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例によって、1年前の「事務室だより」を貼り付けます。
写真は、中国の東北、吉林省からみたロシア。そして、昭和13年に張鼓峰事件が起き
た場所です(その方向を撮ったもの)。優勢なソ連軍の前に、ここでも「精神主義」が
最も幅をきかせ、21パーセントの死傷率を反省することなく翌年のノモンハン事件に至
りました。
なぜ、日本人は反省しないのか。そして精神主義になるのか。この博物館にもその原
因の一端を書いたつもりですが、多くの有名な日本人論も、現象としての今の日本人を
とらえるだけで、歴史的、また、地理的原因を追求していないといわざるを得ません。
★11月8日
その昔のある官庁の試験に「小野田寛郎さんの生き方について述べよ」という問題が
出ました。
小野田さんは、戦後、ルパング島に何十年も残って戦った人。彼は、上官の正式な命
令がないい以上、山から出てくることなどできない、ということだったと思いますが、
正にこの態度こそ誠にピュアで、厳格な「天皇の軍人」の真骨頂です。中立の姿でもあ
ります。
例の道路公団藤井総裁も一応そのことを言って、政治家の介入を排したなどと言って
はいるのですが、財務諸表についての失態と、ここの本質論とは直接つながりません
し、むしろ、失態を犯した(とすれば)速やかに「責任」をとるのがピュアで、中立。
そして命令を厳正に執行する官僚の姿ではないかと思われます。
しかも、その官僚像は、「天皇の官吏」や「天皇の軍隊」を卒業した現代には、本来
妥当しません。元々、「天皇の官吏」の制度では公務員全てが官吏とはされていません
でした。天皇に近い一定の上級者のみで、下級の公務員は官吏とは言いません。こうい
う発想は極めて身分差別的なものだったことをよく見極めるべきです。
★11月3日
6月28日の本欄に、「最近のイラクにおける米英軍の戦死者の増加を見ていて思い
出すのは第1次大戦以後(1918年から)行われたシベリア出兵です。これは多数の
国の武力干渉でしたが、結果的に「無名の師」といわれ、何ら得るところなく、いわば
無駄死にを累積させただけでした。」云々と書きましたが、最近の状況は、正にそんな
ことになってきました。
しかも、それに参加している米軍将兵への給与の安さも以前から問題になっていま
す。
日本にとっても、本当に「第二の無名の師」になることだけは御免被りたいもので
す。
★10月30日
先日、証券の専門家の話を興味深く聞きました。
銀行から金を借りる間接金融の時代から社債で集める直接金融への時代は、公平、公
正な会社が前提であり、同様の証券市場がなければならず、正に民主主義が貫徹される
べき時代です。
つまりは、一味同心の、何事もオープンであるとともに、投資家つまり武士が、自覚
を持った「個」でなければならない時代であると思います。
そんなことと証券がどうして結びつくんだ、という人は、もう一度、会社や証券とは
何かを考えてみるべし。
一方、相変わらずの証券不祥事と規制の現状は、上記の理想への「道遠し」を思わせ
ます。
★10月25日
10月23日には、会津若松で、恒例の西軍墓地の墓前祭がしめやかに神式・仏式の
混合型で行われました。
戊辰戦争における会津の9月22日の落城にあたり、攻め寄せた西軍の将士はきちん
と葬られたのに、会津をはじめとする東軍は埋葬を許されず放置されました(のち、阿
弥陀寺などにまとめて埋葬。靖国神社にもまつられていないのは周知のとおり。官軍、
賊軍というのは勝った方の勝手なネーミングです)。
にもかかわらず、その会津の人々が、こうして落城の日から約1ヶ月後の10月23
日に、薩長土肥をはじめとする西軍の戦死者を供養して下さっているのです。本当に頭
が下がります。
ここから示唆される数々のことのうち、「了見の広さ」だけでも最近の日本は学ぶべ
きではと思われてきます。
★10月22日
仕事で水戸へ。いつも思いますが、駅前のホテル脇の那珂川へ通じる道は昔の深い堀
のあと。途中、階段で上に登る厳しいもの。その東側には水郡線の線路になっている、
これも深い堀あと。
旧県庁前の浅い堀だけしか旧景が維持されていないので、ちょっとわかりにくいです
が、那珂川と千波湖に挟まれて、掘り切りを何本も行った水戸城の厳しさがわかりま
す。
一方、駅前には何年か前に水戸黄門の像が。どこへいっても思いますが、常陸を数百
年にわたって治めた新羅三郎義光の子孫ともいわれる佐竹などは地味な扱いで、二百数
十年の江戸時代が強調されるのは残念な気がします。
★10月18日
今週は埼玉県のある市で、職員の方向けに、一日、憲法を話してきました。
埼玉を東西に横断すると、つくずく感じるのは「川を横切るなー」、ということで
す。例のタマちゃんが出没する川の数々。これらは栃木や群馬まで続いていて、かつて
は水運に利用されました。2度ほど伺った群馬の尾島はもとより、栃木の足利や佐野のあ
たりも楽しいもの。
明治の自由民権運動家河野広中の、福島から土佐へのルートが日本史の本に書いてあ
りますが、渡良瀬川から東京湾へ出て、品川から横浜へ汽車。更に水運です。
鎌倉時代の宗教家のルートといい、これらの河川や東京湾は、それ自体が重要な遺跡
と思われてきます。
★10月11日
今回の衆議院解散は、参議院での議案審議中になされ、数多くの案件が廃案になった
というので批判が出ています。
そもそも、「談合解散」とか言われていますが、内閣(その実は最近では総理大臣)
が解散権の実質的主体であることは憲法に明記されていません。
明治憲法では第7条に天皇の大権としての解散権が明記され、これは、フランス革命
で問題となったように、民主主義の下では本来国民に帰せられるべき立法権に対する、
天皇、いやむしろ官僚による制約として働きました(公定的注釈書・憲法義解には「議
会の開閉は至尊の大権〔によるのであって〕、・・閉会の後において議事をなすものは
全て無効とす」とあります。閉められてしまうと法律は作れないのです)。
逆にフランス革命は、170年間も開かれなかった三部会が開かれたことによって始
まり、結局は近代国家が作られることになったのです。
憲法41条に「国権の最高機関」と明記されている国会の審議が、明記のない解散権
の行使によりつぶされることに、この国の国民はまるで感心がないようです。正に、個
の自覚、つまりは武士道の問題でしょう。
★10月10日
土地の境が問題のある件、基点をきちんと決めましょうという話になって、国土調査
の基点を元に座標軸を引き、プラス、マイナスで土地境の各点を表示したのですが(も
ちろん土地家屋調査士さんの意見を入れて)、関係者一向不明。大きな石を基点に何メ
ールとかいう江戸時代みたいなことを言っている。
実は前者のやり方はビルマ作戦で日本軍が散々悩まされたイギリスのやり方で、イギ
リスはそうした座標軸を入れた地図を持っていたから、正確に砲弾を当ててきたので
す。もちろん、現代日本の軍事組織もきちんと地図を作っています。
こういう基本の基本がわからず、平和ボケといわざるを得ない社会になっているのは
やはり問題。もちろん、軍事オタクになれなどと言っているのではありません。
★10月6日
鎌倉のある大寺で、珍しい踊躍念仏の行に出会わさせていただきました。
「念仏は行者のために非行・非善なり」との親鸞聖人の言葉からいえばこれは非行と
しての行。本尊の周りを踊るようにして回る小学生の念仏には、言い知れぬなつかしさ
があるとともに、法然上人や一遍上人の念仏に対する考えが思い起こされて奥の深いも
のを感じます。
ちなみにこれは踊りではなく、念仏です。昔読んだ唐木順三さんの「無常」や「無用
者の系譜」など、もう一度読んでみたい気持ちになりました。
「我がなくして念仏申すが死するにてあるなり」この一遍上人の言葉は、葉隠の「死
ぬこと」に必ずやつながっていることでしょう。
それにしても9月24日に行った山県にも珍しい踊躍念仏が。「中世」を立て続けに感
じた秋。
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