1年前の「事務室だより」・葉隠はこんなところで

引用

  2005/10/4 (火) 23:18:28 - 嘉村孝 - No.1128434743


(添付1) 1128434743.1.jpg

1年前の「事務室だより」です。
この写真は、佐賀市大和町にある肥前国府あと。
左後ろに見える山が金立山で、そのふもとが黒土原(くろつちばる)。つまり、常朝が
田代陣基に鍋島武士の生き方などなどを話したところ。
一方、金立山には、中国から不老長寿の薬を求めてやってきた徐福を祀る金立神社があ
ります。
写真の反対側には嘉瀬川、今山の陣あと。
他にも山ほどの史跡です。
★9月28日
 ぺティの法則によれば、国家経済の進歩に伴い、所得水準が高まるにつれて、第1次
産業から第2次産業へ、そして第3次産業へと労働者の比重が移ってゆくとのこと。農
業から製造業へ、製造業からサービス業へと。フィレンツエなどはその典型だそうで、
わが日本も正にそのとおり。今や山の中まで第3次産業の人口が一番に。
 しかし、その中でどうも納得いかないのがごまかし的世界の横行。今の武士道ブーム
にもそういう「怪しさ」を感じますし、大量処理の優越、こつこつ型のあらゆるやり方
が軽くみられている風潮。何とかしたいものです。
 兵農未分離主義者として、ちょっと感情論に流れました。
★9月25日
 暑さと忙しさのせいでこのコーナーをお休みしている間にも、話の種は、実は毎日の
ように「発生」しています。
 ただ、仕事柄全てぶちまけとはいかないところが辛いところ。
 ところで、先日拝見したのが「裁判官ママ」という中国映画。少年事件を担当して刑
務所に入れた女性判事が出所した少年の面倒をみる、という話ですが、その主たるテー
マは、実はその判事が賄賂をもらっていたのではという点。重たい力作です。
 日本ではこんなことはテーマとしても考えつきませんし、かえって先日の「半落ち」
のように裁判官は神様、が前提の扱い。
 しかし、本当にそんな違いがあるのか、また、日本での取り上げ方が健全か、という
と何ともいえないのではと思います。中国も日本も、韓国、台湾も、キャリアシステム
をとっている点では同じで、実は相当な共通項があります。
★9月15日
 9月15日といえばアジア大陸では月見の季節。中国東北の、営口での盛大な祭りを
思い出します。台湾でも仲秋節としてお正月と並ぶお祭りのひとつ。更に、韓国ソウル
で「農者国之大本」(のうはくにのたいほん。者を「は」と読むことの日本との共通性
も嬉しい)と書かれた沢山の旗をデパートの周りに立てての大売出しも思い出します。
 15日の休み廃止はこれまたアジア離れ、農業離れの愚策(もちろんアジアは旧暦。今
年は22日とのこと)。
 そんな最近、再び九州最初のBSEの牛発見のニュース。
 先日、ある農業の権威とお話ししたところ、いずれは牛のふぐ化もある・・。つま
り、脳や脊髄をふぐを食べる時のようにはずして食べるようになるかも、とのこと。
 そうなると、いよいよ人間自体も加工食品の「通り道」と化すようで、正に味もそっ
けもない人生、という気がします(苦笑)。
★9月10日
 先日、韓国ソウルの忠武路の映画館で見たのが、極真カラテの大山さんがモデルとい
われる「風のファイター」。韓国では1週間で100万人を動員したという、さすが傑
作です。
 日本語と韓国語が入り乱れていますから日本人でも筋はわかります。ヒロインの平山
あやは韓国で人気急上昇中。
 それよりも、この博物館としては、本当の武士道とは何かをあの韓国の映画から教え
られるところがあり、今の日本人が大いに観るべき映画ではないかと思いました。
 やたら刀を抜くのが武士道ではないことをしっかり教えてくれますし、また、もちろ
ん海外から見た日本人像もよくわかります。政治家も観るべしです。
★9月8日
 今朝の朝日新聞・キトラ古墳の「壁はがし」の記事は、何ともおかしなものでした。
 トラの前足ははがせず、そのほかだけはがしたのを「胴体はぎとり成功」、と大々
的?に書いてある。「全て成功」とか。はがした胴体だけを「成功」と称し要するに前
足をはがすのには失敗、ということではないでしょうか。何やら戦時中の転進とか、終
戦とか取り繕っていたマスコミを思い出しました。役所もそう発表したのでしょうか。
 閑話休題。この古墳の四神、つまり玄武、青龍、朱雀、白虎はもちろん大陸から来た
ものです。一方、この古墳の上の星座、これも当然大陸からです。アジア有数、などと
いう報道がありますが、それも視野が狭いといわざるをえません。
 中国の撫順近くに元帥林といって、軍閥張作霖が自ら作った墓がありますが、その天
井にもしっかり星座が描いてあります。これは古代の話ではなく、大陸では、今のこと
なのです。それだけの広さ、深さを持っています。
★9月5日
 今日は、午前中葬式。夕方お通夜という一日でした。
 葬式の方はある元公務員の奥様。ご主人がトップ近くまで登り詰められただけあっ
て、こじんまりとはしていても、現トップの方がはじめに焼香。正に厳格で、日本人は
型にはまっているな、と思わざるをえませんでした。
 そういう有様を拝見していて、日本の葬式は朱子学の「朱子家礼」によって行われて
いるという話を思い出しました。
 朱子家礼は高麗末に韓国に入ったといいますから、日本で全体に広がったのはもっと
遅く、水戸黄門の宗教政策(常盤共有墓地など)とも関係しているかと思います。江戸
時代の墓石と明治を比べることなど、あらぬところに思いが及んでいきました。

 

sdf

引用

  2005/10/5 (水) 02:59:11 - sdf - <dfail@tom.com> - No.1128448728


http://qq20096.com/yi.php/ http://qq20096.com/yi.php/
http://qq20096.com/yi.php/ http://qq20096.com/yi.php/
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返信1返信-1

 2005/10/10 (月) 10:28:51 - 嘉村孝 - No.1128448728.1


おかしなことが起きました。私は本当は上記のやりとりは消したいのですが、これもま
た考えさせるやり取りですので、このままにしておきます(上の英語・中国語のやりと
りはかつてのもの)
In fact, I want to erase the above-mentioned exchange.
However, since it was the contents which is also one considerable history. So
I keep this one.

 

請理解我的真意。請仔細看。

引用

  2005/10/6 (木) 12:54:49 - 嘉村孝 - No.1128570720


我没有時間。我只告訴&#20320;請停止如此不法行為。

 

返信1返信-1

 2005/10/6 (木) 21:33:16 - 嘉村孝 - No.1128570720.1


是以前接受的信


Thanks for your sincerity, Mr.嘉村,

I'm sorry for my discourteous words just now.
I don't want to hurt your feeling on purpose. What I hate is Japanese
Imperialist,in China,武士道 was considered as the pronoun of imperialism. So,
I...
If a nation or a man should confess its/his crime honestly, this nation or man
could be respected! I'm glad to see that you have the courage to envisage the
history!
I'm sorry for my faux pas again!
I'm surprised to see you can read Chinese! It's great! I think it very
important to strengthen the communication between Chinese and Japanese! We
shouldn't live in misunderstanding and hatred.
Another way, in your English writing, if you mention a person or a place's
name, you may use Kanji(漢字). Because I can't identify it from its Japanese
pronunciation.
God bless you!^_^

嘉村先生,感謝先生的真誠!
我為剛才的失敬表示遺憾。
我並非有意傷害先生的感情。我痛恨的是日本軍國主義(侵華日軍)。在中國,武士道通
常被視爲
軍國主義的代名詞。所以,剛才我...
不過,如果一個民族或某個個人勇於承認自己以前的罪過,那這個民族或這個人的勇氣也
是可以得
到人們的尊敬的。幸運的是,我看到先生是個敢于正視歴史的人!
我為剛才的失禮再次表示遺憾。
我很高興地看到先生會漢語,太好了!我想加強中日兩國的交流也是勢在必行了!我們不
能總在仇
恨和誤解中生活。
此外,先生在英語貼子中寫到人名或者地名的時候,直接用漢字就可以了。因爲,對我來
説,人名
和地名的日語讀音實在難以辨認。
祝君好運!^_^

 

佐賀のローカルコミュニティーサイト

引用

  2005/10/11 (火) 10:30:07 - よかよかサポートクラブ - No.1128994163


佐賀のローカルサイト、「よかよか佐賀!」がリニューアルしました。
佐賀県出身の皆様や佐賀在住の県民の皆様に楽しんでもらえるサイト目指しています。
http://www.yokayoka-saga.com/

佐賀の企業やお店の情報をよかよかサーチより検索できたり、
掲示板のコーナーでは、皆様の楽しいカキコミをお待ちしてます。
どうぞご活用下さい。

 

返信1返信-1

 2005/10/11 (火) 23:44:40 - 嘉村孝 - No.1128994163.1


なかなか面白いですね。しかも有用。
本当にありがとうございます。いずれリンクを張らせていただきたいものですが、多忙
にていつのことやら、という実情。お許し下さい。

 

xiao97

引用

  2005/10/15 (土) 11:23:17 - xiao - <xiao97@163.com> - No.1129342820


告中国人民書我是一个&#29233;国的中国公民,嘉村孝先生是我&#20204;近20年的真&#35802;朋友。嘉村孝先生是一位真正的中日友好的使者。他又是&#23545;日本真正的武士道最有研究的学者,一句&#35805;,日本的帝国主&#20041;精神和武士道精神是&#32477;&#23545;不一&#26679;的!嘉村孝先生是&#22362;决批判原日本的侵略主&#20041;行&#20026;,批判原日本的帝国主&#20041;精神的!嘉村孝先生的网&#39029;“武士道博物&#39302;”所&#35828;的内容就是&#20026;了努力使大家能理解真正的武士道精神。因&#20026;包括日本人在内,都有很多人&#35823;解了真正的武士道精神,所以,敬&#35831;各位中国人民,不要&#38169;怪嘉村孝先生,不要&#35823;会嘉村孝先生真正的内容和思想&#20026;&#30460;!特此告書 一位&#29233;国的中国公民 2005年10月14日

 

返信1返信-1

 2005/10/16 (日) 22:22:57 - 嘉村孝 - No.1129342820.1


(添付1) 1129342820.1.1.1.jpg

このやりとりには少し説明が必要です。
この3つ下の記事、消しても消しても貼ってくるあやしい書き込みでした。1つだけ残し
ましたが。
そして、見かねた私の中国の友人が貼ってくれたのがこの記事。少し文字化けしていま
すが、赤面しそうな褒め言葉はわかっていただけるかと思います。
4月23日に貼った台湾の友人とよく似た記事。真実を求める心に国境はないはずで
す。
このサイトに今までおいでいただいた、韓国、台湾、中国、アメリカ、オーストラリ
ア、ロシア、モンゴル、北マリアナ・・みんなで真実を追求しましょう。
ちなみに写真は北京の国子監街。日本の湯島の聖堂と同じ。標柱は下馬の標です。これ
一つにしてもアジアはもとよりヨーロッパにまで広がるものがあります。もちろん日本
にも。

 

よろしくお願いします。

引用

  2005/10/23 (日) 03:32:12 - 長谷川幸大 - <yellow.my._night@r6.dion.re.jp> - No.1130005692


はじめまして。自分は東京に本部がある、右翼団体・大日本壮志塾・予備隊員の長谷川
幸大といいます。右翼は昔で言えば坂本龍馬ですよね?新選組はどうなんですかね?自
分は歴史(日本史)が好きです。友達に歴史好きいないので、歴史好きな人とも友達に
なりたいです。気軽にメールください。返事は必ずします。

 

返信1返信-1

 2005/10/24 (月) 20:08:39 - 嘉村孝 - No.1130005692.1


書き込みありがとうございます。
歴史を考えることにより、今の日本を考える、そんな発想で行きましょう。
東京裁判における島田海軍大将の弁護人でもあった滝川政次郎先生は、現行法は法制史
の最後の1頁ともいわれています。

 

これぞ本当の日本の武士道・会津若松墓前祭

引用

  2005/10/27 (木) 00:59:46 - 嘉村孝 - No.1130341809


(添付1) 1130341809.1.jpg

毎年恒例の会津若松西軍墓地の墓前祭が、今年も雨の中、室内に移して行われました。
いつも書くとおり、会津を攻めて亡くなった薩長土肥をはじめとする諸藩の戦没者を、
攻められた会津の人々が、神式・仏式の混合型でお祭りして下さるのです。
写真の後ろにはお坊さんが見えます。
参列者は玉串奉奠とお焼香とを一緒にします。

よく、会津と山口は・・・などの話が出ますが、その会津若松で毎年こうした行事が行
われていることに深甚なる敬意を払うとともに、これこそが我々の目指す本当の武士道
としたいと思う次第です。
なお、2003年11月の掲示板にも写真があります。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2005/11/3 (木) 13:36:20 - 嘉村孝 - No.1130991196


(添付1) 1130991196.1.jpg

(添付2) 1130991196.2.jpg

例によって1年前に書いた「事務室だより」です。
写真は、長崎県平戸にある三浦按針・ウィリアムアダムズのお墓。それと、オランダ商
館の遺構。
按針の墓は、以前にも掲載したように三浦半島に江戸時代のものがあるのですが、亡く
なったのはこちらというわけで、イギリスから最初の奥さんの墓の土を持って来て、こ
こにに合葬してあります。
平戸は、ポルトガル、イギリス、オランダと、最も早く西洋との関係を持ったところで
した。
大川周明の「日本二千六百年史」をひもとけば、海外発展精神の勃興として、「勇健敢
為なる戦いによって、一切を自己の生命に抱擁し、これを自己の精神に統一しつつあく
までも向上登高せずばやまぬ雄大森厳なる日本精神が最も見事に煥発せる時代は、実に
戦国の末より徳川幕府の初年にわたる前後約半世紀の間である」云々とあります。
つまり、家康・ウィリアムアダムズの時代です。
世界と通商しようとした、偏狭さのない家康。その精神を今の日本人も持って、本当の
海外雄飛をすべきときと思われてなりません。

★11月3日
 米国大統領選挙において、両候補とも、規定に「違反」して投票日まで選挙運動をし
たとの報道に接して、先年視察した台湾総統選挙を思い出しました。かの地でも陳水
篇、連戦両候補とも罰金を払って時間延長の演説をしていたからです。
 それは、サッカー場を使用して行われる大規模かつにぎやかなものです。運動が終わ
ると町中に立ててあったのぼりなどがきれいに取り払われたのにも感激しました。そし
て、投票所の外に長々と並ぶ有権者の列。今回のアメリカとよく似ています。
 戦前の観念から、「日本と同じ」を強調する人がいますが、むしろ全く違うことを意
識すべきでしょう。
 米国にしろ台湾にしろ、選挙の自由、候補の資質、それを支える制度、いろいろ考え
させられます。
★10月27日
 最近の中国経済と日本との結びつきは正に不可逆といってよいでしょう。
 ところでその中国の裁判は、つい最近まで民法も存在せず、ビジネスで何をしたらど
うなるかという予測可能性のないことが江戸時代の日本のようなもの、といってもよい
実情でした。
 しかし、最近は少なくとも形としては法整備が進み、予測可能のようにしようという
意欲はうかがえます(数千年の歴史はそう簡単には変わりませんが)。
 一方、日本は、ドイツ法系とかアメリカ法系とかいいますが、私は本質はむしろ中国
法系と思っています。何しろ裁判を行う組織が中国法的なので。ただ、明治時代に西洋
の法を継受したため、一応予測可能性ある資本主義国家の体をなしてきました。
 ところが、最近の傾向は、まともな日本語を解する人間からすると、意外なる判決の
連続です。このことには国会の機能不全とも裏腹ですが。
 つまり予測可能性の面からみると、日本は正に予測が立たない「昔の中国」化の傾向
にあり、丁度中国と日本とが反対方向に向かっているかと思います。かえって「まじ
め」に判例を踏まえている「裁判のプロ」にはここのところは分からないかと思います
が。
★10月24日
 昨日は、いつも書いている会津若松の「西軍墓地」の供養の日でした。会津を攻めた
西軍の死者を過酷な扱いを受けた会津の人々が神式仏式の混合型で供養して下さる博愛
的感動の行事です。
 ただ、誠に申し訳ないことながら、あることで、久しぶりに雅楽の演奏を聞くことに
なって、伺うことができませんでした。
 そこでこの雅楽、素人からみると、はっきりいって眠くなるような曲が多いのです
が、最も驚いたのは3時半の終了予定時間に10秒と違わなかったことです。
 もちろん、雅楽は中国・朝鮮から渡来し、かの国には「礼楽」という言葉があり、極
めて厳格なものです。正にこれこそ礼楽だ、と改めて儒教主義を感じましたし、これか
ら繋がってくる秋霜烈日の日本式儒教武士道を感じました。ちょっと難しい話かもです
が、かの国では礼が根本の行動規範であり、その延長が法律でもあるのです。
★10月23日
 この博物館では、若干古い言葉になった「ビッグ・バン」などということも書いてい
ます。
 当面の日本では郵政民営化などというのもそれにかかわるわけですが、今のそれは似
て非なるものです。一体あのY運輸いじめそのもののような値下げ攻勢はなんでしょ
う。手紙・葉書を独占的に支配しておいて、その余力で小包の値下げでは、国民が馬鹿
にされているだけの話。
 「民業圧迫」とかいうワンフレーズの抽象論が余計話しを煙に巻くことにつながりま
す。
 織田信長がせっかく八風街道ぞいの安土で楽市楽座をやってるのに、東海道の旧勢力
が特定の荷物はこっちを通れとやって、そこで楽市をやっているようなもの。
 具体的に中世日本社会で考えると煙に巻かれなくてすむかもです。
★10月17日
 先日、水俣病の件で、排水規制という規制権限の不行使により国、県側が負けるとい
う最高裁の判決がありました(ただし、公式発表から48年たって)。
 であれば、私が再三再四いうとおり、新渡戸武士道のように「武士は、領民には責任
を負わなかったが、天には負った」などという正にお門違いの武士道が誉めそやされる
現象もおしまいにしてほしいものです。
規制権限行使の責任は天にであって、国民は反射的利益、と言っているのが新渡戸式
なわけですから。
 この程度の判決が出たくらいでは、まだまだ上記の関係は国民の頭の中で繋がった体
系にはならないでしょう。
★10月12日
 先日のテレビで奈良・西大寺の大茶盛が放映されました。
 正にあれが、この博物館でいうところの一味同心に連なるものです。
 鎌倉時代、西大寺の叡尊は、坊さんとしての戒を授ける資格ある僧が最早いなくなっ
てしまった実情から、東大寺の大仏の前で互いに同じ考えを持つ僧とともに自誓授戒
し、新しい真言律宗の第一歩を踏み出しました。
 この自誓授戒が武士団を形作るについての一味同心と強い繋がりがあるものと思われ
ます。
 それはメイフラワーの盟約と正に一致するもので、大茶盛についても、その意義を改
めて考えるべきではないかと思います。
 また、真言律宗はその後、明治になって真言宗に変わってしまったところが多いので
すが、以前の原則を考えることも大切かと思います。
★10月6日
 これからの佐賀・有明海はシチメンソウの季節です。この海草は干潟と陸地との境に
生えます。真っ赤に色ずくそれは海の紅葉ともいえ、昭和天皇が愛でられたことで有名
になりました。
 しかし、実はこれ、有明海特有ではありません。先日訪問した韓国・仁川の海岸には
はるかに大規模に、海全体が真っ赤になって見えました。
 およそこの東シナ海の東西には共通の現象がいくつもあります。いや、同じともいえ
ます。佐賀でいえば、クリークがあって、楠が育ち、茶が植えられているのは、その3
拍子が全てそろった中国・杭州と同じ。佐賀にある菱は中国、台湾にもあります。長崎
で見た海賊の根拠地の船溜まりは山東省にある倭寇撃退のための根拠地のそれとそっく
りでした。
 情報がたちまち世界共通になりうる今、こうした様々の情報を共有し合い、考え違い
による摩擦を無くすことが東アジア全体に求められていると思います。 
★10月2日
 十数年来の知り合いである会社役員。その方と久しぶりに夕食をともにするうち、偶
然大山倍達(ますたつ)氏の話に。9月10日に書いた韓国の映画「風のファイター」
のモデル(ちなみに、リンク「武道通信」18の巻に極真館長松井さん登場)。
 その方、20年くらい前、あるサウナで、どーんと寝そべる大きな人に、「こんなと
ころで寝そべるなんて」と苦言。
 しかるに、周りのざわつきを制し、その方は、「よくぞ言って下さった。是非お近づ
きを」というわけで、亡くなるまで深いお付き合いをしたというわけ。もちろん、その
人こそ大山氏でした。
 まだ色々話しがあるのですが、その雰囲気は映画にも出ていました。個人も国家も、
その心でなければと思います。すぐに抜刀するような、子供の喧嘩にも劣る児戯的論調
の国家論などを見るにつけ、「大人」の武道家を見習うべし、と思います。

 

武道のこころは出雲

引用

  2005/12/6 (火) 00:30:51 - やさしく生きる心構え - No.1133796476


一度も出雲を出さないつもりでいる。
出雲ほど一人一人の幸せを願った神道であったのに。

 

今日は12月8日

引用

  2005/12/8 (木) 12:44:52 - 天誅組 - No.1134013329


今日は日米が開戦した日です。
この粛然襟を正すべき日に、このところこの神聖な掲示板を汚しているおかしな業者に
は鉄槌を食らわすべきだと思っています。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2005/12/12 (月) 00:55:12 - 嘉村孝 - No.1134316094


(添付1) 1134316094.1.jpg

1年前の「事務室だより」です。
写真は特攻基地大村湾の川棚の海。


★12月8日
 今や死語ともいえる「開戦記念日」。でも、それを死語にするようだから日本人は進
歩がない(吉田満「戦艦大和の最後」の中の言葉)といわれます。
 ですから掲示板にこの博物館の武士道的見地からの考えをわずかですが書きました
(強調は協調、名文は名分のあやまり)。
 昭和12年ころまでの陸軍内部の争いとはもちろん皇道派、統制派の話です。私は、
小学生にあがるころ、掲示板に書いた将官の弟さん(海軍少将で、2・26事件のため
予備役編入。のち代議士)のところに連れて行ってもらったことがあります。ソ連の駐
在武官をされ、日本の本当の敵をきちんと把握されていた方です。
 そういう方からみれば、「日本は悪くない」といった単細胞の考えは腹に据えかねた
ことでしょう。今の日本人はそこをしっかり掴み、戦争を起こした人物、一兵卒を無駄
死にさせた指導者の是非善悪をきちんと評価すべしです。
そのことと「死んだら仏様」とは決して矛盾しないはずです。なぜなら、その発言に
つながる水戸学的発想こそ大義名分を明らかにせよ、つまり死者の是非善悪をはっきり
させよという発想だからです。
★12月5日
 たまたま書店で見かけたのが「図説2・26事件」という本。この手の本はできるだ
け読んでいるので買ってみると、私より一回りしか年長でない人が、見てきたような人
物評。名誉毀損か侮辱になるかもしれないことまで。
 歴史をこういう「お話」で書くのでは所詮ポイントは突けません。
 一方、電車の中で読んできた古本の「島原の乱とキリシタン一揆」(煎本増夫)、キ
リシタン一揆か、農民一揆かの話のところで「瀬野精一郎氏は・・・原の籠城者が聞い
たならば、身勝手な言い分に苦笑するのではあるまいか、と述べているが、心すべき指
摘である」と書いておられます。
 やはり(信頼できる)先生は違う。でもああいう通俗本がおかしな観念を作ってしま
うのでしょう。特に近現代史がこわいかもしれません。
★12月1日
 イランの核開発などに関するブッシュ政権の対応は、核の拡散を防ぐという意味では
わかりますが、力で、人工的に抑え込もうとするやり方。
 米国に行ってみて最も反発を覚えるのは、その余りにも人工的なユナイトぶりに出会
った時ですが、この政権はそのことが顕著に出た政権かと思います。
 ディズニーランドが正に人工的な遊園地であるように、国も、はては国際関係まで人
工的に作るやりかたです。それは、再三書くとおり、日本の近くの専制国家と同じ(互
いの首都の中心は全く同じ構造です。リンカーンの「丸太小屋」とかも、どこかにそっ
くりの小屋があります)。
 ディズニーランドよりもぺんぺん草の生えている遊園地が好きな私には、到底なじめ
ませんし、世界全体のディズニーランド化は不可能というべきでしょう。
★11月27日
 昔の仲間の年に1回の寄り合いで熱海に行ってきました。
 旅館の窓からは「熱海城」が。もちろん、あんな天守閣はなかったわけで、昔、物議
をかもした存在です。
 ところで、葉隠の佐賀でもこの夏、佐賀城本丸歴史観がオープンし、沢山の人が訪れ
ています。この復元された本丸御殿は天保時代のもの。また、この博物館に絵で示した
鯱の門も昔のままですが天保時代のもの。
 つまりいずれも山本常朝らが仰いだ城ではないわけです。この点、私自身もつい、葉
隠武士の象徴みたいな形で鯱の門を載せてしまったわけで、きちんと論じるには吟味が
必要だったと少し反省しました。
★11月24日
 時々、武士道関係の講演、執筆依頼をいただくのですが、今回は割合まとまったもの
を書きましたので、紹介させていただきます。
 仏教・神社界の新聞「中外日報」11月23日号(26677号)の「宗教史の地層発掘」シリ
ーズの佐賀特集で、「禅に支えられた葉隠精神」。編集者の書かれた佐賀紹介「現地に
見る宗教史の風土」とあいまって、新しい視点の、かつ方向的に正しい(笑?)葉隠紹
介ができたのではないかと思います。
 世に出ている葉隠の、あるいは武士道紹介書の、何たる不正確さよと、憤りながらも
いささか文章が難しくなってしまう欠点がなかなか克服できません。
 その意味で、今回は少し成功ではないかと思います。今後のものとして、「花伝」、1
月ころ「武道通信」の葉隠入門3、更に「法律家の書いた新渡戸武士道批判」なども。
★11月18日
 葉隠の佐賀・神埼には「九年庵」があって、今、紅葉の真っ盛りです。
 ここには苔の庭と数寄屋風の建物、茶室の跡(そこが本当の「九年庵」とか)などが
あり、山本常朝がその日記に「巡検上使も目落しなるべし」と書いた黒土原からの眺め
と同様の佐賀平野の風景が広がります。
 ところで、そこは、元は脊振千坊といわれた寺の一つ。明治以降に現在の姿ですが、
ここには風水の思想が色濃いとのこと。特に陰陽としての丸い柱と四角い柱、面取りあ
るものとないもの、などなど。
 12日に書いた専制主義というものも、治者と被治者という陰陽思想の産物。
 江戸、明治となればこうした思想はなくなっているかと思いきや、京都御所などの建
物の鬼門の思想(例えば東北をカットする)などはむしろ江戸時代の方がはっきりして
いるとも言われ、我々の心に沈潜した東洋思想の凄さを感じます。
★11月12日
 最近の日本で感じる一つの現象に、専制主義への回帰があります。企業の再編など何
事も上から仕切る手法です。これは東洋本来の手法ともいえないではなく、また、ロー
マなど西洋の歴史にもつながっているともいえ、4,5千年の歴史を有します。ただ
し、その中で常に民主的性質を加えるべく反省はなされました。 
 例えば三国志の劉備と関羽、張飛らとの関係は「義」で結ばれていました。いわば
「一味同心」です。孟子でも「君臣義あり」です(夫婦は「別あり」)。しかし宋学に
おいては「君臣の別」が強調されます。あるいは「君尊臣卑」という言葉さえありま
す。ここにおける儒学は正に差別・専制なのです(その代わり為政者は「天に責任を負
う」といいます)。
 ですから、それを取り入れた江戸末期の鍋島直正の神葬の墓では、葉隠以前の、主君
の周りに殉死者の墓がある姿とは異なり、殉死した古川松根は、殿様の墓の後ろの見え
ないところに、わずかな小さい墓として傅くのみです。君臣の墓を同一にする、あるい
は男色関係さえある葉隠流や、伊達政宗、黒田忠之の墓のようなことなど考えられない
神儒一致の水戸学的な姿です。
 それを美学などとしてとらえ、満足する人さえありますが、むしろここのところをよ
く「見分けて考えられる」国民でなければ現下の事象を解き、改善することはできない
とさえいえます。
★11月8日
 この休み、江戸初期の武将で土木家・成富兵庫茂安の「千栗の土居」を見学。佐賀県
の筑後川沿いにあります(昔、その上は道路でした)。茂安には、他にも石井樋など有
名な土木事業がいくつもあり、葉隠にも重要人物として登場します(この博物館「中国
の影響の具体例」参照)。
 ところで、その茂安はどうしてこういう土木技術を身につけたのか。地元の国土交通
省の出先等で聞いても「思いつきだろう」以上の答えは聞いたことがありません。ある
いは天才・茂安とか。
 むしろ上記の本に書いたとおり、中国四川省の都江堰などの施設の情報を、例えば李
宗歓などとの交友の中で仕入れたと考えた方がしっくりするのではないでしょうか。
 かつて都江堰に行ってみたところ、日本の「象の鼻」と中国の「魚嘴」のようにネー
ミングの仕方まで似ていました。思いつきの天才より、そういうことを学ぶ国際性があ
った、ということこそ尊敬されるべきことだと思います。
★11月4日
 そのアメリカ大統領がブッシュさんで決まりは残念でした。
 初めてアメリカに行ったとき、そのあまりの人工的なユナイトぶりには辟易した経験
がありますが、それは板門店に行ってみて、その向こう側の国との関係で余計増幅され
ました。二つの首国の類似性など、以前、時事通信の雑誌に書きました。
 「一味同心」について、ある席で話した折、年配者の方が「戦争中の日本もそうして
頑張りましたね」と喜んで言われたのには、いやいやそれとは違うんです、と言ったも
のの、そういう受け止め方をする人もいるんだな、と難しさを感じたことがあります。
 いずれにせよ、米国国民がこの選択をしたなら日本も国民がしっかりする必要があ
る、つまり一味同心という名の盲従になってはいけないと改めて思います。

 

葉隠 現代語 全文完訳できました。

引用

  2005/12/22 (木) 21:12:33 - 能文社 水野 聡 - <mizuno@nobunsha.jp> - No.1135253142


嘉村様

能文社 水野と申します。以前、「野村源左衛門」のハンドルネームで投稿しました。
さて、このたび当方現代語訳にてようやく葉隠 全文完訳が完成いたしましたので、当
HP関係の皆様にぜひお知らせ申し上げたく、書き込みさせていただきました。
URLは、こちらです→ http://www.nobunsha.jp/ (能文社オフィシャルHP【言の葉
庵】)
しばらくは電子ブック(PDF)でのご提供となりますが、来年 年頭あたりに通常書籍版に
て当社より出版、販売の予定です。「立読みコーナー」も設置いたしましたので、もし
ご興味がございましたらHPまでお運びいただけましたらさいわいです。
それではよろしくお願い申し上げます。

 

返信1返信-1

 2005/12/23 (金) 11:45:39 - 嘉村孝 - No.1135253142.1


ホームページ拝見しました。色々な古典を対象として、ユニークなお仕事をされているの
ですね。
ぜひ葉隠についても、その正当な理解が広まるための一助になっていただかればと思いま
す。
紙の本になりましたら、購入させていただきます。

 

御礼

引用

  2005/12/25 (日) 12:01:44 - 能文社 水野 聡 - <mizuno@nobunsha.jp> - No.1135479109


嘉村様
水野です。弊社HPにお運びくださいまして、まことにありがとうございました。葉隠は
その作品価値に反して、広く知られていない、あるいは誤解されている本だと思ってい
ます。一人の声は決して大きくはありませんが、こうして様々なHPやブログと連携し
て、その真価を世に問うていきたいと思います。それでは、今後もよろしくお願い申し
上げます。

 

返信1返信-1

 2005/12/26 (月) 01:52:51 - 嘉村孝 - No.1135479109.1


御丁寧にありがとうございます。
その線で、また、誤解の生ずる原因については、葉隠自身にも問題のあることを踏まえ
て、私も多面的な考察をしていきたいと思います。

 

今年を終えるにあたり

引用

  2005/12/31 (土) 12:31:22 - 嘉村孝 - No.1135998950


(添付1) 1135998950.1.jpg

最近つくづく原敬の偉さを思っていますので、そのお墓の写真を貼って、今年のしめに
します。
その墓標には一切の叙位勲等などを書くことを許さなかった彼。立派な武士の出ながら
平民を貫いた人。
また、家を建てる金を世界一周に使わせた妻・浅夫人もすごい。夫人の、原死亡時の出
処進退の見事さも正に賢夫人です。
日記に「今の官吏は、なお徳川氏の有司(役人)に同じ。」などとあるところは、元々
官吏であった原の実地に得た観念。もちろん、真の官僚がいかにあるべきかのお手本も
示す人です。当然、武士道観につながる。
この博物館の「葉隠を現代に生かすもの」は、無意識のうちに、多く原の考えに負って
いるとも言え、今の政治状況を考える時、示唆するもの大でしょう。

 

明けましておめでとうございます。

引用

  2006/1/1 (日) 04:15:34 - 石井平五郎 - No.1136056241


嘉村先生
明けましておめでとうございます。
大変ご無沙汰しております。
先生の論考及びメッセージは大変勉強になっており、
感謝している次第です。
今年もどうぞよろしくご指導ください。

今年は、「葉隠」のみならず、
日中、日韓問題、過去の戦争の評価など多方面の議論をしていけること
を楽しみにしております。

 

明けましておめでとうございます

引用

  2006/1/4 (水) 01:21:59 - 土屋信介/桜陽会 - <ouyoukai@yahoo.co.jp> - No.1136305197


明けましておめでとうございます。

今年も桜陽会をよろしくお願いします。

2月にHPのバージョンアップを行いますので、よろしければ遊びに来て下さい。

 

明けましておめでとうございます

引用

  2006/1/7 (土) 11:18:10 - 嘉村孝 - No.1136597715


(添付1) 1136597715.1.NEC_0034

(添付2) 1136597715.2.NEC_0033

ご来所ありがとうございます。
遅い年賀状になってしまいました。

私の「武士道」議論については、なぜそれが「武士道」論なの?という声もたまにない
ではありません。
そもそも武士道なる言葉は、外来性の強い、ここ何百年かのもの。そこで、武士の生き
方としてとらえると、それには様々な生き方があるので、自然、間口も広がるし、人
間、いざという時には「武士道」を口にして死んでしまう人もいるので、論ずべきこと
も増えます。
最近、2,3年前に言葉を交わしたある先生の本が、ベストセラーになっていますが、
その中でも、武士道が語られ、私の本はお読みいただいたのですが、私とは少々異なる
見解が書いてありました。

そんな、「武士道」、それも葉隠が口にされた戦争がビルマ(ミャンマー)の戦争でし
た。
写真は、18師団壊滅の中部ビルマの一こま。ボケた写真は、実は川の中。遠くに見え
るのは橋です。今は乾季で、雨季になるとたちまち濁流渦巻く巨大な川になる。もう一
つは路傍の草ですが、雨が降らないので、このようなとげが一杯。こんなところで、匍
匐前進も何もあったものではありません。もちろん遮蔽物なしで、壊滅は当たり前。精
神論は通用しないのです。

問題は、そういう実態を踏まえた戦略がとられたかで、陸軍省・参謀本部のエリートの
資質、発想、そして人事という組織の問題を考えないわけにはいきません。
現代でも、平時の戦争ともいえる外交交渉にあたる外交官の人事が、まるで昔の「会議
は踊る」状態では話になりません。エリートはど田舎の国にやって、土くれを手で掴ま
せること。中東某国の大使はちゃんとアラビア語が話せる人にすべきこと、です。
そして、あのようなところで、戦争をさせて、300万人もの国民を死なせた為政者の
責任をどう考えるか、これが単なる精神論ではいけない最重要の深く考えるべき問題で
す。

それらが、葉隠でいう本当の「実」でしょう。

では今年も宜しくお願い致します。

 

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/1/16 (月) 02:28:47 - 嘉村孝 - No.1137345394


(添付1) 1137345394.1.jpg

例によって1年くらい前に書いた「事務室だより」です。
写真は、鎌倉と逗子の間にある切通しの「大空洞(だいほうとう)」と呼ばれる防御施
設のあと。
鎌倉という町は(京都ももちろんそうですが)、町のつくり自体、色々と考えさせてく
れるところです。
結局、「中世」というものが考えさせるんでしょう。そう思えば、考えさせる町だらけ
です。

★1月6日
 お正月、仕事場近くの神社・仏閣に初詣。
 神社で感じたのは、迷信への回帰が強すぎということ。一定の政策ありと思います
が、「厄払い」などを強調しているようでは、その昔、イエズス会のミッションがやっ
てきて迷信だ偶像崇拝だ、とけなされたのと同じことになってしまいます。
 日本の中世には、ルターなどより三百年も早く、あらゆる修行つまり行為から自由に
なることを説いた親鸞や道元に代表される合理的な鎌倉新仏教がありました。しかし一
部に加持祈祷などが残り、これが水戸黄門らから敵対視され儒教的合理性が尊ばれたは
ずです。
 ところが、その系列にあるはずの神道が、逆に復古とともに合理性を失うのはおかし
なことです。独自の経典などを持たない悩みがあるわけですが、今の風潮は変で深い。
 では、私がなぜ神社に行くかというと、この下の「かかわり」に書いてあるとおりの
下村湖人さんの影響で。湖人さんの息子さんは元陸軍中尉で、昭和天皇のSP。お話を伺
ったところ、あるとき父上が、「神様とは目覚まし時計のようなもので、目を覚まさせ
て下さる。だから時計と同じで後ろが平ら」と笑って言われたとか。つまり無の境地に
させて下さるのが神様ということで、迷信は関係ないとなるべきかと思うのです
が・・・詳細を書くには残念ながらスペース不足です。
★1月3日
 昨日の「菊と刀」の反対で、同じアメリカ人の作品でも全く問題にもならないのが、
当たり前といえば当たり前ですが、この正月にビデオで観た「ラストサムライ」。
 ただのフィクションなのですから内容自体が荒唐無稽だなどという必要はありません
が、ああいう作品ができたという日本に対する外人さんの見方があるということ。これ
は私が外国でも経験したことで、是正が必要でしょう(昔に比べればまだましか)。
 また、あれを、素晴らしいと言っている多くの日本人がいること、これも問題。
 最後のあたりで、天皇のお言葉として「この国の歴史と伝統を・・」とありますが、
何が「本当の日本の伝統」なのかはきちんと検証されているのか。これは日本人自身の
問題でもあります。この博物館に書いてあるとおり、中世武士道こそ本当の日本の武士
道だと私は思っていますが、あれはどうみても近世主体(精神は)。
 映画館で、新渡戸・武士道が一緒にご推奨でしたが、あの本の中の「精神主義」の危
険性がいわば見事!に描かれていたことは最も深刻。この点大いに「問題作」です。
★1月2日
 年頭に当たり(?)、久しぶりに「菊と刀」を読んでみて、改めてルース・ベネディ
クトの仕事の確実さに感心しました。日本にいないでこれを書いたのですからすごい(そ
の点では相良亨先生と意見を異にします)。
 ただしもちろん、それは現状としての日本を分析しているもので、そのよって来る原
因については不十分です。でも、そのことを補って余りあるものがあると思いました。
 そして、昭和20年代初期、敗戦の日本が今後どうなればよいかというご託宣の確実
さ。今の日本の政治家の行動に照らし、未だにこの処方箋は果たされていないなと考え
ることも切でした。
もっとも、「アメリカにできないことは、命令によって、自由な、民主的な日本を造
り出すことである。そのような方法は、いかなる被支配国においても、いまだかつて成
功を収めたためしがない」などというあたりは、イラクで苦しむブッシュ政権の人も先
輩の言として読んでみてはいかがか、と思いました。
★12月30日
 先日、長野へ行って買ってきたのが「わさび」の葉っぱ。佐賀の山の中にもあるんで
すが、砂糖をまぶして4,5時間置き、ビンに詰めてしっかり閉めておくと、正に鼻をつ
くなんてものじゃない辛さ。素晴らしい味です。今年の春、知人にあげたら懐かしいと
大感激。
 こういう田舎の自然のものが本物だ、ということが分からなくなってしまうことが武
士道理解にも関係するかもしれません。例えば水戸黄門は18歳で伯夷・淑斉伝に目覚
めて立派な墓など造るわけですが、当時は都会の人で、常陸太田に引っ込んだのは亡く
なる前。もっと田舎の生活をしていれば本物に目ざめ、大きいことはいいことだ、みた
いな墓は造らなかったのでは、とも思われてきます。小石川後楽園の田んぼ(のような
もの)を見ても、所詮都会人から見た「趣味」としか思えません。つまりは兵農分離の
本質の問題。
★12月27日
 掲示板の「川島芳子記念室」の件で、1つ書き落としたこと。
 彼女が国民党の裁判を受けていた間に詠んだ歌

  日にまさる 国思う児の胸中も
            知らずに人等は 我を裁きぬ
  忘れまじ 幼き日より 教わりし
            武士(もののふ)の道 大陸の道

 つまり、武士道は国体と同様、簡単に使える軽い言葉ではない、ということです。
★12月23日
 今日は天皇誕生日。天皇陛下のお言葉には胸を打たれるものがあります。
 皇室にも今年は色々なことがありましたが、今日、思い出すのは「国体」という言葉
です。もちろん国民体育大会じゃありません。元は水戸学で唱えられた言葉です。
 戦争終結においても「国体の護持」が云々され、その間何人の方(国の内外を問わず)
が亡くなられたかと思うと、言葉の重みを感じないわけにはいきません。そして、水戸
学を受け継いだ明治政府の問題点も。
 現憲法の審議にあたり、共産党は憲法に反対、保守系は賛成、という今からは理解で
きない事象があったわけですが、担当の金森国務大臣・法制局長官は「国体とは天皇へ
の憧れであり、戦前・戦後で国体の変更はない」という答弁で切り抜けました。
 この金森さんが書かれたものに照らせば、現在、憲法は一向守られていません。そこ
に皇室のご苦労もあるかと思います。つまりは金森さんの書かれたものにこそ再び光を
当てるべきで、それをしない憲法改正など、守ってもいない憲法の改正ということであ
って、ナンセンスです。今の憲法でよいと言っているわけでもありませんが。
★12月20日
 先日、東大の中途で学徒兵として出征した元裁判官とお話ししました。もとより一兵
卒として出征したのですが、いかに若者とはいえ、小隊長として指揮を取るとき(特に
に突撃)、その責任の重みが忘れられないと言われるのです。
 先任搭乗員として、部下を一人も死なせなかったことを誇りとしておられた坂井三郎
さんを思い出しました。
★12月19日
 外国の方からご意見箱にメールをいただきましたが、メールアドレスの書き込みがな
いためお返事が出せません。アドレスは公開されませんから安心です。宜しくお願いし
ます。
★12月15日
 昨日は「12月14日」。太陽暦・太陰暦の誤差はありますが、赤穂浪士の討ち入り
の日。
 討ち入りが1年間延びたことにつき、葉隠が極めて否定的なのは少しでも葉隠を読ん
だ人はご存知のはず。「上方衆」は人に誉めそやされる仕方は上手だが、などとかわい
くないことまで言っています。
 葉隠の理想は直ちに討ち入り、直ちに切腹の長崎喧嘩。赤穂浪士の事件直前の長崎の
事件です。赤穂の人が参考に視察にきたとの話もあります。
 この事件の詳しくは掲示板か、本にも書いてありますが、最近私が気にしているのは
南蛮貿易との関係。風が吹けば・・のような話ですが、日本の武士道も世界的に見るこ
とが大切でしょう。何しろ、佐賀の属する肥前は大陸にも南方にも近いのです。

 

恭賀新禧 そしてメールマガジン

引用

  2006/1/29 (日) 10:46:26 - 嘉村孝 - No.1138498434


(添付1) 1138498434.1.jpg

アジアのお正月、春節が始まりました。
「事務室だより」にも書いたとり、この暦、天文は国の形の問題として重要です。
日本でも、沖縄の首里城(復元)にはご覧のとおり漏刻があって、その重要性を伝えて
います。

ところで、能文社 水野さんが発行しておられるメルマガに、我がホームページが紹介
されましたので、能文社さんのホームページも紹介しておきます。
URLは、こちらです→ http://www.nobunsha.jp/ (能文社オフィシャルHP【言の葉
庵】)

 

返信1返信-1

 2006/2/14 (火) 17:10:17 - 能文社 水野 - <メール送信> - No.1138498434.1


嘉村さま
水野です。お世話になります。
弊URLを掲載くださいまして、まことにありがとうございます。
また、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
メルマガ発行後、弊HPのアクセスログを見てみると嘉村さんのHPの影響か、
「葉隠」という単語検索で、やってくる人が増えました。
いろいろと機会をつくって、もっと多くの人が「葉隠」に
触れてくれるようになるといいですね。
それでは今後ともよろしくお願いいたします。

 

BSEについてご質問

引用

  2006/2/18 (土) 14:27:11 - 福岡の住人 - No.1140240149


以前、表題の件について書かれていましたね。
近頃、余りにも国民を馬鹿にした状況がみられますが、どう思われますか。
このサイトは何でも武士道で料理される面白いサイトなので、いつも見ています。

 

返信1返信-1

 2006/2/19 (日) 23:41:57 - 嘉村孝 - No.1140240149.1


私が乳業の問題に関与したのは10数年昔のことでした。
私は、いわば農本主義者です。それは兵農未分離の武士道との関係もあると言ってよいでしょ
う。私の好きな中世は兵農、兵商未分離、つまり江戸時代的階層とは別な世界なわけです。

その時、大手乳業メーカーは農家から購入する牛乳の乳脂率を引き上げ、基準に達しなければ罰
金を取ることになりました。
それでは日本の酪農家は潰れます。日本の土壌も落ちます。だから酪農、農業のためにいろいろ
なことをしたのです。
で、いずれにせよこうして罰金を取られないためにどうするか、濃い牛乳を出せない夏場などど
うするかというと、牛に元気をつけさせてために食べさせるのが「肉骨紛」です。
昨日も、テレビでやっていましたが、こうして「共食い」をさせることがクロイツフェルトヤコ
ブ病につながります。イギリスでは今でも沢山の人がこれで死んでいるとの昨日の報告でした。

なのにアメリカは無関心に日本に肉を売りつけを迫るし、政治家は我関せずとばかりに、事実上
容認の体。
しかし、肉を食わないなどと言っていても、コンソメスープなどにしっかり入っています。

国家とは国民を守るもの、この原則に国際関係の現状、日本の対応を含め、まだまだ書き足りな
い、そして武士道につながる話です。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/3/3 (金) 01:23:37 - 嘉村孝 - No.1141315805


(添付1) 1141315805.1.JPG

2か月分取りまとめて、1年前の「事務室便り」を貼り付けます。

写真は、東京・旧田村町(これも赤穂浪士で有名な歴史的名前)近くにあった旧・飛行
会館、現航空会館。
昭和の歴史に興味ある人は、2・26事件で「勅命下る 軍旗に手向かうな」と大書し
た写真を思い出すでしょう。
そういうことを思って、このあたりを通ると、まさに粛然襟を正す気持ちにならざるを
得ないのです。
1年前も、そんなわけで、2・26事件のことを書いていますが、世代の若返りととも
に、研究者と呼ばれる人でも相当おかしなことを言うようになったのではと危惧されま
す。

★3月1日
 もう1つ、2・26事件の話。
 最高の首謀者の一人、村中孝次元大尉の調書に「天津に駐屯中、塘沽、秦皇島に出張
しまして、日本人の生活状況を詳かに見まして、日本人が無理想、無方針にて密輸等を
して生活しておるという様な誠に情けない状態にあることを知りました。
 私は従来、日本人に対してはもっと高い理想を持っていたのでありますが、この状態
を見て、人心の頽廃を思い、国家の前途を憂へ、国民の精神を振作し、日本人の理想を
高める必要あることを知りました。」とあります。
 この見方は、以前書いた川島芳子も、嵯峨侯爵家の浩様も、荒木貞夫大将、真崎甚三
郎大将、皆そうです。これこそ青年将校の考えです。
 だから、「日本は」という戦前の日本を一括りにする見方は誤っているのです。
★2月21日
 岡本喜八さんという映画監督が亡くなりました。
 映画をあまり観ない私ですが、「日本の一番長い日」は観ました。終戦時の玉音放送
を録音した録音版などををめぐり、戦争継続を主張する将校による小さな反乱のような
話ですが、こんな戦争はしていられない、と行動したイタリア、ドイツの将兵とは全く
逆の行動を示した日本人として、考察に値します(イタリアやドイツこそ個の自覚あり。
弱虫ではない)。
 また、私が時々書く昭和天皇のSPであられた元陸軍中尉は、殺害された森赳近衛第一
師団長の遺体の処置をみて、皇軍遂に地に落ちたりと思われたとか。
 これを機会に色々考えてみることも有益でしょう。
★2月17日
 2月といえば2・26事件の月であり、「2・26事件裁判記録」の公判調書を読んでい
ます。
 青年将校の考えの根幹に植えつけられてしまった(明治維新による)階層的水戸学的
世界観を更に一君万民として修正したものと、現実の「暖かい彼ら」とのずれが、世界
的にもいかに大きな悲劇を生んだか、改めて考えてしまいます。
 おまけに、藤田東湖の正気の歌が何度も出てくるのには、掲示板に書いたとおり、
「本当は、その歌は皆さんが歌うべき歌ではなかったのに」という思いを禁じえません
(あれは、文天祥の歌の剽窃で、日本人として正に恥ずべきものであることを何度も書
きました)。
 佐賀出身者が多い青年将校の公判記録や遺書には葉隠は出てきませんが、彼らが亡く
なったあと、今度は下士官・兵士に葉隠が大きな影響を及ぼしたといえるでしょう。
 思想がいかに重要かを覚えます。上記「葉隠論考」の末尾に書いたとおり武士道は非
合理と死に狂い(水戸学と葉隠のそれぞれよくないところ)の組み合わせではいけませ
ん。その逆の武士道もあるのです。
★2月15日
 連休中、仕事で地方に行き、ある生花市場に行ったときの話。
 こうした市場で扱われる生花の相当部分が、競りではなく随意契約になっているとの
こと。それでは市場を作った意味がないし、資本主義の本質ともいうべき市場が機能し
ないのでは社会主義と同じ(ちょうどライブドア・日本放送のことで時間外取引という
関連現象)。
 安定供給とかいう「美名」が、日本の、また、日本人の能力を落とし、世界から見た
ら非常識な近世日本国家を益々肥大化させているようです。
 先日のテレビで、指名競争入札の方がちゃんとした建物ができるなどとのたまわって
いた高官?は、そうしたことによる賄賂や手抜きには目がいかないようです。
 真の日本たる中世日本の勝者は決してそういう発想ではなかったはずですが。
★2月9日
 今日からアジアでは春節。
 掲示板にある、「1年前の事務室だより」の1月25日の欄に、旧正月を祝わない日
本の問題点を書きました。
 もっとも、我々が子供のころまでは、田舎では旧正月が行われていました。それが
「破壊」されたのは1960年(昭和35年)以降の高度成長とそれに伴う人口の大都市集中
のなせるわざでしょう。
 「農業政策と農業法制」という名著に、この高度成長は明治維新に勝るとも劣らない
影響を日本の歴史に与えたという趣旨の記述がありますが、同感です。これによって、
真に江戸時代が終わったといえるでしょう。
★2月5日
 3日までのようなことを書いていたら、休日出勤の今日、仕事場近くのラーメン屋さ
んで、以前も書いた旧知の商法の先生・A先生に会いました。東京裁判・東条英機の弁
護人K先生の息子さんです。K先生はもちろん、戦後最大といってよい60年安保国会当
時の衆議院議長でもあります(最近の議長は小粒が多い)。
 そして、昭和史の話、人物評価、ことごとくといってよいくらいA先生と私とは意見
が一致。零戦の坂井三郎さんの話も出ました。坂井さんと私も別の分野で正に意見一致
でしたが、30歳近い年上の方と昭和史の見方が一致すると嬉しいです。
 それと、もう1つ、債権の本質という法律論でも盛り上がったのには、やはり深く考
えておられる方なんだなーと思わされました。
★2月3日
 1月31日の続きで、戦後生まれの人でも、映像により、かつての人の人となりをあ
る程度知ることはできました。特に、戦後2,30年間は、戦争を反省するいくつかの番
組が、今よりよほどたくさんありました。
 その中で印象深いものに三國一朗さんが司会をされた「私の昭和史」があります(彼
らの昭和30年代,40年代のインタビュー。後に旺文社文庫に)。その登場人物の中で今も
思い出すのは東条英樹夫人勝子さん、インパール作戦の牟田口廉也中将、東条氏側近で
東条内閣で軍務局長だった佐藤賢了氏など。佐藤氏は、戦前、議会での議員の質問に対
し「黙れ」とやった「黙れ事件」で有名な軍人ですが、戦後もその人柄は変わりなし。
前2者も含めて大いに問題ありです。
 ちなみに、佐藤氏がA級戦犯として裁かれたのを弁護したのは私の恩師の父上。わずか
な経験でも我々は後世に伝えて、日本が進路を誤らないようにすべきではないかと思い
ます。こうしたことから、岩淵氏を批判的に書いた大谷敬二郎元東部憲兵司令官の「軍
閥」(それなりに本当のことは書いてある)より岩淵氏の意見をとります。
★1月31日
 28日の本欄で「的確な人物評価」と書きましたが、これが難しいことはもちろんで
す。何しろ我々戦後生まれは彼らに会ったことがないのですから。当時TVもなし。
 ですから私は彼らに会ったことがある人たちの話はなるべく聞くようにしています。
そして、その話をしてくれる人の評価が当然問題です。私としては価値観や意見を等し
くする人の話は基本的に信用しますが、実体験ではなければ信用しません。
 そうした結果、結局、昭和史における特に軍閥、つまり統制派、皇道派というもの
も、冷厳な悪い意味の官僚主義の儒教主義武士道の前者、土の匂いのする暖かい、但し
時に情に流されてしまう葉隠武士道の後者というふうに大きく括られる、つまり、最後
はDNAの問題に相当かかわるように思います(例えば、現に皇道派の真崎大将は、無理や
り儒教で葉隠を解説した時代に、仏教を強調した当時としては穏当な中村常一郎氏の葉
隠解説本に序文を寄せているのです)。これは現代の組織にもあることでしょう。
 くれぐれも間違っていけないのは、後者の人が前者の人をお慕い申し上げたりするこ
とです。特に現代の後者の人が70年前の前者をお慕いする勘違いです。今の、「日本
は悪くない」式を言う人の中に、相当数そういうタイプの人がいます。
★1月28日
 このところ電車の中で読んでいたのが近衛文麿に近く、吉田茂のブレーンの1人であ
った岩淵辰雄さんの本。ジャーナリストとして、戦争末期には吉田とともに拘束までさ
れた人ですが、満州事変以後の昭和の歴史を適格な人物評価のもと記しておられます。
 「日本は」よかった、とか悪かったとか、国家で判断する以前に個々の人間が何をし
たかを見るべきこと。A級戦犯以下が何をしたかもきちんと書いてある。
 こういうジャーナリストは今や地を払っているということでしょうか。NHKの今回の人
事など話しにもなりません。
 そういえば、過日お会いしたある政治家のブレーンと言われるジャーナリスト、私と
の話しに、「明日電話する」と言いながら黒塗りの車で去って行きましたが全くの無
音。あんなことだから信用されないのでしょう。マスメディアではなく小さくても本当
のメディアが必要です。
★1月25日
 佐賀の隣、福岡県久留米の尊王攘夷運動を描いた厳しい本、「最後の攘夷党」(谷川
健一)の末尾に「人間が観念や情念にとりつかれる場合があると同様に、観念や情念が
人間にとりついて離れない場合がある。動乱の時代は、断層の隙間から歴史の魔が姿を
あらわし跳梁する時期である」とあります。
 とりついた観念や情念を解く仕事は、動乱の時代だけではなく、平時も本当に難し
い。むしろ、平時の方が、矛盾が顕在化せず、「とにかくメシが食える」ものですか
ら、観念や情念はしっかりとりつき続けるといえるでしょう。
 それを、こんな時に解き放てるのか。それが今の日本の問題かと思います。
★1月18日
 秋葉原の電気街へ。
 秋葉の神は火伏せの神として有名ですが、愛宕信仰とも重なっています。愛宕信仰は
京都の愛宕山の信仰が有名ですが、本来、京都のはずれにあることから、境の神、つま
り賽の神の信仰から発達したものともいわれ、そうすると、韓国のチャンスン、つまり
「天下大将軍、地下女将軍」と書いたトーテムポールのようなものを村の入り口に立て
る風習とつながっているようです。先日長野県に行ったとき、たくさんの道祖神の写真
を集めた本を紹介されましたが、当然つながるでしょう。厄病を村の入り口で防ぐ風
習・・・。秋田の鹿島様にもつながるかも。
 そんな、愛宕さん(勝軍地蔵)の話も葉隠には出てくるわけで、葉隠をきちんと知る
のは本当に大変です(笑)。それにしても「秋葉」は、こういう元々広い文化の基盤が
あるせいか?外国語が入り乱れていました。 
★1月10日
 久しぶりに会津の殿様、五代目松平容頌の「日新館童子訓」を読んでみました。最後
のところには肥前の儒者・古賀精里の文が。
 ところで、その前には仁徳天皇の、税金を取らず皇居が朽ちるくらいだったら、民の
かまどから煙が沢山立って、天皇が喜ばれたという例の話が載っています。
 しかし、ではなぜ、容頌さんは仁徳天皇を見習わず、その墓はあんなに豪勢なのでし
ょう。前にも書いたとおり「儒葬と神葬」という本によると、保科正之以来の結局は十
代以上続いた伝統なわけですが、何千人もの人間、牛馬をつかって巨大な石を引っ張り
上げたり。書いておられることと、やっていることとが違う。
 戦国武将のような実利的な柔軟性に欠けていたことだけは間違いないでしょう。
★1月7日
 初詣の徳川家ゆかりの寺で驚いたのは、水戸の烈公、つまり斉昭の子沢山。さすがに
11代将軍家斉には負けるものの37人。あちこちに養子に行っていて、幕末史上影響を
与えたことは知っていましたが、こうまで多いと、一体、国粋主義だ、尊王攘夷だなど
と、国事に奔走したようなことを言っていても、所詮はお公家さんかなと思われます
(現に彼の母も妻もそう)。幕府の処分がわかります。
 こういう人の言っていたことの末が明治の日本になり(例えば穂積八束「帝国憲法制
定の由来」など参照)、命を的に戦争をした人達が出たことを思うと、その人達は本当
にかわいそうだな、と思われてきます。

リンクご紹介

引用

  2006/3/3 (金) 13:58:57 - 嘉村孝 - No.1141361574


以下のサイト管理人の方から、この博物館にリンクを張られた旨ご連絡をいただきまし
た。私は今、掲示板と事務室便りしか時間がありませんので、とりあえずご紹介させて
いただきます。
タイトル名:歴史大全 あらゆる歴史のリンク集
URL  :http://www.3haskc.com/

 

武士道を会社で実践する

引用

  2006/3/9 (木) 10:47:26 - 立岩 優征 - <tateiwa@mui.biglobe.ne.jp> - No.1141867747


はじめして。立岩優征と申します。いつもはROM状態ですが、大変勝手ながら上記タイト
ルのご案内で投稿さて頂きます。


●ドラッカー博士に感謝

ちょうど1年前「経営の神様」でありますピータードラッカー博士が日経新聞に連載を
していました。その中で最後の日に以下のような言葉がありました。

「そんな友人たちに一つ言っておきたい。日本の強さを忘れないでほしい、ということ
を。
欧米人と日本人を交えてパーティーを開くとしよう。何をしているかと聞かれれば、欧
米人は「会計士」、日本人は「トヨタ自動車(の社員)」などと答えるだろう。自分の職
業ではなく自分の組織を語るということは、組織の構成員が家族意識を持っている証拠
だ。ここに日本最大の強さがある。」※( )部分加筆

その後、ドラッカー博士は1年も経たずに天に召されました。我々日本人にこれ以上な
いであろうエールを残して。

●企業経営からの武士道

私は会社の人事に関するコンサルティング等を社会保険労務士という資格で仕事をして
います。そして扱うのは「人」の問題です。
会社経営の最終目的、それは「人を育てること」と思っています。そして、人を育てる
ためにはその根本思想が必要になってきます。それを武士道を元にした「道理主義」と
いう思想を持って、経営者にご指導(というか一緒に勉強)申し上げている次第です。

ドラッカー博士の「日本の強さは家族主義だ」と言う言葉、大変ありがたいのですが、
それがなぜか?を知っている限り教えていただいておりません。
よって、その答えを武士道に求めて、論理展開するのが以下の私の事務所サイトの内容
です。まだ途中ですが、毎朝日経新聞のコメントを出社前にお伝えするブログともに、
稚拙なものですが、よければご覧下さい。

 大変勝手なご案内で恐縮ですが、武士道の良き復興と皆様になにかの足しに為れば幸
いです。

 ●立岩経営労務事務所サイト   http://www.tm-network.jp/

 ●出社前日経チェック!ブログ  http://tmnetwork.at.webry.info/




 

返信1返信-1

 2006/5/29 (月) 01:43:12 - 嘉村孝 - No.1141867747.1


先日はメールもいただき、ありがとうございました。
武士道の会社での実践。しっかり考えると、なかなか奥が深いと思います。

 

1年前の「事務室だより」

引用

  2006/4/6 (木) 12:15:05 - 嘉村孝 - No.1144292771


(添付1) 1144292771.1.NEC_0081

1年前の「事務室だより」です。
写真は、ミャンマー・バガンのエーヤワデー(イラワジ)川。
この辺りは、インパール作戦における弓兵団の通過地点。現在は乾季のため川は相当干
上がっていますが、実は遠方の山の下に流れがあり、見えるのは中州です。雨季には満
杯となります。
ここからでさえ千キロ以上の山岳行軍をさせ、19万の将兵を死なせた責任者はビルマ
作戦崩壊時にどういう行動をとったか。
それを見ずして靖国問題も語ることはできません。

★4月3日
 ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。
 このキリスト教というもの、この博物館にもデマルカシオンのことを載せましたが、
日本の歴史にも極めて大きな影響を与えているかと思います。
 デマルカシオンは、その後の英米仏などの世界分割の走りであり、非難の声が大きい
のですが、日本もその真似をしっかり行いました。
 そして、九州の竜造寺の強大化と共に大村による長崎のイエズス会への寄進。それに
基づく公領化と長崎喧嘩の発生。そして、葉隠・その重要なポリシーの成立と考えてき
ますと、キリスト教をしらずして武士道は語れません。
 ともあれ、5百年前のデマルカシオンとは違う方向を打ち出された法王の死を悼みま
す。
★3月31日
 仕事場の近くに鎮座されているある神社。少し前から社殿の傍らに、鍋島直茂の言葉
として「子供がまともに育つか否かは母親に責任あり」みたいなことが書いてありま
す。直茂には壁書きというものがありますが、そんなことは書いてありません。また、
そんなことを言う人とも思えません(神前で「実」の心生まれるようにと祈った人)。
 その掲示板には、先日までは菜根譚、その前は老子の言葉といわれるものが書いてあ
りました。いずれもお説教調で、どうもちょっとずれてるな、と思わざるを得ません。
 本来の神道は、習合ということを考えれば極めて国際的なものです。国家神道とは違
います。神道の本然の姿に戻り、受売りではない教義を言われてみてはと思いました。
せっかくの歴史ある神社なのに、あれでは神様がお気の毒。
★3月29日
 農本主義者・兵農不分離主義者の私は、常に農業問題に関わっています。
 今、関わっている大きなものは種苗のパテントの問題ですが、種苗の特性は事細かに
決まっており、ややこしいものです。
 しかし、もちろんそこに誤りがあってはなりません。ところが、最近の役所のこれに
関わる文書の間違いにはびっくり。他人の作った文書を決済官が完全なフリーパス。そ
の間判子の数は約10個。
 日本の色々な部署で、昔のような厳密、厳格ないわばシコシコ型の手探りを馬鹿にし
大量処理の優位を指摘する風潮があるように思いますが、そこには意外な落とし穴が。
★3月23日
 北マリアナ連邦・高校生による模擬裁判のコンテストを2日にわたって傍聴させていた
だきました。正装の上、尋問で活発に異議を出し、陪審員に向って堂々たる弁論を行う
地元高校生の姿は正に感動的でした。
 一方、それを観ていて、鎌倉時代の蒙古襲来絵詞において、安達安盛に職権の行使を
迫る竹崎季長の姿も思い出されました。
 鎌倉時代の我が国に陪審があったと書かれたのは日本法制史の大家・滝川政次郎博士
ですが、それに似た意識があったのは事実でしょう。民主主義というものも、我が国の
歴史に必ず引き当てて考えることができると思います。とまれ、我々の意識を変えるこ
とは難しいことですが、しなければならないことでしょう。
★3月21日
 福岡・佐賀の地震には、日頃地震のない所だけに真に驚きました。
 私の関係者には今のところ被害はありませんが、佐賀のみやき町に被害があったのは
極めて残念です。
 合併により最近出来立ての町で、北から足利幕府の九州探題渋川氏の城・白虎城があ
る中原町、葉隠の成富兵庫茂安が築いた千栗(ちりく)の土居(掲示板に)がある北茂
安町、景行天皇の巡行説話で、天皇が寝られた御寝(みね)から出た三根町が、三つい
っしょになった町です。
 北茂安町の皆様には昨年、大変お世話になりました。
 歴史の宝庫に被害の少ないことを祈ります。
★3月20日
 米国からの牛肉輸入要求問題は、いつも書くことですが、とんでもないこと。
 10数年前、乳牛の乳脂率の問題に関与したことがあります。今は3・7など普通の
時代ですが、元々は3・1とかが当たり前の自然の姿。それを日本の大手乳業メーカー
は高率の基準を立て、それに達しなければ農家に罰金を課すやり方。
 米国の高乳脂率を見習ったものですが、日本の普通の牛には無理。そこで、肉骨粉と
いう元気の出るもので「共食い」をさせる。それが、人食い人種の中にあるといわれる
クロイツフェルトヤコブ病、つまりBSEにつながっていくわけです。
 日本人は低い乳脂率の牛乳でスリムにかっこよく生きていけばよいわけで、戦後のパ
ンをはじめ、文化を押し付けられ、日本国民が牛肉処理機にされてはかないません(そ
のことと、政治制度の美点とは別です)。
 ここでも「国民を守る国家」を体現しなければ我が政府の意味はありません。また、
この問題は、兵農分離、農業の意味という点で、武士道観にもつながっていく話です。
★3月16日
 13日の「身心放下(しんじんほうげ)」で考えなければいけないのは、世の中には
文章の字面をそのまま額面どおりに受け取るファンダメンタリストが時におられること
で、禅の世界にもそういう人はいるものです(案外、頭のよい?人にそれが多い)。
 ですから「身心放下」というと、本当に物理的に「放下」する人がいたり、あるいは
それを説く人までいます。戦前の禅者の中ににいたそういう人は、痛ましい玉砕的な死
の原因を作ってしまいました。
 しかし実は葉隠にも山本常朝さんのいうことにも、大いにそういう面はあるのです。
そういう解説書もあります。ですから、絶対に葉隠を金科玉条にしてはいけません。
 葉隠とは、よいところもあるけれど、何と厄介な本かと思います。
★3月13日
 このところ、桜吹雪ならぬ花粉がどんどん舞う中、卒業式、確定申告と、極めて多忙
で、掲示板のご質問?にも直ちにお答えできませんでした。
 それにしても「知非便捨」についての岩波日本思想体系本の注にはびっくりしまし
た。どうみても意味が通じません。
 非を知って直すなどといういわば形而下的な話ではないのです。直すという行為では
本当に非を知ったことにはならない。だって「これは非だ」と自分で断定してしまうこ
とになりますから。「念念(つまり一瞬一瞬)に非を知る」という立論は、非の断定さ
え許さないはずです。
 以前、心学についての注にも明らかな誤りを発見したことがあります。もちろん、自
解(じげ)を執することなかれ」(正法眼蔵随聞記)ですが。
★3月8日
 韓国では、韓昇助(ハン・スンジョ・75)高麗(コリョ)大学名誉教授が、日本のあ
る新聞社系の雑誌に寄稿した原稿の中で、「日本による韓国支配は不幸中の幸い」と主
張し、議論を呼んでいるとのこと。
 この手の記事を書かれる方が韓国にも他の国にも時々おられることが不思議といえば
不思議。そうした論調の人に欠けているのは「反射的利益」という観念ではないかと思
います。日本が占領しなければロシアが占領していただろう。そうでなかったから幸
い、というわけ。日本が戦争したからアジアが独立した、とか。昔からあった議論です
が、それはあくまで反射的な利益で、直接的な権利侵害を無視した議論。
 ソウルの南大門近くにある丸い建物。なんだろうと思っていましたが、そこが中国で
言えば天壇に相当するところで、つまりは皇帝が天を祀る祭壇の真上に朝鮮ホテルが建
ってしまっていることを後で知りました。総督府の建物もそうですが、正に「武士道の
風上にもおけない日本の恥」。逆に日本が万一そんなことをされたら大変でしょう。こ
うしたことはごく一部であり、件の名誉教授(返上とか)が抗議を受けているのも分か
ります。
★3月6日
 先日、台湾に行ってきました。
 今回、以前以上に気になったのは台北の町の名前です。ご承知のとおり国民党の蒋介
石の軍隊が進駐し、中国大陸の町の名前がつけられました。これは大陸と同じ方式です
が台湾の元の住民には無縁のもの。昔、日本が領有していた時は日本の名前で、その後
はこの方式。
 西海岸には昔清朝の勢力が及んだことを示す石碑などがありますが、もとから台湾に
いたいわゆる高砂族(今は原住民と呼びます)の人々は山に。そして、日本の領台後、
東台湾の開発と共に東の山つきへ移動(大日本帝国憲法の適用されない地域です)。こ
うした複雑な構成の上に、私が日本で知りあったある方は国民党の軍隊で進駐した大陸
の少数民族。
 などなど考えるとこの町名というもの、相当多くの台湾の人には無縁というか違和感
どころではないものありでしょう。それは「満州国」などというネーミングとも関係す
るし親台湾の日本の団体が「日華」などと言っているのもいわゆる本省人の人からみた
らとんでもない。
 これらのことを体で分かるのは、我々には難しいのかもと思った次第です。南セント
レアどころではない。しかし、その発想の根本の心性と対応につながるところあり。
 どっちにしても人のいやがることをしてはいけないし、人のふりみて我がふり直せ。