「?」を覚えざ
るを得ません。
 「草むしり」ができていませんし、落ち葉の掃除ができていない。
 ぺんぺん草が生えてはならないのに生えている料理屋の庭で写真を撮って、それをカ
レンダーにまでしておかしいと思わない国技の異常さ。こういうことの方が女性が土俵
に上がる云々以前の問題ではないかと思います。正に弛緩です。
 ちなみに我が家と昔の相撲とは縁が深く、私も昔の相撲の面白さ、必死さはよくわか
っているつもりです。

 

続1年前の「事務室だより」

引用

  2006/6/26 (月) 21:11:10 - 嘉村孝 - No.1151323517


(添付1) 1151323517.1.JPG

「事務室だより」が1年前に対応していないとの声にあわせて、追加です。
写真は松浦党の祖といわれる源融の墓。京都にあります。
葉隠に出てくる波多三河守親はその子孫。
そういうご先祖の詮索より、松浦党の一揆契諾状は、葉隠の一味同心と深くつながって
いる気がします。


★6月26日
 「柔よく剛を制す」という言葉があります。
 ある役所で40年間外地を担当されたA先生からの手紙に「・・・武士道が見直され
ています。そして、刀を抜かない無刀流、「けがすことなかれ日本刀」、そして礼を重
んずる「柔」の精神などが、お互い相通ずるものとして見直されているのではないかと
思います。」と。
 この精神こそ本当の武士道でしょう。
★6月24日
 23日は沖縄戦終戦の日。牛島司令官ら自決の壕の写真は、昨年6月20日の掲示板
に貼っておきました。
 実際の戦争はその後も続き、腐肉の中をのた打ち回った若き生徒の記録は果てしない
重さをもって迫ります。
 それを真正面から受け止めて考えることのできる国民にならなければ、亡くなった
人々に対して申し訳ありません。
★6月20日
 マイケル・ジャクソン氏の無罪の評決を受けて、一体日本で裁判員制度なんて作って
大丈夫?といった声が聞こえてきます。
 そういう方にはこの博物館末尾の「葉隠を現代にいかすもの」の話を。
 私は、陪審とは、国民が歴史を作る制度であると思っています。あなた任せの国民か
ら抜け出るには必要ですし、G8の中で陪審がないのは日本だけ。ロシアにだってある
し、正確な陪審とはいえないにしても、日本でも、あの旧憲法の時代にさえ行われたの
です。陪審でおかしな結果が出る、といっても、今はどうかを考えねばです。
 ただし、そのためには国民のレベルアップが必要。そのための公民教育であり、旧憲
法下でも日本の歴史の見直しを考えようとしたのです。
★6月16日
 近頃、岩波文庫の「松蔭日記」をちらちら読んでいます。将軍綱吉の側用人・柳澤吉
保の側室・正親町町子の書。吉保の手も入っているそうで、その生活も文体も、正に王
朝風。享保9年没ですから、元年成立の葉隠と同時代ということになります。
 兄である公家・正親町公通は歴史を山崎闇斉に、神道を吉川惟足に学び、後、自ら正
親町神道を開き、その道の大家となる。ということになれば、やはり彼らは葉隠とは対
極。水戸黄門も、吉宗も、彼らも、葉隠のような「土の匂い」とは全く違いますし、黄
門様でも暴れん坊でもない。神道というのもそうやってできたわけ。
 日本人はそこをわからなきゃいけないんですが、近頃のように古文も漢文も、私程度
の力もなくなってくると、益々おかしなことになりそうです。

 

サイトご紹介

引用

  2006/7/18 (火) 21:41:14 - 嘉村孝 - No.1153226315



   以下のサイトを管理されている方からリンクを張られた旨のメールをいただきま
した。ただ今のところ相互リンクができませんので、取り急ぎここで紹介します。

   サイト名: 大学・自然・歴史を考える 大学事件録

   URL   : http://www.uninatur.net

   
   紹介文 :大学事件、東京、北軽井沢の歴史・文化を通して、よりよい大学、 
     経済学、生活、社会、地球とは何かを考えるサイト

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/8/1 (火) 01:23:23 - 嘉村孝 - No.1154362930


(添付1) 1154362930.1.jpg

1年前の「事務室だより」です。

写真は、東京にある応永年間(室町時代)の唐様建築。鎌倉の円覚寺・舎利殿と同じ様
式で、由来は鎌倉時代までさかのぼります。
同様の形式のお堂は横浜にもあり、関東にこうしたお堂が相当数存在するということ自
体から、中世・関東の国際性を読み取れるのではないかと思います。
中世人の広い心と視野を現代人も持たなければ祖先から笑われてしまうでしょう。

★8月2日
 何日か前、韓国で、2010年までに裁判官の数を400人以上増やすとの報道。日
本の3分の1強の人口で、裁判官の数は同様の2000人強。それを400人増やすと
いうのですから大英断。
 戸主制は憲法違反、女性も宗中に入れるなど、韓国の裁判は、旧来の儒教国家を超え
ています。掲示板に書いたとおり、「自由・平等・正義」を最高裁の正面に掲げる国は
すごい。
 現在、世界的に官僚の裁量による司法、規制の傾向が強まっているとき、この韓国の
傾向は色々と考えさせられます。
★7月25日
 韓国において、このたび亡くなられた大韓帝国皇帝・高宗(コ・ジョン)の孫であ
り、英親王(ヨンチンワン、李垠)と李方子(イ・バンジャ)女史の次男である李玖
(イ・ク)氏の告別式が、24日午前10時、ソウル昌徳宮煕政堂(チャンドククン・
ヒジョンダン)で行なわれたとのこと。
 李方子女史は鍋島藩最後の藩主・直大の孫。正に歴史の運命に翻弄された人々。こう
いう悲劇の人々を出すような政治では絶対にいけないと思います。
 それにしても、韓国宗廟(世界遺産の素晴らしいところ)などにおける葬儀関連の儀
式の有様は、厳格な韓国の儒教を正に体現したもののようです。
★7月24日
 先日、ある会で、江戸にも古代や中世の色々な遺跡がある・・といような話になった
のですが、そういう遺跡の多いところに東村山市(所沢市)があります。
 その境にあったといわれているのが律令時代の悲田処。つまり後の鎌倉街道につなが
る街道で、行き倒れになりかけた旅人を救うための民活的施設。
 続日本後記や延喜式に、少なくとも約百年にわたるそのような施設の継続が書いてあ
るそうですが、国家が国民を守る、というコンセプトがしっかり貫かれていたことに感
激です。そういう点、つまり仕組みにこそ今の世に参考にすべきことがあります。
 現在でも、官僚にはそういうふうに頑張って欲しいなと思うことしばしばです。ただ
し、官僚に一方的な自己犠牲を求めるのはおかしい。みんなで支えるべきでしょう。そ
うすると、律令時代より鎌倉時代かな、と。
★7月18日
 正に炎熱の東京。
 千代田区の貝坂から衆参院議長公邸横を通り、溜池から飯倉へ。麻布を通って、魚藍
坂を抜ければ品川へと一直線。正に、中世・江戸湾の表の海が広がります。貝坂が甲斐
坂ならんとの俗説?にも、むしろうなずかれる実地体験。
 ちなみに、その品川の港は、中世は鎌倉から遠く海外にまでつながっていた・・・。
 「海の日」ならば、そのあたりまで考えたいものです。
★7月16日
 3連休前の昨日は、上野の不忍池が見えるレストランで食事。
 江戸湾の名残というべき湖水の上に、中国の西湖を模した堤が延び、蓮の花が咲く、
正に国際的な池といえます。
 江戸時代の擬古文,加藤千蔭の「うけらがはな」に
   なべて世の 濁りに染まで すむ人の
           友とみるべき 花ぞこの花
     (すべて、世の中の濁りに染まないで、住む{澄むとの掛詞}人{つまり寛永寺
     の坊さん}の友とみるべき花が、この泥の中に植わっていても、汚れずきれい
     な花を咲かせている、この蓮の花だな)
とあるのを思い出しました。
★7月12日
 2・26事件、青年将校刑死の日、墓前に参り、安田優少尉の遺族の方のお話をうか
がい、期せずして出てきたのが、民間で求刑以上の死刑を受けた水上源一さんの話。そ
の最後については15年くらい前、本に書いたことがあります。
 旧憲法の緊急勅令に基づく、一審限り、誰にも知られない暗黒裁判。
 彼らの行った事は美化されてはなりませんが、その手続きのおかしなことは検証され
るべき。そのあたり、美化と、手続きへの無反省というおかしな風潮のあるとき、高齢
の遺族の方は貴重な存在です。
 彼らの悲劇がなぜ起こったか、それが日本をどこへ持っていったか、それは正に、今
日的問題です。数年前に出た公判調書は貴重な資料といわねばなりません。
★7月10日
 今日は、新聞休刊日。
 「橋梁談合」なんぞと報じている新聞自体が談合じゃないのか、大いに疑問を持ちま
す。
 一方、葉隠にも「談合」という言葉は出てきます。これは、中世以来の「相談」のこ
と。いわば、一揆を結んだ戦闘集団の運営を合議に任せる話。
 こういう民主的運営の言葉が、全く逆の規制と、それ(指名競争など)を前提とした
おかしな「制度?」にどうして転換したのか。
 日本の歴史はまだまだ解明の余地あり。年代の暗記じゃ本当に困ります。
★7月7日
 今週は名古屋に出張。万博の効果か駅は人の山でした。
 名古屋城で面白いのが塀というか・・堀端にある防御施設の残骸。もち米などをつき
固めたコンクリートのようなもの。
 実はこういう製法の大きなものは、北京の円明園でみたことがあります。中国・清の
絶頂期に作られた庭園ですが、第二次アヘン戦争・アロー号事件で英仏連合軍のために
徹底的に破壊されました。
 でも、廃墟はそのままがよい。名古屋城もコンクリートの天守閣よりもあの塀の残骸
が素晴らしいと思います。
★7月2日
 ヤマト運輸の元社長小倉昌男さんが亡くなり、日経のコラムに、勲章などには目もく
れない人柄が紹介されていました。
 それで浮かんでくるのが平民宰相原敬(平民ではあっても元々家老の家柄ですが)。
 「死去ノ際位階勲等ノ陛叙ハ余ノ絶対好マラザル所ナレバ死去セハ即刻発表スヘシ」
と書き授爵恩名内定の際も「爵位や位階勲等はデモクラシーに反する。」と強く主張し
て拝辞し、最後の日まで民主主義の一貫性を考え、墓石にその精神を表徴したのであ
る。
 以上は、盛岡にある彼の墓前の説明板の記述ですが、民主主義こそ、小倉さんとの関
係でいえば健全な資本主義の前提である、ともいえます。

テニアン島はこんなところ

引用

  2006/8/7 (月) 00:59:21 - 嘉村孝 - No.1154879469


(添付1) 1154879469.1.jpg

8月6日は広島に原爆が投下された日。
そのB29への積み込みは、ここテニアンで行われました(積み込み場所は、島の北端
で、そこの写真は、以前にはったことがあります)。
この写真は、島の最南端で、この付近にも隣のサイパンと同様、スーサイドクリフ、バ
ンザイクリフがあります。
米軍はその後、強力なジャングル化をさせるためのマメ科植物を全島にばら撒き、たく
さんの遺骨が今も収容されずに残っているとのことです。
国の「実」ある施策が取られず、靖国神社に頭を下げる云々でいわばごまかしがなされ
ていることを、国民は見破るべきです。

furniture manufacturer

引用

  2006/8/8 (火) 11:45:26 - furniture manufacturer - <manufact@furniture.com> - No.1155005036


Hello there! Just want to say that I find your site enough interesting for me. Usefull information and all is good arranged. Thank you for your work. I will visit your site more ofter from now and I bookmarked it.

 

返信1返信-1

 2006/8/15 (火) 02:26:33 - T.K. - No.1155005036.1


Thank you for your a lot of praising.
But, this bulletin board is not a signboard of furniture dealer.

 

大宰府・大野城

引用

  2006/8/15 (火) 01:06:14 - 嘉村孝 - No.1155570707


(添付1) 1155570707.1.NEC_0143

律令国家における大宰府は、大野城、基肄城、そして水城などにより、玄界灘、有明海
の双方に防御ラインを持つ雄大な意図のもとに構築されていました。
今、その大野城に登ってみますと、数々の礎石や石垣が、1300年前といわれるその
ままに残り、その構築の意図が、のちの戦国時代などにも負けない大きなものであった
ことがうかがわれます。
それは、日本と大陸との交渉のなせるわざでしょうし、日本人が、今のように島国根性
ではなかったことの証拠とみるべきではないかと思います。

8月15日を前に、様々な議論がなされていますが、詰まるところ余りにも視野が狭す
ぎ、という「島国根性」に行き着くような気がしてなりません。

そこで、大野城から見た有明海、基肄城方向を写したのがこの写真です。石は、板築工
法で造られた土塁上の礎石です。

 

怒れ国民

引用

  2006/8/18 (金) 13:52:35 - 天誅 - No.1155876250


私たちの税金は正しく使われているのでしょうか。改めて考えるべきです。天下り、ワイロ絶対
ゆるさん!!!